「三菱東京UFJ銀行の乱」とは何だったのか?
水野史観、炸裂! 大ベストセラー『資本主義の終焉と世界の危機』を継ぐ著者渾身の書き下ろし! 21世紀に株式会社の未来はあるか?

1章 株高、マイナス利子率は何を意味しているのか

「資本帝国」の株高vs.「国民国家」のマイナス金利

従来、「株価」と「利子率(金利)」はどちらも、景気の尺度でした。企業利益の増加は雇用者所得の増加を伴っていたからです。ところが、21世紀になると、この関係が断ち切られ、雇用者所得が減ろうが減るまいが利益だけが増加するようになって、「株価」はいわば「資本帝国」のパフォーマンスを表す尺度へと大きく変貌しました。

一方、「利子率」は、人類5000年の歴史を通じて、「蒐(*1)」の尺度です。中世においては農地を「蒐集」することで、近代になると工場や店舗などの生産力(あるいはその反対側にある資本)を「蒐集」することで、どの時代の為政者も秩序維持をはかってきました。秩序が維持されているほど利子率が低いことは、中世で最も栄華を極めたイタリア、近代覇権国のオランダ、イギリス、米国、そして経済大国の日本、ドイツをみれば明らかです。近代においては「利子率」は、国民の生活水準の良し悪しを表す「国民国家」の尺度であり、理想はゼロ金利なのです。

では、現在の日本のマイナス金利は、何を表しているのでしょうか?

資本を含めたあらゆる蒐集は必ず「過剰、飽満、過(*2)」に行きつきます。蒐集の尺度である利子率がマイナスになったということは、いよいよその限界が近いことの表れです。

国家と国民の離婚

20世紀までの株価は利子率と連動していました。株価は企業業績を反映し、付加価値を分配面からみれば、企業利益は最終項目(残差調整)としての役割を有していましたから、株価が上昇するときは好況で、雇用者報酬も増加しました。

1997年までは雇用者報酬は不況でも減少することはなく増加基調にあったので、貯蓄が可能でした。貯蓄の増減は利子率によって決まっていたので、株価(企業業績を反映した)と利子率は同じ方向に動いていたのです。

ところが、20世紀末になると、新自由主義が世界を席巻し、国家は、国民に離縁状をたたきつけ、資本と再婚することを選びました。当然、このことは「株価と利子率の離婚」を意味します。

「資本帝国」においては、雇用者所得を減少させることで株高を維持し、資本の自己増殖に励むことになります。資本蓄積を表す自己資本利益率(ROE1株当たり最終利益/1株当たり自己資本x100)は2001年度をボトムに上昇傾向に転じたのに対して、家計の純資産蓄積率(純貯蓄/個人金融資産X100)は21世紀に入って、いっそう低下傾向を強めていきました(図1)。

家計の所得を測る指標はいくつかありますが、最も適切なのは一人当たり実質賃金(厚生労働省「毎月勤労統計調査」)です。この指標が国民一人ひとりの生活水準の良し悪しに直結しています。

一人当たり実質賃金は199713月期をピークに、最新の201646月期にいたるまで、年率08%で減少しています(図2)。

政府は、20162月から6月まで5か月間、一人当たり実質賃金が前年同月比でプラスに転じたといいますが、201546月期のボトムと比べて現在の水準は、わずか12%しか上昇していません。

199713月期のピーク時から現在にかけて142%も減少しているわけですから、ここ数か月の回復を誇ってみても、それは些末なことです。

もちろん、これから趨勢的に上昇する政策の裏付けがあるのでしたら、期待できます。ところが、その期待は政府(経済産業省)が2014年に公表した報告書で裏切られることになります。これについては、後述します。

家計は勤労所得からは貯蓄ができないため、資産形成にはもっぱら価格の値上がりする資産を保有するしかありません。「資本帝国」の仲間入りをしないと資産形成ができなくなったのです。「パナマ文書」はそれを白日の下に晒しました。しかし、全員が「資本帝国」に入ることはできません。巨額の金融資産をすでに保有していることなど、帝国への参加資格が厳しくて、国民国家の全員が仲間入りすることはできないのです。

