境遇の平等が国民を隷属に導くか自由に導くか、文明に導くか野蛮に導くか、繁栄に導くか困窮に導くか、それは彼ら次第である。
民主的国家に生じる強力な専制政府の脅威を予見、個人の自由の制度的保障の必要を主張。(全4冊完結)

第三部 デモクラシーが固有の意味の習俗に及ぼす影響

第一章 境遇が平等になるにつれて、どのように習俗は和らぐか


 われわれは、この数世紀来、境遇の平等化に気づき、同時に習俗が和らぐのを見出している。この二つのことは単に同時に起こっただけなのか、それとも両者の間には何か隠れたつながりがあって、一方は他方を進ませることなしに前に進めないのだろうか。

 一国の人民の習俗の厳しさを和らげるのにあずかる要因はいくつかあるが、私にはもっとも強力な要因は境遇の平等であるように思われる。境遇の平等と習俗の穏和化はだから私の目には同時進行の出来事というだけでなく、相関する事実と映る。

 寓話作家が動物の行動に読者の関心を向けようと思うとき、彼らは動物に人間の思考と感情を付与する。詩人が妖精や天使について語るときにもそうする。もしわれわれ自身の姿が人間以外の形を借りて描かれているのでなければ、どんなに深刻な悲惨もどれほど純粋な至福もわれわれの精神を引きとめ、心をとらえることはできないであろう。

 このことはここでわれわれの扱う主題にぴたりと当てはまる。

 貴族社会において、あらゆる人々が職業、財産、生まれに従って変更し得ない形で序列づけられるとき、各階級の成員は自分たちはすべて同じ一つの家の子供であると考え、互いに持続的で積極的な共感を身に覚えるが、そのような共感がデモクラシーの市民相互の間に同じ度合で見られることは決してない。

 だが異なる階級同士の関係はこれと同じではない。

 貴族制の国民にあっては、各身分はそれぞれの意見と感情、権利と習俗を有する別個の存在である。したがって、ある身分を構成する人々は身分の異なるどんな人とも似たところがない。考え方も感じ方も全然違い、同じ人類に属すると思うのも難しい。

 彼らにとってはだから身分の違う人々が何を感じているかよく理解できず、自分にひきつけて他者を判断するすべがない。

 にもかかわらず、この人々が互いに本気で助け合うことが時としてあるが、これは先に述べたことと矛盾しない。

 貴族制の諸制度は同じ人類に属する人々をこのように別個の存在にしたが、にもかかわらず、その同じ制度が彼らを緊密な政治的絆によって結びつけもした。

 農奴は貴族の運命に本来何の関心ももたないとはいえ、自分の主人である貴族に対して献身する義務がないとは考えなかった。そして、貴族は自分は農奴と本性を異にすると思っていたが、それでも、己れの義務と名誉にかけて、領内に住む人々を命がけで守らねばならぬと判断していた。

 この相互的義務が自然権でなく政治的権利に発し、人間性が単独で為しうる以上のものを社会が引き出していたことは明らかである。人は人間を援助する義務があると思っていたのでは決してなく、臣下あるいは領主をたすけねばならないと考えたのである。封建的諸制度は特定の人々の不幸に対する感受性を鋭敏にしたが、人類の悲惨に敏感にさせることはなかった。それは習俗を和らげたというよりは、これをこうまいにした。偉大な献身に誘うことはあっても、真の共感は生まなかった。なぜなら、本当の共感は同類の仲間の間にしかないからであり、貴族的な世紀には、同じ身分の成員の中にしか自分の仲間は見出せない。

 誰もが生まれあるいは生活習慣において貴族身分に属していた中世の年代記作家が、一人の貴族の悲劇の最期を告げるとき、その調子は悲痛極まりないものである。ところが、その彼らがしごくあっさりと眉一つ動かさずに民衆のさつりくと拷問を物語る。

 これらの作家が民衆に対して習慣的な憎悪と一貫した軽蔑をいだいているわけでは決してない。時代はまだ国家の異なる諸階級の間に宣戦布告がなされる以前であった。彼らは情念というより本能に従ったのである。彼らは貧しい者の苦しみをはっきり頭に描けなかったから、その運命にほとんど関心を払わなかった。

