1万対4万2千、「玉砕の島」の守備隊長
戦死者10222名。最後に残ったのは34名。玉砕から75年、いま明かされるペリリュー戦の全貌。
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第四章  住民へ退避を指示

ペリリュー島へ

 昭和十九年(一九四四年)四月二十四日の午前十一時三十分、多くの困難を乗り越えて、東松五号船団はパラオ港外のガレツ泊地に到着した。大連港を出港してから、実に約一カ月後のことであった。

 パラオ港はアメリカ機動部隊の攻撃によってその所々がすでに破損しており、港内の掃海も不充分だったことから貨物船が着岸できず、ガレツ泊地からマラカル埠頭まではだいはつによるピストン輸送で上陸することになった。大発とは「大発動艇」の略称で、陸軍の上陸用船艇のことである。

 揚陸は「五十時間以内」と定められ、昼夜兼行の作業が始まった。揚陸時の様子を、歩兵第十五連隊の一員だった尾池隆さんはこう話す。

「到着後は休む間もなく、荷物を…

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