「このままでは、ノーベル賞受賞者はおろか、日本から科学者自体がいなくなってしまいそうです」
技術立国は完全崩壊! ノーベル賞受賞者もゼロになる! 科学力失速のリアルな現実とその要因をデータを示し警鐘を鳴らす。

2章 研究者がいなくなる―空洞化する大学院博士課程

博士の卵が減っている

 2018年版の科学技術白書は「我が国の科学技術イノベーション人材を巡る状況、とりわけ、その重要な担い手である若手研究者を巡る状況は危機的である」と指摘し、日本の科学技術の将来に警鐘を鳴らしています。「高い能力を持つ学生等が、知の創出をはじめ科学技術イノベーション活動の中核を担う博士人材となることを躊躇するようになってきている」というのです。

 科学技術白書とは、文部科学省が毎年発行する日本の科学技術の状況に関する報告書で、日本の科学技術の特徴やそれを取り巻く環境、それらの変化や課題について報告しています。日本の科学技術政策は白書をもとに立案されます。その白書が、「若手研究者を巡る状況は危機的」というのですから、穏やかなことではありません。

 研究者となるには二つの道があります。一つは、大学、大学院を卒業・修了して企業の研究所などに就職する道で、応用・開発科学を研究する工学部の出身者は概ねこの道を目指します。もう一つは、大学院博士課程を修了して博士となり、大学や公的な研究機関で研究職に就く道です。公的研究機関とは政府が運営交付金を拠出している研究機関のことです。理化学研究所(理研)、産業技術総合研究所(産総研)などが有名です。基礎科学の研究に注力する企業はほとんどありませんから、基礎科学を研究し続けるには、この道を行くしかありません。

 ノーベル賞が基礎科学を重視しているのは前述のとおりです。大学卒業後すぐに企業に就職して研究職に就き、2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏のような例外もありますが、ノーベル賞受賞者の大半は大学院博士課程を修了して博士号を得て、大学や公的な研究機関で研究しています。つまり、大学院博士課程の学生は、将来、ノーベル賞を受賞する可能性を秘めた「博士の卵」です。日本では近年、その数が減少の一途を辿っています。日本の基礎研究の危機です。

理工系博士課程入学者はピーク時の3分の2に減少

 図表21から231981年以降の大学、大学院修士課程、同博士課程の入学者数の推移を示しました。大学入学者数には進学率も示してあります。

 大学進学率(短期大学を含む)は1981年の369%から2018年には579%にまで上昇しました。2010年前後には大学進学希望者数が大学定員総数を下回る大学全入時代に入ったと考えられています。大学を選ばなければ進学希望者は誰でも大学に入学できる時代だということです。同世代の半数以上が大学に進学し、選り好みしなければ誰でも大学に入れるのですから当然ですが、一部の大学では、新入生が中学校の教科書も理解できていないという大変な状況になっています。

 大学院(修士課程)への進学者は、1991年から始まった大学院重点化で定員が増加したことにより以降約10年間で倍増し、1990年の3733人から10年後の2000年には7336人となりました。以後、2005年頃まで増加を続け、2005年から2010年は微増または横ばいとなり、入学者数82310人とピークを迎えた2010年以降減少傾向にあります。

 一方、大学院博士課程への進学者も1990年からの10年間で倍増しましたが、ピーク時の2003年以降、ほぼ減少を続けています。2003年には18232人だった博士の卵が、2017年には14766人にまで減ったのです。14年間で20の減少です。

 もう少し詳しくデータを見ていくと、状況はさらに「危機的」であることが分かります。まず、図表24です。図表23の博士課程の入学者数の推移は研究科を区別せず総数を示したものです。社会科学系と自然科学系の区別はありません。本書の問題意識は、将来自然科学系のノーベル賞受賞者がいなくなるということですから、自然科学系、とくに理工系に絞って博士課程の入学者数の推移を示したのが図表24です。2003年の5221人から2017年には3491人に減少しました。図表23で見たとおり、全体では20の減少でしたが、理工系に限ると33、つまり3分の1減っています。

理工系博士の卵は半減

 次に博士課程入学者の属性です。産業構造が急速に変化しつつある中、近年、大学の学士課程や大学院の修士課程を修了して就職した社会人が、キャリアアップのため大学院で「学び直し」するケースが増えています。社会人大学院生の増加です。社会人が修士課程や博士課程で学び直すこと自体は大変結構なことですが、そうした社会人学生の大半は、学位は取得しても企業に残ることが多く、将来の基礎研究を担う「博士の卵」とはなりません。

 図表25に、社会人入学者とそれ以外の入学者を区別して博士課程の入学者数の推移をグラフにしました。社会人入学者が増加傾向にあるのと対照的に、「博士の卵」となる学生は減り続けています。社会人以外の学生数は2003年の14280人から2017年には8655人に減りました。40の減少です。「博士の卵」となる人材が6割に減ったということです。

