深海底は、人類の無知、無能を暴きだす
日本でおよそ20人、全世界でも40人前後しかいない深海潜水調査船のパイロット。日々、深海を旅する彼らは、そこで何を見、何を考え、何を体験しているのか?

第一部 深海には面白いエピソードがいっぱい(藤崎慎吾)

第一章 どうやって深海を調べたらいいの?

──潜水調査技術が確立するまでの苦労話、裏話

初潜航は、わずか二〇メートル

 一九八二年一月二六日、冬の相模湾、初島沖──。穏やかに晴れた海上は、緊張と興奮に包まれていた。支援母船「なつしま」の格納庫から潜水調査船「しんかい二〇〇〇(以下、2K」が、台車に乗せられてゆっくりと引きだされてくる。白い船体に真っ赤な昇降筒と垂直安定フィンが、まばゆく映えていた。そして「なつしま」の青いAフレーム・クレーンに吊り上げられた「2K」は空の中に鯨のような船影を浮かべ、やがて波打つにびいろの海へと下ろされていく。青いウエットスーツに身を包んだスイマー(ダイバー)たちがオレンジ色の作業艇で近づき、「2K」の上によじのぼった。そしてAフレーム・クレーンからの吊り上げ索を取り外す。

「なつしま、しんかい、各部異常なし、潜航用意よし」

 支援母船のブリッジにある管制室に声が響いた。

「なつしま了解、潜入せよ」

 浮力を調節するメインバラストタンクから噴気を上げて「2K」は海面下に身を沈めていく。その様子を「なつしま」の人々は固唾を飲んで甲板から見下ろしていた。マスコミ関係者がチャーター船の上で、カメラの放列をつくっていた。着水作業を終えたスイマーたちも、「なつしま」に戻る作業艇の上から気づかわしげに振り返った。そして「2K」の船内では、当時のパイロット(船長)だった坂倉勝海さんが、感無量の思いに浸っていた。日本初の本格的な深海潜水調査船が、第一回目の訓練潜航を開始した記念すべき瞬間である。

 水深六〇〇〇メートルまで潜れる潜水調査船を開発しようという計画は、一九六九年にスタートした。海底資源を探したり、地震のメカニズムを解明したりすることが目的だった。当時、すでにアメリカは初代の「アルビン」で、一八〇〇メートルの海底を自由に調査できるようになっていた。しかし日本もそれほど遅れていたわけではなく、一九五〇年代には北海道大学水産学部の「くろしお」が、海底の科学的な調査に活躍していた。一九六四年には読売新聞社の「よみうり」が完成し、六八年には海上保安庁の「しんかい」が初の試験潜航を行っている。ただ「くろしお」は二〇〇メートル、「よみうり」は三〇〇メートル、「しんかい」は六〇〇メートル程度までしか潜れなかった。それなのに、いきなり六〇〇〇メートルは無理だ、という意見が出て、まずは二〇〇〇メートルを目指すことになった。そして最終的には一九八九年に「しんかい六五〇〇(以下、6K」が完成し、当初の目標を達成することになるのである。本書では深く立ち入らないが、この間のハード的な技術開発の経緯は『プロジェクトX 挑戦者たち 2 復活への舞台裏』(日本放送出版協会)に詳しい。テレビで番組をご覧になった方もいるだろう。

 坂倉さんが潜水調査船の開発に参加したのは一九七五年だった。一九七八年には「2K」の建造が開始され、一九八一年に竣工、開発を担当した三菱重工業から運航を行う海洋科学技術センターJAMSTECに引き渡された。計画参加から七年後の訓練潜航に臨み、坂倉さんは〈ベント弁を開いて潜航を始めた瞬間、長い間の苦労が一挙に吹き飛んだような気分を味わった〉と『潜水調査船「しんかい20001000回潜航記録』(海洋科学技術センター)で回想している。しかし、その気分は残念ながら、あまり長くは続かなかった。潜航からわずか数分後、水深一〇メートルあたりで、いきなり船内に警報が鳴り響いたのである。警報表示板は主電力ケーブル(母線)に海水が浸入し、絶縁が低下したことを示していた。

 この絶縁低下は試験潜航のときから問題になっていた「2K」の弱点である。海水が入ったのはバッテリーなどにケーブルを差しこむコネクタからで、これは家庭の電気製品に用いられるソケットと同じものだ。ただし海水と電線とが接触しないように、まわりにゴムを接着してある。ところが、なぜかそこにじわりと水が入ってきてしまうのだ。最悪の場合は停電となるので、全ての動力や生命維持を電力に頼っている潜水調査船にとっては致命的である。JAMSTECへの引き渡し前に、あれこれ接着剤を変えるなどして問題はなくなっていたはずなのだが、実際に潜ってみると解決されていないことが数分で判明したわけだ。

「母線絶縁低下、直ちに浮上する!」

 警報の鳴り響く中で、坂倉さんは海上の「なつしま」にそう報告し、「ショットバラスト」と呼ばれるおもりを投棄した。このときの水深は二〇メートル。「2K」の最低潜航深度記録で、運航休止になった今でも破られてはいない。いずれにしても無事、海面に浮上することはできた。

 当時、コパイロット(船長補佐)として坂倉さんとともに「2K」に乗っていた田代省三さん(本書の第二部の筆者)は操縦席の下に座っていたが「何が何やらわからんうちに帰ってきた」という感じだったらしい。一方、整備士として運航チームに加わっていた櫻井利明さんは、このときスイマー役をしていた。真冬の海に飛びこんで着水作業を終え、「なつしま」に戻ってさあ一風呂浴びようとウエットスーツを脱いだ瞬間に、再び「スイマー、スタンバイ(準備せよ)」というアナウンスが流れたという。そして冷えきった体を暖める間もなく、緊急浮上した「2K」を揚収しに行かなければならなかった。

 ともあれ、これが日本にとって本格的な深海探査史の幕開けだったのである。関係者はさぞかし前途多難に感じたことだろう。

 その後、コネクタの問題については、水が浸入する経路を長くして電線に達するのを遅らせたり、ゴムの材質を変えたり、コネクタの金属表面をざらざらにして接着剤がよくつくようにしたり、といった工夫をこらして、ようやくまともに潜れるようになった。それでも時々、絶縁低下は起きたので、根本的な解決には至っていない。ただ履歴をとってみると合計で何時間潜れば水が浸入するかというのが、だんだんわかってきた。そこで浸入する前に、どんどん取り替えていこうということになった。後に超音波探傷技術なども導入して、毎年、全てのケーブルを点検し、怪しいものも取り替えることにした。これで事実上、問題は解決したのである。そして「2K」に教訓を得た「6K」では、コネクタを全部油漬けにする方式を採用したので、水の浸入は全くない。

第一章 どうやって深海を調べたらいいの? (2)

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