高江洲の脳裏には、琉球検察の先輩たちから語り継がれ、まるで自分の記憶のように焼き付いた光景がある。
1945年──。4月に米軍が沖縄に上陸すると、沖縄検事局の職員たちは那覇から豊見城へと南方に、その職場を〝疎開〟させることになった。
背丈を超える紙をうず高く積んだ荷車が砲火の中を走っていく。艦砲射撃は激しさを増していた。空からは米軍機の爆撃が狙っていた。それを避けるためにも移動は夜間に限られた。那覇から豊見城まで、徒歩だと早くても一晩はかかる。
職員たちはそれぞれ必要書類を持って那覇の庁舎を後にした。夜間移動の危険は足元に潜んでいた。艦砲射撃や爆撃の砲弾で道々の至るところに大小の穴があいてい…
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