「これほど奇妙な取材活動はこれまで経験したことがない」
フェイスブック社を激震させた元製品マネージャー、フランシス・ホーゲンの内部告発。今世紀最大規模の情報リーク、その数万ページに及ぶ文書は「フェイスブック・ファイル」と呼ばれ、当初はウォール・ストリート・ジャーナル独占の情報だった。しかし、ホーゲンとPR会社は多くのマスコミを集め、競合する記者同士がスラックで情報を共有するモデルまで作り上げた。浮かび上がるホーゲンをめぐる謎、記者間の疑心暗鬼。世界的スクープの全内幕を描く。

フェイスブック内部告発 全内幕

内部情報が次々とリークされる昨今、リーク元はジャーナリストにとって重要な存在となっている。そうしたなか、フェイスブック(現メタ)の内部情報を漏洩させた同社の元製品マネージャー、フランシス・ホーゲンは、同社のネタを追うメディアの情報戦に火を点けた。

105日、上院小委員会で証言するフェイスブックの元製品マネージャー、フランシス・ホーゲン Photo/T.J. Kirkpatrick for The New York Times

取材・執筆 ベン・スミス

20211024

 フランシス・ホーゲンがウォール・ストリート・ジャーナル紙のテクノロジー・ニュース担当記者ジェフ・ホロウィッツと出会ったのは、202012月の前半、カリフォルニア州オークランド市のシャボー宇宙科学センターからほど近いハイキングコースだった。

 ホーゲンはホロウィッツの思慮深いところが気に入った。彼が以前、フェイスブックがインドの暴力的なヒンドゥー・ナショナリズムの拡散を手助けしているという記事を書いたことにも、好感を抱いた。そしてホーゲンはこう思った。彼なら自分を、フェイスブックの製品マネージャーとして働いた2年間で得た内部情報の単なる情報源として見るだけでなく、個人的にも自分の力になってくれるのではないかと。

 「私はしばらく、ジェフが信頼できる人物かどうか試した。そして、最終的に彼を情報提供先として選んだのは、他の記者と比べてセンセーショナルな記事を書く可能性が低かったから」。ホーゲンはプエルトリコの彼女の自宅から応じた私との電話インタビューで、そう話した。

 ホーゲンは数万ページに及ぶフェイスブックの内部文書を持ち出した。リークの量としては今世紀最大だ。そしてウォール・ストリート・ジャーナルは、913日からフェイスブックの内部事情に関する詳細な記事を連日のように掲載した。ホロウィッツ以外の記者の書いたものも含めると主要な記事だけで11本にも及び、どの記事にも「フェイスブック・ファイル」という読者の興味を引く共通の見出しが付けられていた。

105日、上院小委員会で証言するフェイスブックの元製品マネージャー、フランシス・ホーゲン Photo/T.J. Kirkpatrick for The New York Times

 ウォール・ストリート・ジャーナルの記事は様々な事実を白日の下に晒した。例えば、大統領選挙に敗れた当時のトランプ大統領は選挙の不正を訴えたが、そうした政治的意図を含んだウソをフェイスブックの幹部がどう扱ったのかが明らかになった。同紙の一連の記事はまた、若者のフェイスブック離れが起きるなか、若者をつなぎ留めるためにフェイスブックがどれだけ危ない橋を渡ろうとしていたかも、つまびらかにした。

 ウォール・ストリート・ジャーナルはホーゲンの人物像を描いたポッドキャストも制作した。その中で彼女を、冷静さと厳しさを持ち合わせた非常に高潔な人物として紹介した。ホーゲンを長時間取材したホロウィッツは、彼女は実際にその通りの人物だと私に言った。だが、ポッドキャストのエピソードは同時に、ウォール・ストリート・ジャーナルが貴重な情報源である彼女を非常に丁寧に扱っていたことを示している。

