ギャルが「上」で、オタクは「下」の支配構造
なぜあのグループは“上”でこのグループは“下”なのか…気鋭の教育社会学者が、教室を支配する「地位の差」に肉迫!

1章 「スクールカースト」とは何か?

1)マンガ・小説の世界に見る「ランク」付け

値踏みしあう登場人物

 最近、いろいろなマスメディアの中でも、小学生や中高生がクラスメイトを値踏みし、「ランク」付けしているということが言われてきています。

 たとえば、本書の冒頭で引用した豊島ミホさんのエッセイ『底辺女子高生』では、自らの高校時代を振り返り、クラスメイトから「低い」存在だと思われることが、いかに辛い体験であったかが、さまざまなエピソードを挙げながらリアリティを持って描かれています。

 豊島さんは小説家ですから、その様子をとても上手に、そしてコミカルに描いていますが、当時は死活問題とでもいうべき大きな問題だったということが、文章からひしひしと伝わってきます。自分のことを「底辺女子高生」なんて呼んでいるのが非常に印象的です。

 ほかにも、高校を舞台にしたものとしては、小説すばる新人賞を受賞した、朝井リョウさんの小説『桐島、部活やめるってよ』(集英社・2010年)、『ハッピー・マニア』(祥伝社・1996年)や『働きマン』(講談社・2004年)で有名なマンガ家、安野モヨコさんの『花とみつばち』(講談社・2000年)、大島さんのマンガ『女子高生Girls-High』(双葉社・2006年)などがあります。

 特に『桐島、部活やめるってよ』は、2012年に映画化され、広く話題になりましたから、知っている人も多いのではないかと思います。

 こうしたクラスメイトどうしの「ランク」付けが描かれる作品は、高校を舞台にしたものだけではありません。どうしいさんの小説『12人の悩める中学生』(角川書店・2008年)では、中学校を舞台とし、同じクラスの12人の生徒の視点から、自分の「ランク」に応じた行動をとらなければならないという葛藤をありありと描いています。クラスで起きる出来事の捉え方が、「ランク」によってこうまで違うものかと驚き、そのリアルな描写に感心してしまいました。

 さらに、数は少ないですが、もっと低年齢である小学生の「ランク」付けのありようをテーマとした作品も存在しています(まるしのぶ『大空のきず』小峰書店・1999年など)。

小中高生にとってはあたりまえのテーマ

 これらの作品の登場人物に共通するのは、決して何か表立って公式に発表されたり、数値で示されたりしたわけではないクラスメイトの「ランク」を、クラスのメンバーが、ある程度正確に共有していて、生徒がそれぞれ見えない力で「ランク」に見合った行動をとるように強制されているということです。

 どうやら、クラスメイトの「ランク」付けが、マンガや小説などのマスメディアの作品で描かれるということはさほど珍しいことではないようです。

 こうした作品の中の登場人物は、だいたい「ランク」が「下」にみなされることをよいことだと思っておらず、「上」にいることをよいことだと考えています。ですから、この「ランク」の上昇の物語自体が作品のテーマとなっていることも、さほど珍しくありません。

 特に有名なのは、白岩玄さんの小説『野ブタ。をプロデュース』(河出書房新社・2004年)でしょう。2005年には亀梨和也さん主演でドラマ化され、人気を博しました。

『野ブタ。をプロデュース』では、修二(「ランク」の高い生徒)が、みんなから見下されている「ランク」の低い生徒(野ブタ)の「ランク」を上昇させることがストーリーの主軸になっており、そのエピソードがやはりコミカルに描かれています。

 また逆に、クラスの中で、高い「ランク」の生徒が低い「ランク」に転落することを主題にして、このことが主人公にとって、切実な問題として描かれているマンガもあります(竹内文香『ある日突然ハブられた』集英社・2007年など)。

 さらに、こうした構造をマンガの中で客観的に説明しているものもあります。先述した『女子高生Girls-High』では、登場人物が実際に図を用いて、わかりやすくクラス内のグループの力関係を説明しています。

 こうした作品を見ていると、小説やマンガの中で、クラスメイトの間に「ランク」付けのようなものが存在していて、その「ランク」を上げたり下げたりすることは、あたかも説明不要で当然のことのように起こりえているような感覚になってきます。

 実際、こうした作品が世間に受け入れられている背景には、当の小学生や中高生たちが、「ランク」付けにある程度リアリティを持っているということがあるのかもしれません。

 では、当の小学生や中高生ではなく、おとなたちは、この「ランク」付けについて、どのように考えているのでしょうか。

2)メディアで語られはじめた「カースト制」

「スクールカースト」の誕生

 クラスメイトのそれぞれが「ランク」付けされている状況。これはメディアや教育評論家の間で、「スクールカースト」と呼ばれています。

 インドの伝統的な身分制度になぞらえて「カースト」。さらに学校特有のものだから「スクールカースト」。

 この言葉は、僕が考えた言葉ではないのですが、初めて聞いたとき、うまい言葉を作るものだなあとすごく感心しました。感心しすぎて、本書のタイトルにしてしまったほどです。

 この「スクールカースト」は、じつは学術的な用語ではなく、公の文書の中で登場することはまずありません。だけど、インターネットで検索してみると、なぜ? と思うほど大量のページがヒットします。このこと自体が、「スクールカースト」という言葉の普及のしかたを物語っているとも言えるのかもしれません。

 ここからは、本書のタイトルにもなっているこの言葉が、どのような背景のもとに生まれた言葉なのか、少し説明していきたいと思います。

 僕が知る限り、この言葉が最初に紙面に載ることになったのは、2007年に出版された教育評論家の森口あきらさんの『いじめの構造』(新潮社・2007年)という本の中です。

 この本の中で、森口さんは、「『いじめモデル』に一層のリアリティを持たせるために(中略)『スクールカースト(クラス内ステイタス)』という概念を導入」(41頁)していたと言っています。つまり、いまだに明らかにならない「いじめの仕組み」を明らかにするために、「スクールカースト」という概念を持ち出してきたというわけです。

 森口さんは、「スクールカースト」の定義を以下のように設定しています。

 スクールカーストとは、クラス内のステイタスを表す言葉として、近年若者たちの間で定着しつつある言葉です。従来と異なるのは、ステイタスの決定要因が、人気やモテるか否かという点であることです。上位から「一軍・二軍・三軍」「ABC」などと呼ばれます。(4142頁)

 この定義によると、どうやら「スクールカースト」は、「人気や『モテ』」を軸とした序列構造だということです。

 なるほど。これまで、人気やいわゆる「モテ」などは、「いじめ」と密接に関係すると言われながらも、あまり大々的に取り上げられることはありませんでした。ですから、こうした新しい視点により、いじめのモデルを明らかにしようとした森口さんの功績は非常に大きいものなのだと思います。

第1章 「スクールカースト」とは何か?(2)

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