1万対4万2千、「玉砕の島」の守備隊長
戦死者10222名。最後に残ったのは34名。玉砕から75年、いま明かされるペリリュー戦の全貌。
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上陸開始

 運命の朝を迎えた。天気は晴れ。海は穏やかである。

 昭和十九年(一九四四年)九月十五日の午前五時三十分、いよいよ米軍がペリリュー島への上陸作戦を開始した。

 午前六時十五分、海岸線から約十三キロ離れた海上において、約五十隻もの輸送船の中から、二十数隻の大型船艇がしやされた。目指すべき上陸地点とされたのは、日本側が「西浜」と呼んでいた海岸線である。中川の予測は的中した。

 日本軍の守備隊は、この西浜とその近辺に六つの陣地を設け、それぞれモミ、イシマツ、イワマツ、クロマツ、アヤメ、レンゲと命名していた。モミ、イシマツ、イワマツ、クロマツを守るのは、歩兵第二連隊第二大隊の約六百三十五名。大隊長は富田保二…

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