勝手に行動し始めた情報源

 だからこそ、107日、ホーゲンの代理を務めるPR会社が開いたズーム会議に参加したホロウィッツと同僚の2人の編集者は、嫌な気分を味わった。その会議には、ほかに17のメディアの記者が参加していたのだ。

 その場でホーゲンは、彼女が持ち出したフェイスブックの内部文書を短く編集し直した情報を、参加者に提供した。情報は解禁日時付きで、それ以前の掲載は禁じられた。会議の進行はPR会社が取り仕切った。ちなみにそのPR会社は、オバマ元大統領の側近だったビル・バートンが立ち上げた会社だった。ホーゲンのプレゼンが終わるころ、ホロウィッツと2人の同僚は、自分たちが奇妙な状況に置かれていることに気付いた。それまで多くのスクープ記事のネタを彼らに与えてくれた情報源が、勝手に動き始めたように彼らには見えた。

 ズーム会議に参加した3人の証言によると、ウォール・ストリート・ジャーナルのエディターであるジェイソン・ディーンは会議中、「これはちょっと気まずいな」と述べたという。

 ウォール・ストリート・ジャーナルの3人は会議の終了を待たずに退出した。会議にはほかに、アトランティック、AP通信、CNNNBCニュース、フォックス・ビジネス、ニューヨーク・タイムズといった米国メディアの記者に加え、欧州メディアの記者も参加していた。みな4日後の1011日に指定された記事の解禁日に合わせ、提供された資料を熟読した。ただ、実際には、早くも会議翌日の8日夜には記事が流れ始めていた。

「メガ・リーク」の時代

 私たちは情報が次から次へとリークされる「メガ・リーク」の時代に暮らしている。そしてメガ・リークを可能にしているのは、人々が互いの行動を見張ったり、日常生活を記録したりすることを助ける最新のデジタル技術だ。リークは、その情報源と情報の媒介者にニュースメディアを上回る新たな力を与えている。しかし同時に、リーク情報は社会にどう伝えられるべきかという微妙な問題も提起している。とりわけ重要なのは、貴重な情報源とその情報源から利益を得る記者との間の力関係に関する問題だ。

 リークの形態はいくつかあり、1つは、米軍や国務省の秘密ファイルが漏洩したときのように、コンピューター内のデータを修正する際などに外部記憶装置に出力されたファイルの中身が、内部告発サイト「ウィキリークス」や匿名のサーバーから公にされたケースだ。一方、エドワード・スノーデンがリークした情報に基づいた国家安全保障局の秘密ファイルに関する記事や、ザ・インターセプトがスクープした米軍のドローン攻撃に関する記事のように、情報源との信頼関係を築いた記者が取材して書いたケースもある。

エドワード・スノーデン Photo/Getty Images

 1100万件以上のリーク文書からなるいわゆるパナマ文書に関する記事や、それ以降に相次いだ国境を越えた脱税の実態を暴いた調査報道は、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)の働きによるところが大きい。ICIJは世界各地の数百人の記者と連絡を取り合い、記者たちの共同作業を実現させた。作業に参加した記者は、セキュリティー対策のとられたサーバー上でパナマ文書を読解したり互いの原稿に目を通したりしながら記事を書き上げ、ソーシャルメディアで発表した。

 場合によっては、内部情報をいつどんな方法で公開するかという決定権は、リーク元やコンピューターに不正侵入したハッカー自身が握っていることがある。2016年の米大統領選期間中に流された情報がそうだ。このケースでは、クレムリンが指揮したサイバー攻撃によって、民主党全国委員会の内部文書がウィキリークスを通じて漏洩したが、漏洩のタイミングは同党に打撃を与えるにはこれ以上ないという絶妙のタイミングだった。

 逆に、主要な情報源がリークのタイミングや方法をICIJなど記者側に委ねる場合もある。この場合、記者は元々の情報に独自の取材や分析を加えて公表する。

 ICIJ事務局長のジェラード・ライルは「記事をどう書くか、情報源に指示されるわけにはいかない」と語る。

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