「領土神話」が日本人の思考を麻痺させている
日本がかかえる三つの領土問題はどうすれば解決するのか。

まえがき なぜ今、領土問題を考えるのか

  われわれ人間の自由意思は奪われてはならないもので、かりに運命が人間活動の半分を、思いのままに裁定しえたとしても、少なくともあとの半分か、半分近くは、運命がわれわれの支配に任せているとみるのが本当だと、私は考える。

(ニッコロ・マキアヴェリ『君主論』中公文庫、143ページ)

 原発安全神話と領土固定神話

 311に至る日本人の考え方が、今、少しずつ明らかになりつつある。

 二〇一一年十一月二十七日の『NHKスペシャル』は、驚くべき番組だった。

 福島第一原発をつくってきた人たちが、いつからか、「原発をつくる以上は、絶対に安全である」という神話にひきずりこまれ、これに疑義をさしはさめば「大変なことになる」という思いにじゆばくされ、相当数の方々が、このままでは何かおかしいということを思いながら、ついに声をあげることができなかったというのだ。

 それでも、事故発生時の危険にある程度正面から取り組んだレポートが公式にとりまとめられたのが、二〇一一年三月七日、運命の津波が福島を襲った四日前だった。当然このレポートに提起された措置は、まったく間に合わなかったのである。

 番組を見ながら、恐怖にとらわれた。

 この縮図は、戦後日本、より正確に言えば、平成の二十年の日本のすくみ現象の象徴であるのみならず、私が直接携わってきた北方領土交渉の姿そのままではないか。

 戦後の領土交渉の中からいつのまにか「四島一括のみ、正義は我にあり」という神話が生まれ、やがてこの神話が現実であるという錯覚がまんえんし、現実を直視して何か言えば「大変なことになる」というムードが日本を覆って、すでに、二十年以上になる。この間現実を直視して交渉しようとした人々は、理由はなんであれ、交渉から排除されていった。

 今、もはや立ち上がれなくなる大津波の第一波が押し寄せている時に、我が国の指導者と世論の大部分は、「正義と四島一括」の神話にしがみつき、現実に根差した交渉にかじをきろうとしない。すべてが押し流された時に、「そのような事態は起きるはずがなかった」と思ったときの眼前の風景は、311の津波の後に何もなくなった東北太平洋岸の荒涼たる姿に重なる。

 しかも、驚くべきことに、たけしませんかくの二つの問題についても、程度の差はあっても同じような「領土神話」が今生まれつつある。このまま放置すれば、それぞれの領土神話は、かけがえのない、日本と韓国、日本と中国の基本関係をゆがめかねない。

 この本は、そういう「領土神話」の迷妄を、微力を尽くしてうちやぶろうという試みである。志を同じくして、ともに作業してくださるのは、昭和史の泰斗さかまさやす氏である。

 いまなら、まだ、一番大きな津波が来る前に、タッチの差で、間に合うと、私は思うのである。

 日本をとりまく領土問題に異変がおきている

 いつからそのことをはっきりと感じ始めたのだろうか。

 たぶん二年前の二〇〇九年の末ころだったと思う。北方領土交渉が半端でない形で壊れていった。きっと良くないことが起きる。そう思っているうちに、翌年二〇一〇年十一月にロシアのメドベージェフ大統領の国後くなしり島への訪問という激震がおそってきた。ゴルバチョフ大統領登場以来、様々な曲折はありながらも曲がりなりにも続いてきた日露領土交渉はいったん幕を閉じてしまった。

 その二ヶ月前の九月には、中国漁船の尖閣諸島領海への侵入があり、国内法に従って粛々と対処しようとした日本政府に対し、船長の釈放を求める中国側から強烈な圧力がかかり、この圧力は、船長を釈放するまでやむことはなかった。

 二〇一一年に入り、竹島問題についても、二〇一二年から採用される新教科書に竹島をめぐる領土問題についての記述が増えたというだけで、韓国は竹島に海上基地をつくって科学研究をすすめ日本に抗議するという激烈な反応がでた。更には、竹島問題を研究するために鬱陵ウルルン島に赴こうとした三名の国会議員に対する猛烈な反対運動が発生、韓国政府は「身体の安全を保障できない」として、入国を認めないという事態にまで発展した。

 もちろん今まで、なにもかもうまくいっていたわけではない。それぞれに、難しい事態はたくさんあった。けれども、今回は、今までとは違った異変のような気がした。ロシアは、大統領が四島を堂々と訪問するほど日本側を見切った対応をしたことはなかった。中国の漁船が、単に尖閣の領海に入るだけではなく、海上保安庁の船に体当たりを試みるほどの行動に出たことはなかった。いやしくもわが国会議員が、争点となっている竹島ではない、日韓間で領土問題にまったくなっていない鬱陵島に入り、いわば竹島問題の勉強をしようというだけで、「入国したら身の安全が保障できない」というほど世論がげつこうしたこともなかったと思う。しかも今回起きていることには共通性がある。いわば、どの場合も、日本に対して高飛車に出てきているのである。素朴な気持ちで言えば、「馬鹿にされている」のである。なぜ、このような情けない状況になってしまったのか。

