1万対4万2千、「玉砕の島」の守備隊長
戦死者10222名。最後に残ったのは34名。玉砕から75年、いま明かされるペリリュー戦の全貌。
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潜伏生活の終わり

 一方、ペリリュー島で戦った歩兵第二連隊の永井敬司さんは、昭和二十一年(一九四六年)になっても地下壕で潜伏生活を続けていた。

「そういう教育を受けたと言ってしまえばそれまでですが、日本が負けるなんて思っていませんからね。米軍はしきりに『戦争は終わった』と投降を呼びかけてきましたが、私たちは信じませんでした。日本は必ず反撃に出ると考えていました」

 海軍上等水兵だった土田喜代一さんもこう語る。

「私たちは日本が敗れたことも知らず、ひたすら友軍の助けを待っているような状態でした。『米軍に見つかれば、必ず殺される』と固く信じていました」

 同じペリリュー島の島内で潜伏生活をしていた永井さんと土田さんであった…

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