「非軍事兵器としてのフェイクニュース」を徹底解説
日本でも見られるネット世論操作はすでに「産業化」している――

第一章 フェイクニュースが引き起こした約十三兆円の暴落

■フェイクニュースはハイブリッド戦兵器

 本書を手に取った方であればロシアのアメリカ大統領選への干渉についてある程度はご存じだろう。ロシアがフェイクニュースやネット世論操作などでアメリカ大統領選に干渉し、トランプ大統領誕生に導いた。日本ではフェイクニュースあるいは、せいぜい世論操作といった文脈で語られることが多いが、これは新しい形の戦争であり、ヨーロッパやアメリカは何年も前からこのタイプの戦争とたいし、そのための体制を整えようとしてきた。

 本書ではフェイクニュースをネット世論操作のひとつの方法として位置づけ、ネット世論操作を現代の戦争のツールのひとつとしてとらえている。そのためフェイクニュースに関する議論にありがちなリテラシー向上やファクトチェックについてはあまり重要視していない。それらは必要であるが、解決策にはならないため、優先的に議論すべき問題ではないと考えている。

 世界の戦争は軍事兵器を駆使するわかりやすいものから、総合的なハイブリッド戦に移行している。ハイブリッド戦とは、軍事兵器だけではなく、国家のあらゆる活動を兵器化する戦争である。経済、政治、宗教、文化、あらゆるものを兵器とし、相手国を支配し、操るために用いる。宣戦布告もなく、多くの攻撃は通常の活動との区別もできない。

 1は、この新しい戦争=ハイブリッド戦とネット世論操作、フェイクニュースの関係を整理したものである。この表はNATOEUが二〇一七年に設立した欧州ハイブリッド脅威対策センター(The European Centre of Excellence for Countering Hybrid Threats)が二〇一八年五月九日に発表した『ハイブリッド脅威への対処(Addressing Hybrid Threats)』に掲載されているハイブリッド脅威のリスト(各項目間でじゃっかんの重複もある)をもとに作成した。

 ご覧いただくとわかるようにフェイクニュースはネット世論操作のひとつであり、ネット世論操作はハイブリッド脅威のひとつである。そしてハイブリッド脅威に従来の軍事行為を加えるとハイブリッド戦となる。ロシア参謀総長ゲラシモフによると現在の戦争における比重は四:一でハイブリッド脅威の方が従来の軍事行為よりも高い。

 ハイブリッド戦においてSNS世論操作の重要度は増している。その大きな理由としては匿名性が高く、戦闘のあらゆる局面で利用可能、成功した際には大きな打撃を与えられ、そしてコストとリスクが少ないことがあげられる。

 ハイブリッド戦のもとになる考え方は一九九九年、中国のふたりの軍人が発表した『超限戦』で明示された。ゲラシモフは二〇一三年に公表したゲラシモフ・ドクトリンで、〝アラブの春〟について、戦争ではないから我々軍人には関係ないと言うのは簡単だが、それは大きな誤りだと指摘し、二十一世紀における典型的な戦争と考えるべきだとしている。さらに旧来の軍事兵器よりも非軍事兵器による攻撃の方が効果的とまで主張し、非軍事兵器と軍事兵器の比重は四:一で非軍事兵器の方が高いとした。

 なお、このゲラシモフ・ドクトリンは、実際にはゲラシモフが「Military-Industrial Courier」に発表した「The Value of Science Is in the Foresight」という記事である。元NATO報道官で軍事アナリストのベン・ニモによればその記事を「ドクトリン」と呼ぶかどうかについては議論があるが、ロシアの軍事ドクトリンの一部は、ゲラシモフが書いたものとほぼ同じで彼の考えを反映しているのは確かだという。

 二〇一四年に発表された新しいロシアの軍事ドクトリンでははっきりと戦闘の定義が拡大されており、なおかつ非軍事兵器の重要さが示されている。ロシアは、「ソビエト連邦は核兵器競争では負けなかったが、西側の世論操作で崩壊した」と考えているのだ。

 中国の『超限戦』からゲラシモフ・ドクトリン、そしてロシアの軍事ドクトリンへと続く流れは、現代の安全保障あるいは軍事が、あらゆるものを兵器としてとらえた統合的な戦いを想定しなければ成立しないということを示している。少なくとも対中国、対ロシアでは軍事と経済などその他の側面を個別に考えていては適切な対処ができない。そして最近注目を浴びているサイバー攻撃や情報戦も攻撃の多様な選択肢のひとつでしかない。

 二〇一五年にはEUがロシアのフェイクニュースに対抗するために"East StratCom Task Force"を発足させ、二〇一七年にはEUNATOが欧州ハイブリッド脅威対策センター(The European Centre of Excellence for Countering Hybrid Threats)を設置した。

 二〇一八年七月に開催されたNATOサミット後の宣言(Brussels Summit Declaration)には、ロシアからのフェイクニュース(disinformation campaigns)を始めとするハイブリッド戦の脅威にさらされていると明確に記載された。

 前出のベン・ニモは次のように警告している。

 民主主義は議論によって成り立っており、議論がゆがめられたり、誤った情報に基づいたりすれば結論も歪んだものとなる。ネット世論操作の一番の問題はきわめて過激で感情的になる点だ。人々は恐怖、怒り、差別を拡散する。ネット世論操作のゴールは人々を怒りや不安に陥れること。そうなった人々はふだんと異なる行動パターンをとる。より攻撃的で過激になり、民主主義に対する脅威となる。

■ネット世論操作が狙う社会の四つの脆弱性

『情報操作 デモクラシーへの挑戦(INFORMATION MANIPULATION A Challenge for Our Democracies)』(二〇一八年八月、前出)によれば、ケーススタディを通じてネット世論操作が共通して狙っていた四つの脆弱性が浮かび上がってきたという。