株価は過去最高益を更新中の大企業(資本金10億円以上)の収益性改善、すなわち、ROEの上昇を反映して値上がりする一方、利子率は工場や店舗など過剰資産(過剰資本)を反映して、マイナスに転じました。

家計の貯蓄は企業が新たに工場や店舗などを建てるときの原資です。家計の純貯蓄(=貯蓄から住宅投資を控除)がゼロということは、家計サイドからみると、新たな工場や店舗はもう要らないといっていることになります。

もはや株価や利子率は景気の体温計ではありません。国民と国家が一体化していた国民国家の時代においては、両者は景気の体温計でした。企業サイドからみても家計サイドからみてもそれはコインの裏と表であって、みている対象物はどちらも「国民国家」の経済でした。

しかし、21世紀になると、資本家が、ヒト、モノ、おカネを国境を自由に超えて移せる手段を手にしたことで、株価は世界の企業利益を映す鏡となり、利子率は国境で分断された国民の所得を映すようになったのです。

政府のROE8%超要請

経済産業省は、20148月に、「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト(座長:伊藤邦雄 一橋大学大学院商学研究科教授)を公表しました(いわゆる「伊藤レポート」)。この報告書では、「グローバルな投資家との対話」をする際の最低ラインとして、「8%を上回るROE」を達成することに各企業はコミットすべきだとしています。

そして、2015年度になると、日本企業の上場企業に近い大企業・全産業(財務省「法人企業統計」ベース)のROE74%まで高まっています。8%まで、もうあと一歩のところまできたことになります。

しかし、この企業収益の改善は、おもに人件費の削減によってもたらされたものです。

大企業・全産業の付加価値は2014年度で935兆円です。不良債権問題が顕在化した1994年以降、最も縮んだのが1998年度の824兆円でした。

そこで、この年の前後で付加価値の中身がどう変化したかをみたのが、次ページのグラフです(図3)。国民と国家が離婚して「資本帝国」化へ突き進む過程が一目瞭然です。

バブルのピークだった1989年度から1998年度にかけて大企業・全産業の付加価値は709兆円から824兆円へと115兆円増加しました。「失われた10年」の間にも、大企業の付加価値が減少することはなかったのです。中小企業も含めた全規模ベースでみても、同じです。

そして、そのうち、134兆円が人件費の増加に回った結果、大企業の営業純益(営業利益から支払利息等を控除した金額)は11兆円減少し、ROEもわずか01%にまで低下しました。

ところが、1998年度から2014年度の「失われた20年」の後期になると、大企業の付加価値は111兆円増加し、うち営業純益175兆円増に対して、人件費は26兆円減少しました。

日本の「資本帝国」化を押し進めたのは、1990年代から世界中で猛威をふるったグローバリゼーションです。外国の労働者との競争を名目に賃下げが行われたのです。

人件費削減に正当性はあるのか

1990年代の付加価値増以上に人件費が増えたことに問題があるのか、21世紀に入って付加価値増以上に営業純益が増加することに問題があるのか、一体どちらなのでしょうか。この問題に答えを出すには、「限界労働分配率」という概念の手助けが必要です。

労働分配率とは人件費を付加価値で割った比率です。通常、たいていの国は60%から70%で推移し、日本も例外ではありません。

「限界」というのは、追加1単位付加価値が増加したときに、人件費はどれだけ増えたか、その比率です。たとえば、ある期の労働分配率が70%のとき、次の期において付加価値が1単位増加したときに、人件費も07増えれば、限界労働分配率は10ということになり、その期の労働分配率は、前の期と変わらず70%です。

では、戦後日本の大企業の限界労働分配率はどうなっているでしょうか(図4)。

196386年度までは、限界労働分配率は106で、概ね1に近い数字で安定していました。

1980年代後半から始まったバブル期になると、限界労働分配率は10を大きく上回って、1431998年度)まで上昇しましたが、その後、労働規制の緩和などの政策や企業リストラで2000年度には10を下回り、2004年度にマイナス値となり、現在までマイナス値のままです。

