1万対4万2千、「玉砕の島」の守備隊長
戦死者10222名。最後に残ったのは34名。玉砕から75年、いま明かされるペリリュー戦の全貌。
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第一章  頑固だが純粋な「肥後もっこす」

西南の役

 ペリリュー戦を主題とする本書の第一章を、西南の役から書き始めることになるのも日本史の妙味である。

 明治十年(一八七七年)二月十五日、西郷隆盛を擁する薩摩士族らが挙兵し、明治政府軍と対峙した。世に言う西南の役の勃発である。

 二月二十五日、薩摩士族と共闘する熊本隊は、熊本県の北部に位置する高瀬町の近辺で政府軍と衝突。この「高瀬の戦い」は三日に及ぶ激戦となったが、その戦場の中に「中川ぶんろう」という一人の若き青年がいた。

 その時、満年齢で十六歳。後に中川州男の父親となる人物である。

 文次郎は幕末の万延元年(一八六〇年)十月十六日、熊本城の城下にて生まれた。中川家は代々、熊本藩の藩士という家系であった…

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