・少数民族の存在 レポートではバルト三国を例にして、各国のロシアコミュニティをロシアが操った内容やドイツのロシアコミュニティにフェイクニュースを流して暴動を起こした事件を紹介している。

・内部分裂 国内に少数民族がいなくても内部分裂を引き起こすことができる。ロシアに対して比較的うまく対処していたポーランドだが、ボットやトロールを通じて選挙への影響を与える試みが観測されているという。

・他国との緊張関係 国家間の緊張の高まりはネット世論操作のチャンスとなるため、ポーランドと周辺諸国との間に緊張の種をまき、ヨーロッパで孤立させようとしている。

・脆弱なメディアのエコシステム ゴシップ紙や陰謀論サイトに人気があり、メディア自身もそれを受け入れる倫理的な弱さがある状況である。アメリカはこの点で脆弱でつけ込む隙があり、フランスはそうではなかったことがフランス大統領選においてロシアの干渉が失敗した理由となっている。

 アメリカはこれら全てに当てはまり、ロシアの大統領選を始めとする干渉を受けてしまい、いまだに混乱している。ヨーロッパの多くの国も同様に社会の脆弱性を突かれた攻撃を受け、選挙への干渉、分離独立騒動などが起きている。

 実は日本もこれら全てにあてはまり、なおかつ今後悪化する傾向にある。

■アメリカ大統領選で勝利したのはロシア?

 ロシアがアメリカの大統領選に干渉したことが暴露された。果たしてロシアの介入が主たる原因でトランプ大統領が誕生したのか、あるいは影響はほとんどなかったのかはまだ定かではない。

 今のところわかっている範囲での大きな出来事としては次の五つがあげられる。

・民主党とクリントン陣営のメールがハッキングされ、暴露された

・大統領選挙期間中に民主党全国委員会(DNC)とクリントン陣営の選挙対策責任者であったジョン・ポデスタのメールがハッキングされ、公開された

・フェイスブックから最大八千七百万人件の個人情報がケンブリッジ・アナリティカ(Cambridge Analytica)社に渡り、選挙戦に利用された

・フェイスブックにロシアが広告を出稿し、一億五千万人に表示されていた

・ロシアの操るアカウントがフェイクニュースを拡散していた

 ロシアの干渉は多岐にわたっている。その目的は、アメリカ国内を混乱させ、統一的な行動を取りにくくするためなので結論がどうなっても、これだけ大きな騒ぎになった段階で成功していると言える。

 しかもそれぞれがさらに多くの出来事を引き起こしている。もっとも有名なもののひとつが「ピザゲート事件」だ。米ワシントンのピザ店を根城にする小児性愛者の集団が大統領選候補のヒラリーと関係があるというデマである。そのデマによると、児童の性的虐待と人身売買の国際的な地下ネットワークが存在し、ヒラリー・クリントン側近のジョン・ポデスタ選対本部長と親しいジェームズ・アレファンティスが経営するピザ店「コメット・ピンポン」が拠点になっており、民主党が組織的に関与しているという。「コメット・ピンポン」は、ホワイトハウスからほど近いコネチカット・アベニューに面した場所にある。

 ヒラリー・クリントンと民主党から盗まれたメールの中に児童虐待のネットワークの中心人物がヒラリー・クリントンであることを示すものがあった、というもっともらしい説明も流布されていた。もちろん、そのような事実はない。

 日曜日の午後、事件が発生した。デマを信じ込んだ男がとらわれている子供たちを助け出すために店に押し入った。男はノースカロライナ州在住の二十八歳、エドガー・マディソン・ウェルチ。自動小銃と、拳銃を所持しており、数発を発射した。人身売買組織との戦いに備えての重装備だったという。

 付帯して発生したピザゲート事件のような騒ぎは、ベン・ニモが警告していたことがそのまま現実に起きたのだと言える。ふつうの人々がネット世論操作によっていいように操られ、兵器化されてしまうのである。

 これに限らず大小さまざまな出来事が引き起こされ、いまだにアメリカ国内はもめている。そしてトランプ大統領の気まぐれな施策によって、西側世界全体に混乱が広まっている。おそらくアメリカ大統領選への干渉でロシアが使った費用は戦闘機一機分に満たないだろうことを考えると、ものすごい費用対効果だ。少なくとも対アメリカという意味では戦闘機よりもはるかに大きな打撃を与え、さらなる影響力拡大のためのきようとうを築いたといってよいだろう。

 余談であるが、日本に関するフェイクニュースも流れている。二〇一六年五月二日に『メルケル首相 日本にNATO加盟を提案』と題する記事がスプートニク日本版に掲載された。「ジャパン・ニューズ」が情報源となっているが、そのような媒体は見つからない。

 EUの対ロシアネット世論操作組織であるEast StratComは、スプートニクの記事『Angela Merkel invited Shinzo Abe, Prime Minister of Japan, to join NATO.』について、ロシア以外でこのような情報はない、つまりしんぴよう性がないとしている(https://euvsdisinfo.eu/report/angela-merkel-invited-shinzo-abe-prime-minister-of-japan-to/)。

 ところが筆者が検索してみると、日本国内にはこの情報を信じている人たちがたくさんおり、もっともらしい議論をしたり、重要なニュースとして紹介している。日本ではいまだにこれをフェイクニュースとして否定している記事がない。

 以降の節ではアメリカ大統領選へのロシアの干渉について、個別にその内容を確認してゆきたい。

第一章 フェイクニュースが引き起こした約十三兆円の暴落(2)

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