にもかかわらず、村山談話から二〇年、中国・韓国との和解はむしろ逆行している。なぜだろうか。四つの原因をあげてみたい。
第一に、村山談話を左右の政治的均衡が達成した国民の総意とは解釈せず、社会党の総理であったが故の右の理念の敗北とみる右派勢力が、村山談話によって一定の目標を達成した左派勢力を切り崩し、正しいと信ずる歴史認識を復権させるために具体的な行動をとり始めたことである。「新しい歴史教科書をつくる会」の活動開始(九六年)がその一つであり、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」及び「日本会議」の結成(九七年)がもう一つの動きだった。
第二に、以上の自民党内の動き…
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