暴力団離脱者の社会復帰”はなぜ難しいのか――「元ヤクザ」介護ヘルパーの証言
リアル任侠ヘルパーは見た! 裏(ヤクザ)の地獄、表(シャバ)の私刑。

第一部 リアル任俠ヘルパーの見た世界

 やまさんは福岡県の温泉街で育ちました。昔は結構流行ったこの街も、いまでは随分とすたれており場末の感が否めません。小説『花と竜』(*1のなかで、たまきんろうをはじめとする北九州・わかまつの親分衆が旅行に来るのはこの温泉です。

 小山さんの実父と母親は、彼が二歳の時に離婚しており、父親の顔は覚えていないといいます。その後、母親は年下で造船所に勤務していた現在の義父と長崎県で再婚しました。義父の転職をきっかけに、この地に引っ越してきました。この再婚が、自分の運命を狂わせる最初の歯車を回したと彼は回想します。とりわけ日常的な父親の暴力と、父方の親戚の態度が。それでは、ここからは小山さんに語っていただきます。

 文中の( )は、小山さんのツッコミ、あるいは、文章化された内容に対する補足として、小山さんが追加的に述べた事項です。なお、登場人物や組織名は、基本的に仮名とさせていただきました。

1 『花と竜』は、北九州若松を舞台とした芥川賞作家・あしへいの長編小説である。

第一章 不良への道

義父の暴力と親戚の蔑み

 おれの家庭ですか、義父と母、そして弟ですね。この弟は父親が違います。実父と母親が離婚するとき、父親は妹を、母親はおれを連れて別れたとですよ。

 義父との生活は思い出しても楽しいものやなかったですね。とにかく暴力がひどかった。そんなおれが、母親に別れた実父のことを尋ねると、「ろくな人やない。ダメ人間だった」という答えが返ってくるばかり。「あんた、なんで離婚したとね」と心の中で何度も言いながら、母親を恨んだものですよ。実父は金持ちのボンやったそうですから生活力がなかったらしく、人付き合いも下手やったそうです。まあ、金持ちは若い時だけで、その後はちようらくの一途だったようですがね。

 おれが一六歳の時にさんが訪ねてきて「おまえの父ちゃんは死んだばい」と言われたのを思い出します。「病気ですか?」「いや、自殺や」短い会話はそれだけでした。叔父は、訃報を伝えにきたというよりも、実父の遺産を放棄するという確認書類にサインを求めに来ただけやったのですね。こん時、はじめて実の妹に会いましたけど、おれのかつこう(バリバリのヤンキー)見て固まっていましたね。

 おれは小学校低学年までは長崎に住んでいました。ちょうどおれが小学一年の頃に、母は義父の子を身ごもりました。おれとは六歳違いの弟です。この弟が生まれてから、義父の実家に行く機会が増えたのですけんど、残酷な仕打ちでしたよ──これがおれの人生を変えた最初のショックやったですね。なしかというと、義父の両親(おれにしたらジイちゃんやバアちゃん)や親戚がね、幼いおれに面と向かって言うとですよ、「(息子は)初婚なのにね、なしてコブ付きの年増と結婚したとやろか」、まるでおれが悪いような感じなんですよ。あの目、あのこうふん……いま思い出しても気分悪いですね。そんなこと小学生に大人が言うもんやないでしょう。でも、自分の息子には言えんから、おれに言うことでウップン晴らししよったとでしょう。

 そんなんですから、義父の実家では居心地が悪いことこの上ないわけです。いや、居場所すらない。母親は義父の両親に嫌われまいとして気を遣い、おれのことはそっちのけですよ。おれに味方はおらんです。その結果、子どもながらに学ぶんですね、人の顔色をうかがい、嫌われないように生きるすべ。子ども時代は義父の暴力と、親戚の蔑みに耐える日々ですよ。楽しい思い出なんかないですね。クリスマスも正月もない。小遣いすらないですから。ましてや、遊園地や旅行に連れて行ってもらった覚えもない。ひたすら我慢の日々、義父の影におびえる日々が、おれの少年時代ですね。