 民衆の側にあった人々もまた、封建の絆が断ち切られてからは、同様であった。臣下の主君への英雄的献身が数多く見られた諸世紀はまた、下層階級が上層階級に対して時折途方もない残虐行為を働いた例に事欠かない。

 お互いのこの無感覚を単に秩序と啓蒙の欠如の帰結と考えてはならない。なぜなら、これに続く何世紀か、すっかり秩序立ち知識も広がりはしたが、なお貴族的であった時代には、その痕跡が依然として見られるからである。

 一六七五年に、ブルターニュの下層階級が新しい税に関して一揆を起こした。この動乱は例のない残酷さで鎮圧された。このおぞましい出来事を見聞したセヴィニェ夫人が娘にこれを語った文章がある。

「レ・ロシェにて、一六七五年一〇月三日

 エクスからの貴女のお手紙のなんとまあ面白いこと。せめてお出しになる前に一度は読み返すことよ。面白くて自分でお驚きになるわ。たくさんお書きになった苦労もその楽しさで報われるというものよ。それで、貴女、プロヴァンス中を接吻してまわったの。ブルターニュ中を接吻してまわるなんて、ワインの香りをかぐのが好きででもなければ、いいことなんかないでしょうけれど。レンヌのニュースをお知りになりたい? 十万エキュの税をとることになって、二四時間以内にこの額が集まらないと、倍にして兵隊が取り立てることになっていたの。目抜き通りの住民はみんなかり出されて追い払われ、この人たちをかくまうのを禁止したの。違反したら死刑よ。それで、ありとあらゆる可哀想な人たち、妊婦も老人も子供も、涙を浮かべて町を出て行ったわ。行く当てもなく、食べるものも寝る所もなしに。一昨日、騒ぎの火をつけて、収税印紙を奪ったヴァイオリン弾きが車裂きにされたわ。この男の身体は四つに裂かれ、街の四隅にさらされています。六〇人の街の住民が捕まって、明日には縛り首が始まります。この州は他の州に対するとてもよい見せしめだわ。とりわけ、州総督とその夫人に敬意を払わせ、その庭に石を投げたりさせないためにもね1。……

 昨日は素晴らしいお天気で、タラント夫人は森にいらしたわ。お部屋もお食事も要らないの。あの方、垣根をくぐっていらっしゃって、また同じところから帰っていかれるのよ……」

 もう一つ別の手紙で彼女は付け加えている。

「貴女は私たちの不幸を面白おかしく私に仰有るけれど、もうそんなに車裂きにはしていません。正義の維持のために、八日に一回です。私にとって縛り首が息抜きに見えるのは本当よ。この地方に来てから、私は正義について全然別の考えをもっています。あなたのところのガレー船を漕ぐ囚人たちは、私には安穏な暮らしをするために世間から引退した紳士方の集まりに思えるわ。」

〔セヴィニェ夫人(Marie de Robutin-Chantal, marquise de Sévigné, 1626-1696)は若くして夫を失った後、ブルターニュ地方、レ・ロシェles Rochersの城館に長く住み、友人知己、特にプロヴァンスの州総督に嫁いだ娘のグリニャン夫人に宛てて多くの書簡を書いた。それらは古典主義時代の貴族や宮廷の生活を自由な文体で生き生きと描いて、後世の文学的評価が高い。

 ここに引かれている最初の手紙の日付をトクヴィルは一〇月三日と記しているが、正しくは一六七五年一〇月三〇日である。第二のものは同年一一月二四日付。トクヴィルの引用は一字一句原文どおりではないが、訳文は引用に基づく。原文は、Mme de Sévigné, Lettres, Bibliothèque de la Pléiade, t.I, pp.895-896,920. 文中に出てくるタラント夫人はブルターニュにおけるセヴィニェ夫人の領主に当たり、お茶の相手として書簡中にたびたび登場する。〕

 この文章を書いたセヴィニェ夫人が利己的で野蛮な人物だったと思うとすれば、間違いである。彼女は情熱を込めて子供たちを愛し、友人の悩みに敏感に同情し、それどころか、彼女の書簡を読むと、家来や召使を親切寛大に扱っていることがよく分かる。だがセヴィニェ夫人には、身分ある人でない場合には、人が苦しむということがどんなことかはっきり分からなかったのである。

