いるかいないかは実際に現地に行って調べてみないとわからない
ベトナムの猿人「フイハイ」、奄美の妖怪「ケンモン」、アフガニスタンの凶獣「ペシャクパラング」、謎の生物を追う驚きと笑いの旅。

ベトナムの猿人「フイハイ」

幻の怪ブツ「テント」

 それは暑い真夏の日のことだった。

 ものすごい数のバイクがゴウゴウという激流のような爆音をあげ、すぐ横を走っている。

 私は相方と二人で歩道にテントを立てようとしていた。初めて見るテントなので、どういう構造になっているのか今ひとつピンと来ない。というより、全然テントが立ってくれない。

 折りたたみのポールを伸ばしたはいいが、どの穴に差し込めばいいのか。だいたい、仕上がりの形がよく把握できていないのだ。写真ではゆがんだ半円筒形みたいな不思議な形をしている。

 手助けしてくれる相方にいたっては、テントの骨組みになるポールを手にしたまま、固まっている。

「あのさ、それ、テントの内側インサイドに突っ込んでくれない!?」すでに汗まみれになっている私は怒鳴った。イライラしているだけではない。大声を出さないと、とてもじゃないが話などできないのだ。そのくらいバイクの音がすさまじい。

 色の浅黒い相方はホッとした様子で、ポールをかたわらのテントのインサイドの床部分にそっと置いた。

 おいおい! と私は思った。ポールは置物じゃないんだ。布の部分に取り付けるんだ。そうじゃないとテントが立つわけないだろう。どうしてそのくらいのことがわからないんだ! と再度怒鳴ろうかと思ったが、ふと我に返ってやめた。

 ムリだ、そんなの。バイクタクシー屋をしているベトナム人がテントの立て方を知っているわけがない。

 私は汗をぬぐいながら傍らをみやった。無数のバイクが途切れることもなく、ゴゴゴーッと流れていた。口にマスクをしている運転者も多い。ひどい排気ガスなのだ。私もここで作業しているだけで、気分がわるくなってくる。

 さらに見渡すと、バイクの運転者も、歩行者も、居並ぶ店の店員もみんな私たちを好奇の眼差しで見ていた。

 ここはホーチミン市。私たちがテントを組み立てているのは、大通りに面した歩道である。つい先ほどスポーツ用品店でそれを購入したばかりで、不具合がないかどうかチェックのため、店の前で立ててみようとしたのだ。

 時刻は現地時間、午後二時。ちなみに、季節は三月半ば、一年中暑いホーチミン市が最も暑くなる「暑季」に入ったところだ。

「あー、やっぱり、もう少しちゃんと準備してくればよかった……」私は今さらながらの後悔にとらわれた。

 この年はしよぱなからずっと不運が続いていた。海外へ出かける計画を立ててはつぶれ、立ててはつぶれ、とまさに今のテントのような状態だったのだ。その半分くらいは私自身に責任があったからしかたないが、三つ目のミャンマー行きが他人の不手際で出発一週間前についえたときにはとうとうぶち切れてしまった。

 とにかく、日本を出なければ。そう思ってその場で格安航空券を売っている店に電話して予約したのがホーチミン行きのフライトだった。一種の衝動買いである。といっても、どこでもいいとベトナムを選んだわけではない。

「これは〝あれ〟を探しに行く絶好のチャンスだ!」と思った。

 前々から気にかかっていた〝あれ〟とは何か。

 ベトナム中部高原にせいそくするといわれるなぞの猿人「フイハイ」である。

 いわゆる「未知動物」とか「UMA」とか呼ばれる生物の一種で、ネス湖のネッシーやヒマラヤの雪男イエティ、コンゴの怪獣モケーレ・ムベンベ、日本ならツチノコやヒバゴンと同じ仲間である。

