私自身が豚たちを飼ってみて何を感じるのか、じっくりと気が済むまで体験した
自分で豚を飼って、つぶして、食べてみたい――。前人未踏の体験ルポ

見切り発車

畜霊祭の光景

 タクシーから外に目をやって驚いた。黒い。普段はトラックがたくさん停まっている駐車場に集う人たちは、一〇〇人くらいだろうか。いつもは灰色の作業着か白衣に白い長靴姿で、この屠畜場に勤務したり出入りしている人たちが、老若男女問わず全員喪服で立っている。まるで人間の法要みたいじゃないか。

 二〇〇八年一〇月。よく晴れた土曜日。私は千葉県旭市の千葉県食肉公社で行われる畜霊祭に参加するため、朝一番の高速バスに乗って駆け付けた。上は黒ジャケットを着ているけど、下はデニムパンツだ。どっと汗が噴き出す。牛豚相手に喪服礼服を着て来ようなんて、これっぽっちも思っていなかった。

 ジャケットだけでも黒でよかった。この屠畜場は講演に呼んでくださった縁で、何回か中を見学させていただいている。名前に「公社」とついているが、品川の東京都中央卸売食肉市場のような公営の施設ではなく、民営企業である。

 車を降りて、知った顔を探す。卸業者である旭畜産の加瀬よしあきさんがいた。彼だけは平服だった。助かった。そそくさと背を丸めて加瀬さんの後ろに立つ。集まった人たちは所在なげに駐車場の脇に建ち並ぶ畜魂碑(霊か魂かは場所によって異なる)を眺めている。畜魂碑は古いものから新しいものまで、さまざま一〇基ほど並んでいる。その前に公社職員が机を並べ、僧侶が座ると思しき椅子やマイクを運び、祭壇を作っている。

 碑がいくつも建っているのはこの屠畜場が、合併と移転を繰り返してきた証拠だ。そもそも屠畜場は、一日の処理頭数が牛で一〇頭以下というような、小規模なものが各地に散在しているものだった。千葉県東部にも一九六〇年代後半までは五つの屠畜場があったという。一九八〇年代後半から施設設備の進化とともに、合併と大規模化が進んでいく。

 家畜を搬入する畜産農家の方も、畑仕事の片手間に一〇頭前後を小規模に飼っているところがほとんどだったのが、専業となって大規模な多頭飼いにするか、やめるかの選択を余儀なくされたという。そういえば昔は、田舎に行くとどこの農家も家の隣に牛小屋や豚小屋がごく普通にちょこちょこあった。

 知り合いの実家の隣の家でも畑仕事の合間に牛を五頭くらい飼っていたが、今は倉庫だという。

 屠畜場が移転・合併するたびに、開設とともに作られたそれぞれの畜魂碑も新しい場所に移設する。さらに移動先には記念碑が建てられる。というわけで、どんどん石碑が増えていくのだ。将来ここが移転することはあるのだろうか。その時にはこれらの畜魂碑や記念碑もまた引っ越していくのだろうか。

 ちなみに畜魂碑を建てるという文化を持つ国は、日本の他にない。いや、探しているのだが、いまだ見つからない。台湾の台北市北投地区の市場跡で畜魂碑を見つけたけれど、それは植民地支配時代に日本人が「無理矢理」建てたものだ。二〇〇五年に訪ねた時には、市場のあったところは公園となり、畜魂碑はバスケットコートの片隅でごみと雑草に埋もれていた。

 チャイニーズでこれだ。欧米人に畜霊(魂)碑について話すと信じられないとばかりに笑われる。かわいそうだから鯨を食べるなと言うくせに。鯨なんか、最上級の戒名が付けられて葬られているところだってあるのだが。

 鮮やかな紫色と山吹色の袈裟をまとった二人の僧侶がやって来て畜霊祭がはじまった。机に白い布がかけられた祭壇には、いつのまにか熨斗つきの一升瓶がずらりと並び、焼香箱が三つ並べられていた。

家畜の「天寿」とは?