 今日では、どんなに冷酷な人間がどんなに無神経な相手に手紙を書いたとしても、私がいま引用したような残酷な冗談をあえて平然と言おうとは思うまい。彼個人の道義がこれを許しても、国民一般の習俗が禁じるであろう。

 これは何に由来するのか。われわれは父祖よりも豊かな感受性をもっているのだろうか。私には分からない。ただ、確かに、われわれの感受性はより多くの対象に及んでいる。

 一国の人民の中で地位がほぼ平等であるとき、誰もがほぼ同じような考え方、感じ方をするから、誰にとっても他のすべての人の感覚を瞬時に判断することができる。自分自身を一目振り返れば、それでよいからだ。だからどんな不幸も簡単に理解でき、隠れた本能がその大きさを教える。未知の他人や敵だからといって変わりはない。想像力を働かせれば、そういう人の身にもすぐなれる。想像力は哀れみの情に何ほどか個人的な感情を紛れ込ませ、仲間の身体が痛めつけられれば、わが身に苦痛を覚える。

 民主的な世紀には、人が人のために身を犠牲にすることは滅多にないが、人類全員に広く思いやりを示す。無益な苦痛を他人に与えることはなくなり、自分をたいして害することなく他人の痛みを軽減できるときには、喜んでそうする。人々は無私ではないが、心優しい。

 アメリカ人は利己主義をいわば社会と哲学の理論にしてしまったが、だからといって哀れみの情にもろくないとも見えない。

 刑事裁判が合衆国以上に寛大にとり行われる国はない。イギリス人がまさにその刑事立法の中に中世の血なまぐさい痕跡を大切に保存したがっているように思われるのに対して、アメリカ人は彼らの法律から死刑をほとんどなくしてしまった。

 合衆国は、私の考えでは、この五〇年間、政治犯罪でただ一人の市民の生命も奪ったことのない地上でただ一つの国である。

 アメリカ人のこの際立った穏やかさが主として彼らの社会状態に由来することの最終的証明は彼らの奴隷の扱い方に見られる。

 結局のところ、新世界のヨーロッパ植民地の中で、黒人の物理的境遇が合衆国ほど過酷でないところはおそらくないであろう。それにもかかわらず、奴隷はそこでも依然としておそろしく悲惨な目にあい、始終むごたらしい仕打ちを受けている。

 たやすく分かることだが、この不幸な人々の運命は彼らの主人たちに少しの哀れみの情をも催させず、かれらは奴隷制に自分たちの利益になる事実を見るだけでなく、害悪であっても自分たちには関わりのないものとみなしている。すなわち、同胞が自分と平等な地位にあるときはこれに対して人間性に満ちた対応をするその同じ人間が、ひとたび平等が消えると、同胞の苦痛に無感覚になるのである。

 それゆえ彼の優しさの原因を帰すべきは文明と啓蒙以上にこの平等である。

 いま私が諸個人について述べたことはある程度まで諸国民にも当てはまる。

 諸国民の意見、信仰、法律、慣行がそれぞれ別々にあるとき、それぞれの国民は自分たちだけが人類のすべてだと考え、自分たち自身の苦痛しか苦痛と感じない。このような傾向のある二つの国民の間にもし戦争の火種が燃え上がったならば、それは残虐行為を伴わずにはいないであろう。

 ローマ人は、その文明の最盛期に、敵将を凱旋の戦車の後ろにくくりつけて引き回してから、その喉首をかき切り、民衆の娯楽のために虜囚を獣の餌食にした。キケロはローマ市民をはりつけにするという考えにはあのように大きな嘆きの声を上げたが、勝利のこの残虐な悪用を何一つ非難していない。明らかに彼の目に外国人はローマ人と同じ人間と映らないのである。

 これに対して、諸国の人民が似たものになるにつれて、お互いに他国民の不幸により同情を示し、万民法は穏やかになっていく。

第二章 デモクラシーはアメリカ人の普段の付き合いをどのように簡素でくつろいだものにするか

この作品では本文テキストのコピー機能を制限しています

01