1988年度から1999年度までの12年間に、限界労働分配率が10を超えていたので、その調整という意味で、2000年度から10を下回ったのは事実でしょう。しかし、限界労働分配率が10を大きく、しかも長期間にわたって下回るというのは、労働の成果を認めないということにほかなりません。近代の理念に対する資本の反逆なのです。

1988年度から1999年度までの労働分配率10を超えた期間、そしてその後、10を下回った期間の2つを通じて、仮に労働分配率が10を維持していたら、人件費はどうなったかを計算してみたのが左のグラフです(図5)。

2014年度は580兆円となって、実際の514兆円を66兆円も上回っていたことになります。この66兆円は、本来なら雇用者が手にすべき所得だったのです。

しかも、この66兆円は1年だけの金額です。2002年度から2014年度までの累計逸失利益、つまり本来雇用者が受け取るはずだった利益の累計は、大企業だけで437兆円にも達します。1991年度から1999年度までの「失われた10年」で、人件費が固定費だったときに人件費に過大に支払われた100兆円を控除して計算しても、337兆円です。

では、そのお金はどこに行ったのか? ピケティの表現を借りれば、株主や経営者が「レジに手を突っ込んで」不当に得た、ということになります。

このように、「失われた20年」の前期と後期では、分配のあり方が180度変化しました。そのきっかけは19955月に日本経営者団体連盟(以下、日経連。現在の経団連)が出した報告書「新時代の『日本的経営』」にあります。この報告書は建前上、多様な就業形態に対応するためとしていますが、派遣労働の全面解禁への道を開き、労働の低賃金化に大きな役割を果たすものでした。

実際、1994年には203%だった非正規社員の割合は、201616月期には373%へと高まっています(総務省統計局「労働力調査結果」)。非正規社員の78%は月給20万円以下で(厚生労働省「平成26年就業形態の多様化に関する総合実態調査の概況」)、一方、正社員のそれは741%が20万~50万円です。仮に、非正規社員の月給を正規社員の半分だとして、1995年以降、非正規社員の割合は17%増加したわけですから、雇用者全体の一人当たり賃金は85%減少することになります。

すなわち、この20年間で実質賃金は142%減少したのですが、そのうちの6割は、正規から非正規雇用へのシフトによるものだと推察できます。そして、それは、19955月に日経連(現経団連)が出した報告書に原因があるといえるのです。

ところが、経団連は20056月に、「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」を公表して、それを年収400万円以上の人へ適用することを提案。さらなる人件費削減を呼びかけました。一方、経済産業省は企業に「稼ぐ力」の強化を要求していきます。

201212月に成立した第2次安倍晋三政権下での第4回経済財政諮問会議・産業競争力会議合同会議(2014422日)においては「個人と企業の成長のための新たな働き方」と題するペーパーが提出され、「新たな労働時間制度」すなわち、「業務遂行・健康管理を自律的に行おうとする個人を対象に、法令に基づく一定の要件を前提に、労働時間ベースではなく、成果ベースの労働管理を基本(労働時間と報酬のリンクを外す)とする時間や場所が自由に選べる働き方」が提唱されました。

さらに、この直後の2014425日には、経済産業省は「日本の『稼ぐ力』創出研究会」を立ち上げ、「グローバルな競争下で、我が国産業の収益力(「稼ぐ力」)をいかに高めていくか」という問題意識のもとに、日本の「稼ぐ力」が弱かったのは「技術優位にある企業が、『先端的イノベーションの創出』という価値観を最優先し、『稼ぐ』ことへのこだわりが弱かった」からであり、「日本の経営者はROEといった財務指標を軽視してきたのではないか」などと診断しています。

この研究会をうけて20148月に提出されたのが、前述の「伊藤レポート」。そこでの結論が、「稼ぐ力」とはROEを高めることだ、というものだったのです。

たしかに、政府、財界が「資本国家」の視点をもっているのであれば、「稼ぐ力」は資本が自己増殖するために必要とされます。しかしながら、政府、経産省、そして財界に決定的に欠けている視点があります。それは、「国民国家」の視点です。この視点からみれば、「稼ぐ力」は国民があれもこれもほしいといっている場合には必要ですが、モノ余りになったときに必要とされるのは、「何が適正なのか、それを考える力」です。

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