 このデータからは社会科学自然科学の別は定かではありませんが、入学者全体に理工系院生の割合が減っていることを考慮すると、より危機的であることはあっても、よりましである可能性はなさそうです。理工系の博士課程でも社会人大学院生の数(入学者数ではなく総数です)は2003年よりは増加しています(図表26)。それも考慮すると、理工系の「博士の卵」となる人は半数以下になっていると推測されます。

博士になっても職がない──博士課程修了者の9割以上が安定した研究職に就けない現実

 子供の頃の夢の職業に就く人は意外に多く、2000年以降のノーベル賞受賞ラッシュで学者になりたいと夢見る子供は増えているのに、「博士の卵」となる大学院博士課程への進学者は減り続けている。その傾向は特に理工系で顕著である。それが日本の大学の現状です。いったい、なぜそんなことになっているのでしょう。

 2018年版の科学技術白書は、「修士課程学生にとって、博士課程に進学する魅力が薄れているおそれがある」と、非常に控えめに指摘しています。が、問題は深刻です。博士課程に進学することに魅力がなくなっているのは、博士になるのは経済的負担が大きい上、博士になっても努力や投資に見合った高収入を得られる安定した就職先が保障されるわけではないからです。

 とは言っても「博士さま」です。職がないなどということはないだろう。プライドや望みが高すぎるからではないのか。そう思われる人も多いかと思います。が、違います。博士課程修了者の就職・就業状況が厳しいことはデータが示しています。

博士課程修了者の6割は非正規雇用かポスト待ち

 研究者を目指すには二つの道があり、基礎研究の研究者となるためには博士課程を修了し、大学や公的研究機関で研究を続ける以外に道はほとんどないことは前述のとおりです。そして、博士課程修了者が最初に就くポストは大学の助教や公的研究機関の研究員です。が、このポストが不足しています。多くの博士課程修了者は身分の安定したポストに就くことができず、この研究者への道の第一歩で躓いています。助教や研究員などの安定した職を得られなかった博士課程修了者は、任期付きの研究員の職を転々とすることになります。

 図表2728に理工系修士課程修了者と博士課程修了者の進路を示しました。文部科学省の科学技術・学術政策研究所(NISTEP)が調査したデータです。NISTEPは政府の科学技術政策立案のため、現状や状況の推移など科学技術や学術に関するさまざまな調査・研究を行っている機関です。科学技術白書が報告する国内のデータの多くは、NISTEPの調査によるものです。

 修士課程修了者の進路を見ると就職者が8割前後、進学者1割前後で推移しているのが分かります。重要なのは就職者のうち「無期雇用」と「有期雇用」との割合です。「無期雇用」は終身雇用を前提として企業や団体に就職することです。一方、「有期雇用」は期限付きで就職することで、一般には身分が不安定な契約社員や非正規雇用を言います。2011年までは統計に有期無期の区別はありませんが、区別して調査した2012年以降を見ても、有期雇用での就職者はほとんどいません。つまり、安定した職を得ているということです。

 しかし、博士課程修了者の進路の景色は違います。2012年以降を見ると、就職者のうち3割前後が「有期雇用」での就職を余儀なくされているのです。この場合の「有期雇用」は一般の契約社員や非正規雇用者とは少し違います。後に詳しく検討しますが、博士課程修了者の「有期雇用」者の大半は、文部科学省の科学研究費補助金など政府が有望と認めた研究に有期で資金を提供する「競争的資金」を獲得した研究プロジェクトなどに、その期間中だけ研究職として採用された人です。そうした身分の人は「ポスドク」と呼ばれています。ポスト・ドクター(博士)の略ですが、簡単に言うと、博士課程を修了し博士号の学位を取得したものの、大学の助教や公的研究機関の研究員などに就くことができず、任期制(期限付き)博士研究員として研究プロジェクトに参加している人のことです。中には、任期制の研究員にもなれず、無給に近い報酬で研究員として大学に籍を置いている人もいます。モラトリアムです。博士になっても安定した職に就けない人が3割もいるという現実です。

 博士課程修了者の進路では「その他」に分類される人が全体の3割前後で推移しています。元資料となっている文部科学省の学校基本調査は卒業翌年度の51日現在の就労先を調査しているため、これは、博士課程を修了した年の5月になっても就職・就業先が決まっていない修了者が3割いることを意味しています。企業や団体が4月入社であるのに対し、任期制の博士研究員は年間を通して公募されるため、研究職に就くため公募を待つポスドクが大勢いるということです。この3割を加えると、博士課程修了者のうち安定した職に就けない人が6割もいるということです。ただ事ではありません。無茶苦茶です。

第2章 研究者がいなくなる―空洞化する大学院博士課程(2)

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