 千葉県食肉公社の長田光司社長が祭詞を読み上げる。

「……この世に生を受けたものはその使命をまっとうするのが天命であります。又『生きとし生けるもの』は他の動物の命を奪って生きていることも自然の摂理となっております……生ある時は作物の肥料供給源として植物の生産に寄与し、絶ちては人類の栄養源として不可欠の食肉を供給し、皮革として利用されるなどその恵みはあまねく人類発展の為になくてはならない貴重な存在であります。(中略)死して人類の為につくすとはいえ、その生の余りにも短く哀れさに万感の思いを至し感謝の誠を捧ぐるものであります」

 なかなか考えさせられる言葉で思わず聞き入る。続いて食肉衛生検査所所長の祭詞が続く。

「……食は人の健康の源であり、人々が健康で幸せな生活を送る上で、食肉の安全、安心を求める声は至極当然と言えます。私たち食肉に携わる関係者はこの声に応えるべく品質のよい衛生的な食肉の供給に努めなければなりません。……過去一年間に三六万余頭の獣畜が宿命とはいえ天寿をまっとうすることなく捧げられたことはまことに憐憫の情に耐えません。ここに祭られた獣畜の霊が安らかに永遠の眠りにつかれんことをお祈りし祭文と致します」

 若く健康なうちに命を絶たれ肉として食べられることは、家畜にとっての天命なのか宿命なのか。天命というと晴れがましいイメージがあり、宿命というと逃れられない哀しさを感じてしまう。

 それにしても家畜にとっての「天寿」とは何なのか。改めて考えさせられる。動物園の展示動物と違って、家畜が「寿命」まで生きることはほとんどないのだ。

 豚は生後約半年、肉牛は生後約二年半で屠畜場に出荷され、屠られ、肉となる。繁殖用の家畜はそれより長く生きるとはいえ、精子を絞られ続け、出産し続ける状態が「本来の」「自然な」環境なのだと断言はできまい。いや、そもそも人間が利用しやすく改良を重ねてきた家畜で「自然」を語るのに無理があると考えるべきなのか。

 じっとうつむきがちに立っている人たちは、挨拶に聞き入っているようでもあり、終わるまでの時間をただやり過ごしているようにも見える。衛生検査員、卸業者、食肉公社と精肉会社の従業員とパート従業員、みんなこの千葉県食肉公社で屠畜する牛と豚に関わって収入を得ている人たちだ。そして繰り返すがほぼ全員が黒ずくめの喪服だ。数珠を片手にしている女性もいる。

「最近は飲酒運転の取り締まりが厳しくなっちゃったからさ、参加する人もだんだん少なくなってきたんだよ」加瀬さんがさびしそうに言う。

「ああ、昔は終わった後、ここで飲んでたんですね」

「そう、みんなで。昔は畜産農家さんたちもたくさん参加してたんだ」

 言われてみれば、ここに家畜を搬入している何軒かの農家さんの顔を探してみたが、誰もいない。現在はここに集まった人たちは、それぞれバラバラに居酒屋を予約して飲んでいるのだそうだ。

 来年ここに立つ時、私は何を思っているんだろう。

 ここでつぶした三頭の豚の顔を思い浮かべて、手を合わせているはずなんだが。今は業者の列に混ざって焼香しても、デニムパンツが目立たないかとびくびくしながら挙動不審気味に手を合わせるだけだ。何も浮かばない。

 来年の今頃、私は、自分で育てた豚をここに出荷して、屠畜してもらうのだ。そしてそれを喰べる。

豚の一生を知りたい

 二〇〇七年一月に上梓した『世界屠畜紀行』(現在角川文庫)を書くにあたり、およそ一〇年間、国内外の屠畜場を取材して回ってきた。死んで肉となっていく家畜たち、牛、豚、山羊、馬、羊、時にはラクダなどを、合計一万頭近くは眺めてきただろう。

