1万対4万2千、「玉砕の島」の守備隊長
戦死者10222名。最後に残ったのは34名。玉砕から75年、いま明かされるペリリュー戦の全貌。
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原隊復帰

 中川の八女工業での配属将校生活は、約四年という長きに及んだ。中川が八女工業から原隊の歩兵第四十八連隊に復帰したのは、昭和六年(一九三一年)八月のことである。以降、中川は中隊長の役職を得て、部下の兵たちを統率する立場となった。中川、満三十三歳の時である。

 同隊には、陸軍士官学校で同期生だった松本鹿太郎がいた。松本は当時の中川について、次のように回顧している。

〈寡黙深慮の士と云うところでアッサリした性格であった。子供さんはなかったようだった〉(『陸士第三十期生会 追悼集』)

 中川が原隊復帰した翌月には、満洲事変が勃発。時代は不穏な空気を濃くしつつあった。そんな中、中川は同連隊の中隊長として、少し…

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