深夜徘徊

 小学校いうて、特に可もなし不可もなしやったですか。ただ、同級生よりは近所の兄ちゃんや姉ちゃんたちと遊ぶことが多かったですね。なんか、おれは年上に可愛がられた。洋服なんかも親が買ってくれんから、近所の先輩のお古をもらう。中学に入学した時も、近所の不良の先輩のお古の短ランにボンタンやった。でも、これがうれしかった……なんていうか自分が強くなったような、年上になったような気がしたとですね。

 小学校の五年やったとおもいますけど、おれ、学校でイジメにあったとですよ。この出来事があってから、近所の兄ちゃんを男としてのモデルにしようと決めたんですね。もちろん、例にもれずヤンキーやし、不良でしたよ。でも、おれから見たら強いし恰好よかった。

 中学に入ったら柔道部に入部しました。これは、義父に言われ小学校の頃からやらされてたから、基礎はできてた。ただ、学校の柔道部に入ったんは、自分の意思です。なぜかいうと、うちの中学は、野球部やサッカー部やなくて、柔道部に不良が多かった。タバコとか覚えたんはここですね。

 部活の帰り道、ついダラダラと遊ぶから、何ですか……ポリの用語でいうところの深夜はいかいするとですね。で、帰ったら義父にボコられる。先輩真似てアイパー、り込み入れたら、押さえこまれて坊主にされる。まあ、義父はかつて造船所で働きよったですから腕力ではかなわんやった。この繰り返し。ただ、「このくそオヤジ、いつか見とれよ」いう思いはありましたね。子ども心にかなわんやったのが、義父にボコボコにされよる時に、母親が止めに入らんのです。ただ「お父さんに迷惑かけんといて」いうだけです。母親も義父の顔色窺いながら生きてたんですね。

 不良になる前から、非行はしよったですね。カワイイものですが、小学校の前の駄菓子屋から「なめ猫(*1」のカード、例の免許証ですね、あれを束で万引きするとか、ゲーセンでタダゲームするとか、深夜遊びに行って義父がコワイから窓から家に入るとか、そんなもんですよ。

不良への道を歩む

 おれが本格的にワルくなったんは、一年も途中で、ヤヒロいうツレと出会ってからですね。もちろん同じ中学ですが、こいつのオヤジがヤクザやった。当時、このオヤジは、ジキリ掛け(*2で懲役行ってたんですね。で、なんか羽振りがいい。この当時、ヤクザで組のためにジキリ掛けして懲役行ったら、組から生活の面倒見てもらえるやないですか。カネありますよ。このヤヒロが、まあ、親友の一人で、一番親しい関係やったですね。

 しかし、ヤヒロは、先生からするとうっとうしい存在なんですよ。先輩も面倒くさいからチョッカイ出さない。あと、おれは近所の先輩(入学式の服をくれた近所の二つ上の先輩)から可愛がられていたから、まあ、そのがあったんですね、けんを面と向かって売ってくる奴もそういない。しかし、これも先輩が中学に居る内だけで、先輩が卒業した後、おれが中二になると、同級生からターゲットにされてイジメが始まったとですね。たとえば、イキナシ背後から膝蹴り食らうとかね。もちろん、ソッコーで報復しましたよ。中学では地位は大事。やられっぱなしやったらタメ(同年)にナメられるし、下(下級生)にもバカにされる。ヤヒロとの合言葉やったですが「一やられたら、五返せ」とね。まあ、悪い中学でしたから、いつも喧嘩、喧嘩ばかり。夜は仲間の連中とツルんで遊ぶ日々ですよ。喧嘩、オンナ、暴走……そんなんでしたね。

