1万対4万2千、「玉砕の島」の守備隊長
戦死者10222名。最後に残ったのは34名。玉砕から75年、いま明かされるペリリュー戦の全貌。
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空しき赤十字旗

 それでも日本軍は、次第に劣勢に追い込まれていった。歩兵第二連隊の砲兵隊員であった山崎裕は、上陸初日の戦闘についてこう回想している。

〈敵機グラマンは椰子の木すれすれの低飛行銃撃。ついには敵の潜水艦まで浮上して砲撃を開始する始末。

 敵が一旦上陸するや、わが方は負傷が続出した。大陸作戦にのみなれていた第十四師団の将兵は島嶼作戦は苦手であった〉(『闘魂・ペリリュー島』)

 山崎が冷静に指摘する通り、日本陸軍の仮想敵国は、かねてよりソ連軍であった。日本陸軍は酷寒の地での戦闘を想定した演習を重ね、兵器も耐寒性を考慮してつくられていた。

 それが戦局の変遷により、常夏の孤島において米軍の海兵師団と対峙する事態…

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