1万対4万2千、「玉砕の島」の守備隊長
戦死者10222名。最後に残ったのは34名。玉砕から75年、いま明かされるペリリュー戦の全貌。
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訣別電報

 昭和十九年(一九四四年)十一月二十四日、米軍は大山の頂上付近を完全に包囲。戦車や火炎放射器を使った大規模な攻撃を繰り返した。この時、生き残りの日本兵は約百二十名。その中でも、戦闘可能な将兵はわずか五十名ほどであった。

 午前十時三十分、中川はパラオ本島にいる集団参謀長・多田督知大佐に向けて、五カ条に及ぶ訣別の電報を打った。「歩二電第一八一号」である。その「一」は、以下の通りである。

〈敵ハ二十二日来我主陣地中枢ニ侵入 昨二十三日各陣地ニ於テ戦闘シツツアリ 本二十四日以降特ニ状況切迫陣地保持ハ困難ニ至ル〉(『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈2〉ペリリュー・アンガウル・硫黄島』)

 その「四」にはこうあ…

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