 あと、この頃、おれらのファッションは、クリソー(クリームソーダ(*3や、はち屋HACHIYA(*4。これだけは街(福岡市中央区てんじんに行かんと買えんでしょ。もちろん、ちゃんとカネ払って買ってましたよ。この店の人ら、コワイ人多かったやないですか。でも、だいたいココでも喧嘩なんですね。

 市内の不良が来るわけですよ。マジメ君が買いに来る店違いますやろ。クリソーの財布とかベルトって、何もおれの地元だけで流行っていたわけやないでしょ。で、「お前らドコの中学や、あ?」「このイモが、おまえら何ばしゃれたことしよっとや」とか、因縁つけてくるとですよね。タイマンなら何とかなりますが、シマ違うし、多勢に無勢やないですか。シテ線(私鉄・西鉄おお線)の駅まで、ダッシュするしかないとですね。まあ、それはそれでスリルありましたけど。でも、街の不良、いま思えば、おれらよか洗練されてましたね。恰好がサマになってましたから。

 喧嘩とか集会で、ポリには何度も捕まりました。でも、当時は今みたく簡単に年少送りにならんやったやないですか。とりあえず両親居たら大丈夫みたいなところありましたよね。もっとも、おれはパクられたら、警察署の道場に連れて行かれ、「おい、小山、道着貸しちゃあけん着替えろ」言われて、一時間位ボコボコ投げられていましたね。どげん頑張っても、オマワリに勝てんかった。でも、そいつもイイトコあって、出前とって飯とか食わしてくれるとですよ。それから家裁。その繰り返しでしたけど、年少はなかった。

 笑い話ですけど、おれらバイクケパって(盗んで)暴走するでしょう。で、事前に所轄の交番にお邪魔して、地バイ(地回り用の単車)のガソリン抜いとくんですね。完全にやなくて、底の方に少し残しとく。それで、追跡してきたら途中でガス欠になってエンストするわけです。そんな遊びをしていましたね。

 中三の時、家から出るきっかけというか事件があったんですよ。いつものようにツレらとシンナーやりよったんですね。場所は実家の自分の部屋。マズイことに義父が気づいたんですよ。いきなし部屋のドアをバコーンいうて蹴破った。脚がドアから生えて来たんで、びっくりしたおれは、反射的にその脚を上から蹴ったとですね。すると、その脚が「ボクッ」と変な音を立てて折れたとですよ。ソッコー逃げました。こら家に戻ったらヤバイと思い、知り合いの家を転々と渡り歩きましたよ。おれらの仲間は、中学でもアパート借りて住んでるやつ多かったから、幸いでしたね。まあ、その一件があってからは、義父も敵わんと思い出したんやないですか、あまり衝突した記憶がないですね。

 自分で言うともなんですけど、中学の成績はそんなに悪いということもなく、クラスの平均くらいあったと思います。何ていうか、勉強に要領イイとこあったんでしょうかね。勉強が好きでもなければ、とてつもなく嫌いでもなかった。今でもおれは本の虫ですから。

 当時、おれとしては画を描きたいとボンヤリ考えてたんですよ。将来は、デザインの世界に進みたいなあとかね。意外やったでしょ。で、中三の進路指導のとき、先生にそげん言うたとですね。そしたら、その専攻科がある高校には「おまえじゃあ、絶対受からん!」と言われました。おれはそれなりに勉強して「受からん」高校受けましたら、確かに落ちましたね。内申書もイイコト書いてないでしょうからね。それで、担任からは、西短大付属、第一(『ビー・バップ・ハイスクール』(*5あいとくのモデル)、水産(『ビー・バップ・ハイスクール』のづかすいさんのモデル)のどれかから選べ言われました。これはどっちこっちないですが、西短と第一は、一年の時は強制ボウズやないですか。悩まんでしたね、「じゃあ、水産で」言うて一発で決まりました。おれとしては、髪の毛と制服で水産決定やったわけです。

第一章 不良への道(2)

この作品では本文テキストのコピー機能を制限しています

01