 経済、政治の弱体化が侮りの要因

 日本のマスコミに登場した数々の論評を見ると、その論調は、おおむね二つの点に集約されていたと思う。

 まず、日本の国際場裏における力の弱体化である。国際関係では、力は様々な形で定義される。最も伝統的な要因は軍事力であり、その重要性は今も変わらない。けれども、経済力を核とした国の通商力も力の一つであるし、更に最近では文化の力を核とするソフト・パワー、軍事力、経済力、文化力を総合したスマート・パワーなどの定義も行われてきた。いずれの視点から力を考えるにしても、その国が持てる力を糾合し、有効に活用する政治力は欠かせぬ要因として考えられてきた。

 軍事力を最小限の自衛力に限定し、国際法で認められた集団的自衛権の行使すらも憲法の解釈として抑制してしまった戦後の日本は、軍事力による強国として認識されたことはなかった。けれども、敗戦の国家的壊滅から、「富国平和」の道をまっしぐらに走り、昭和の末には、冷戦の勝者アメリカをして怖れさせるだけの経済大国としての力を身につけた。日本が、経済力で世界のトップを走っていた時、世界の各国は、その経済力を尊敬し、自分にとって有利に活用する、少なくとも自分にとって不利にならないようにするために、それなりの日本への尊敬と配慮を示してきたと思う。

 その日本の経済力が、一九九〇年代以降、平成の時代、バブルの崩壊とともに陰りを見せ始めた。少子高齢化にともなう新しい形での財政支出の必要性にもかかわらず、無思慮に続けられた公共事業の後、財政赤字削減、一九九七年の消費税アップ(三パーセントから五パーセントへ)問題への対処に失敗した一九九八年のはしもと経済政策、二〇〇一年から競争社会実現をめざしたいずみ改革によるセーフティーネットの弱体化、一連の経済・社会政策の迷走によって、かつての経済大国日本の姿は国際社会から見えなくなった。

 この経済力の弱体化に、政治力の弱体化という致命的な現象が加わった。小泉総理以降、自民党三代、民主党二代の短期一年政権は、単に総理大臣個人の資質の問題ではなく、日本という国の政治制度の中に、リーダー育成に失敗した何か致命的なものがあるのではないかという印象を世界にばらき始めた。

 しかも、アジアにおいては、中国は言うに及ばず、インド、韓国、ASEAN、それぞれに猛烈な発展を示している。ソ連邦の解体によって一時は国際政治の前面から消えたロシアも、体力を回復しつつある。中国、韓国、ロシアそれぞれに、教育と政治の中に国家のリーダー育成の制度が組み込まれ、よかれあしかれ明確な国家目標をもってまいしんしている。日本との落差が拡大することは如何いかんともしがたい。

 日米関係の混乱が拍車をかける

 もう一つは、民主党政権登場以降の対米外交の失態である。自民党政権時代は、日本全体の力の相対的低下は否めなかったが、対外関係では、アメリカとの関係は大事にしてきた。正確に言えば、一九九〇年代前半は、経済の一人勝ちをねらうアンフェアな国であるという印象、及び第一次湾岸戦争における「金は出すけれども人は出さない」「出す金もいやいやながら」という自己中国家の印象によって、日米関係はものすごくギクシャクした。しかし、一九九〇年代の後半、双方関係者の努力によって同盟再定義が進められ、一九九六年の新安保宣言、一九九七年の日米防衛ガイドラインの採択と続き、小泉首相登場と二〇〇一年の「911」のあとの「アメリカと共に立つ」という姿勢は、とにかく国際関係における日本の立場を安定したものにしてきた。在日米軍基地、特に沖縄の問題は、非常に難しい問題ではあったが、米軍再編の下で二〇〇六年の「ロードマップ」が合意され、在沖縄米軍の削減を織り込んだ防衛協力は進みつつあったのである。

 しかし、二〇〇九年脱自民党の期待をうけて民主党政権が成立した後、はとやま総理から「てん基地の米軍の海外移転、少なくとも県外移転」の提案がでたところで、沖縄では、基地問題をめぐる積年の苦しみが爆発した。その後、建前として普天間基地の移転は維持されることとなったが、沖縄県民の同意を得る見通しはまったくたっていない。在日米軍をなんらかの形で受け入れずに、同盟関係の維持発展もまた望むべくもない。

 国力の弱体化と外交の基軸たる日米関係の混乱と、日本のこの弱さに乗じて、ロシア・中国・韓国が、領土問題でいいように日本をついてきた。こういう見方がマスコミに幅広くでまわった。

 根本的には、領土問題に対する日本の立場をきちんとしたものにするためには、これら、国内政治における経済政策と政治のリーダーシップを整え、外交政策における優先課題をきちんと処理し、日本の立場を強固なものにする方策しかない。以前外務省に勤務し二〇〇二年の退官後も国際関係の勉強を続けてきた私としても、この点はまったく正しいと思うのである。しかし、問題がここで終わっていたら、筆者が本書を今どうしても書いておかねばならないと思うだけの要因はない。問題はここから後である。

まえがき なぜ今、領土問題を考えるのか(2)

この作品では本文テキストのコピー機能を制限しています

01