 しかし屠畜場に送られてくる前の段階で家畜たちがどうしてきたかについて、私は何一つ知らないままなのであった。どうやって生まれるのか、どんな餌をどれだけ食べてきたのか、出荷体重まで育てるのに農家は毎日何をしているのか。見当すらつかないまま、運ばれて来ては、屠畜される家畜の姿をひたすら追ってきた。

 それではあまりにもバランスを欠いているのではないだろうか。

 著書の刊行からしばらく経ったある日、ふと、畜産農家を取材してみようと思った。とはいえ、あまりにも何も知らないために、具体的に何を知りたいのかを、農家にうまく伝えることができない。

 テーマを見つけた時はいつもそうだ。そのことがわからなくて、知りたくてしかたがないのだが、どうしていいのかわからない。新聞記者のような切れる頭が欲しい。

 ──まずは家畜が生まれてから屠畜場に送られるまでの一生を、順を追って知る必要があるよなあ。それも料理番組みたいに飛ばし飛ばしに見るのではなくて、同じ時間を共有してみたい。それなら、出産から出荷までの期間が半年の豚を見るのがいいだろう。牛のように、出荷まで三年近くかかる動物に密着するのはなかなか難しい。

 とりあえず何人か畜産農家の方々の話を聞いてみた。しかし話はいかに経営していくかと、いかに美味くて安全な肉を作るかに終始する。当然といえば当然だが、豚についてロクに知らないままに聞いていても、どうもピンとこない。そして豚を実際に見せていただきたいと言っても、嫌がる方が圧倒的に多いことに驚かされた。

 二〇一〇年に宮崎県で口蹄疫が大流行したため、一般の人が知ることとなったが、強烈な感染力を持つ病気が、外部からの人や車のタイヤから、豚舎の豚に襲いかかることを恐れてのことだ。牛と比べて豚は、外部から持ち込まれて感染する病気がとても多い。

 媒介する生物が入り込まないように、農場をフェンスや生け垣で囲むことも、推奨されている。農場の入口には関係者以外立ち入り禁止の看板がものものしく立っているのも、今やごくあたりまえの光景なのだ。フェンスをくぐって農場に出入りする買付業者や飼料会社の営業マンも、みんな事務所で農場主と話すだけで、豚舎までは行かないようにしているし、それでも行く時は必ず靴やタイヤを消毒するのだという。そして万が一豚舎まで行っても、豚には触らないのが鉄則。まるで腫れものにでも触るような話が飛び交っている。

 え、豚ってそんなに弱い生き物だったの?? 南アジアでは人糞まで食べてるのに。まあ、今現在日本で私たちが食べている豚について知らなければ意味がないから、タイやフィリピンの山岳民族の養豚法と比べてもしかたないのであるが。日本人だって衛生的すぎて、アジア旅行ですぐにお腹を壊すくらい弱いのだから、豚も弱くなって当然なのだろうか。

 それにしても、豚がどんな生き物なのか、どんな匂いがして、どんな歯がついていて、どこまで硬いものを嚙めるのか、そんなことすらわからないままに、出荷体重だの味やら格付けについて取材するのは、難しい。

 もともとは残飯や畑のくず野菜を処理する家畜として、気軽に飼える存在だったはずなのに、今やものものしく隔離された空間で、ひっそり育成される動物になってしまって、誰も生きている豚を触ることはおろか見ることすらできないとは。

 ならば畜産農家に住み込みで働こうか。いや、その間仕事をすべて休んでどこにも行かないようにするのは難しい。では極小でも一国一城の主になったらどうだろう? 大規模飼育と同じではないだろうけれど、給餌と給水、豚舎、排泄物処理、ワクチン接種などなど、現在食べるために豚を飼うのにクリアせねばならない課題は、ミニマムであっても共通しているのではないだろうか。

 そうだ、ひと昔前の農家は、みんな農作業の片手間に数頭を庭先でかわいがって飼っていたというじゃないか。あれだ。いろんな国の田舎でも見てきた。あれなら自分の仕事の片手間にもできそうだ。

見切り発車(2)

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