危機的な時代だからこそ、役に立たない「神学」が必要である
「知の巨人」の原点。鬼才・佐藤優はこうして誕生した!
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まえがき

 2年前、50歳になった頃から、人生の残り時間が気になりはじめた。そこで現在抱えている仕事をもう一度見直して、若い世代への伝言となる作品を優先して出すことにした。その第一作が本書『同志社大学神学部』だ。

 10年前の2002年に鈴木宗男事件に連座して東京地方検察庁特別捜査部に逮捕されなければ、わたしが職業作家になることはなかった。外交官としてわたしは情報収集や分析、それからロビー活動に従事することが多かった。仕事の関係で、公電(外務省が公務で用いる電報)、報告書、調書など文をつづることはよくあったが、わたしはこの仕事が好きでなかった。親しくなったロシア人とウオトカをみ交わして、腹を割った話をしても、常に日本政府にとって重要な情報があれば、それを公電にし、暗号をかけて、報告しなくてはならない。友情を徹底的に国益のために利用するインテリジェンスや外交の仕事は、わたしのしようにあわなかった。しかし、できることと好きなことは異なる。客観的に見ると、外務省の他の同僚と比較して、わたしには情報収集や人脈構築の適性があった。そのため、わたしは社交的な性格と思われているが、そうではない。もともと人見知りが激しく、知らない人と話をするのが苦手で、机に向かって本を読むことが好きだ。

 好きでもない外交の仕事に熱中することができたことと、また鈴木宗男疑惑に関連してメディアバッシングにい、東京地検特捜部に逮捕され、独房に512日間閉じ込められていても平然としていたことの間には、恐らく共通する「何か」がある。その「何か」は、わたしが若い頃にキリスト教神学と触れたことに関係している。

 ヨーロッパで、総合大学(ユニバーシティ)と呼ばれるためには神学部を擁することが必要条件だ。法学、哲学、文学、経済学、理学、工学、医学など、神学以外の学問は、人間のために役立っている。一見、実用性がないように見える文学も、近代的な文章語を形成するという産業社会形成にとって不可欠な環境を整えた。「文章の技法」という点で文学は大きな実用性を持つ学問なのである。

 これに対して、神学は、人間の役に立たない「虚学」だ。キリスト教では、人間は原罪を負っていると考える。従って、そのような人間に積極的な価値を見出すヒューマニズムを神学は拒否する。それだから、人間の知的営為を信頼した学問をキリスト教は拒否する。キリスト教は反知性的な宗教なのである。そして、神が罪を負った人間を救済するために、およそ2000年前にたった一度だけ地上に派遣した、真の神で真の人であるイエス・キリストに従うことを教える。人生の目的は、自己実現ではなく、自己を捨てて神の栄光のために働くことだ。

 もっともこのような表現をするのは、プロテスタントの(特に16世紀の宗教改革者ジャン・カルバンの影響を受けた)キリスト教徒なので、それを他の信仰を持つ人にも理解可能な言葉に言い換える必要がある。例えば、「人間は外部からの力によって、生かされている」という表現だ。また、仏教の絶対他力、物質の力、歴史的必然、絶対精神などは、キリスト教徒が神と呼ぶ外部性を人間が別の言葉で表現した例である。

 虚学である神学を学ぶことによって、人間は自らの限界を知る。そして、その限界の外部に、目には見えないが、確実に存在する事柄があることに気づく。このような外部に存在する超越性のおかげで、人間は自らの狭い経験や知識の限界を突破し、自由になることができる。わたしは神学の勉強を通じて自由になることができた。この自由が、外交官になり、ソ連崩壊や新生ロシアの混乱を観察するときも、また鈴木宗男事件に連座して獄中生活を体験したときも、わたしがって立つ基盤になった。

 わたしは19794月に同志社大学神学部に入学した。そのときには、深い考えがあって神学を学ぼうと思ったわけではない。進学校だった浦和高校の雰囲気(外務省に似ている)が体質に合わず、受験勉強が嫌いだったこと、それから高校時代に付き合っていた熱心なプロテスタントのキリスト教徒で、お茶の水女子大学に通う2歳年上のガールフレンドにふられたので、彼女に遭遇する可能性がある首都圏にいたくなかったことなど、年相応の少年らしい深刻な理由があった。しかし、神学を学びはじめて半年もしないうちに深刻な理由はどこかに吹き飛んでしまった。わたしはプロテスタント神学に魅了された。わたしが主体的に神学を学んだというよりも、イエス・キリストがわたしを掴んで放さなかったというのが真相だ。

 わたしにとって同志社大学神学部は、小宇宙だった。神学部と大学院の6年間で経験したことの中に、その後の人生でわたしが経験することになる出来事の原型が、文字通りすべて埋め込まれていた。書物だけから神学を学ぶことはできない。また、教会に通い信者として生活することと神学の勉強は、まったく位相を異にする。同時に純粋な学問としての神学も存在しない。虚学であるが故に、危機的な状況で人間の役に立つ神学という不思議な知を、わたしは、同志社大学神学部で、全人格をして教育に従事するすぐれた神学教師たちと、他者を自己よりもたいせつにする友人たちから学んだ。

 現下の日本は危機的状況にある。この危機から脱するために、虚学である神学が役に立つとの思いを込めて本書を上梓する。

 光文社の丸山弘順氏、吉田由香氏のていねいな御指導のおかげで、このような形で本書をまとめることができました。どうもありがとうございます。

 2012105日、東京都新宿区曙橋の自宅にて。

佐藤 優

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