 もっとも、「フイハイ」はネッシーみたいに人口にかいしやしたものではない。というより、ネタ元はたったの一ヵ所である。たった一ヵ所のネタ元は私にこう言った。

「ベトナムの中部高原のジャングルには、フイハイとかいう猿みたいなのがいるらしいぜ。背丈が人間の子どもくらいでよ、二本足で歩くんだとよ。ガイドがオレに言うんだよ、『地元の人はみんな知ってますよ。三日いたら絶対見られます』ってな。だから、いるのは間違いねえんだろ。まあ、オレは猿なんか興味ねえからどうでもいいけどよお」

 ネタ元の口調がやたらぞんざいなのは、それがコワモテ作家のふないちだからである。船戸さんは私にとっては大学探検部の大先輩にあたり、二年前には彼の取材旅行のお供をしてミャンマーとベトナムを一ヵ月半まわった。私はベトナム取材の途中で所用があって、どうしても日本に帰らなければならなかった。船戸さんはそのあと一人で中部高原へ行き、取材を行った(その成果が講談社からじようした『ちよう舞う館』という小説である)。

 そして、そのフイハイ話を現地ガイドから聞いたのである。

 私はその話にいたく興奮した。

 船戸さんはなぜか猿と決めてかかっているが、二足歩行をしていたら、それは猿ではなく、猿人である。ヒトと類人猿をつなぐミッシングリンクだ。そんなのがいたら、大発見である。

「三日いれば見られる」というのもすごい。常識人である私はさすがに「まさかね」とは思ったが、現地の人がそれほど言うということは常ならぬ「何か」があると考えたくなる。三日は大げさにしても二、三週間いれば、その「何か」に遭遇するのではないか。

 だが、なにより私の胸を打ったのは、ネタ元の態度である。

 船戸さんはフイハイの実在を頭から信じている。しかるに、まったく関心を持っていない。

 これはひじょうに珍しい報告例だ。私はこれまでコンゴの怪獣ムベンベだとか、中国のイエレン(野人)だとか、いろんな未知動物を探してきた。いろいろな人の話を直接間接に見聞きしてきた。その結果わかったのは、報告する人間は三つのタイプに分かれるということである(これは報告者が外部の人間の場合で、現地の人は除外する)。

1.その生物の存在を信じており、興味がある。

2.その生物の存在を信じておらず、興味もない。

3.その生物の存在を信じていないが、興味はある。

 たいていは12に分かれるのだが、3も、意外に多い。民俗学や神話に興味のある研究者やこう、あるいは「自然にはたましいが宿っている」とうたうエコロジスト、はたまた人生や世界に夢を求めるロマンティストなどなどである。

 ところが、船戸与一はこれまで分類表になかった4を作ってしまった。

4.その生物の存在を信じているが、興味はない。

 ここにそそられてしまった。私はなんでも例外だとか珍奇だとか異常だとか、そういうコースアウトしたものが好きなのである。

 そんなわけで、ベトナムの猿人フイハイは深く頭のなかに刻み込まれた。ただし、そうそう簡単に出かけられない。私は目下、インドの謎の怪魚ウモッカという他の未知動物探しに忙しい。「何か探し物をするときは入念な準備をすべし」が信条である私としてはいっぺんにいくつもはできないのだ。

 ところが、前述したように、入念な準備も次々と吹っ飛んでしまい、時間は空くし、頭の血管は切れそうになるし、というところで、「よおし、じゃあ、ベトナム行って、猿人を探そう!!」ときゆうきよ思い立ち、信条を軽くうっちゃってしまったわけだ。

 思いついて出かけるまで、十日あまり、これでは準備もへったくれもない。

 しかし信条を軽くうっちゃったツケはすぐにまわってきた。

 それは今の、ホーチミン市ど真ん中のテント設営に如実にあらわれている。

 現地に到着したのは前日である。明日には奥地に向かって出発するという段になって、テントを購入しているのはどうかしている。そんな大事なもん、当然日本で用意すべきだ。

 猿人フイハイは当然、森の奥深いところにんでいるはずだ。夜行性である可能性も高い。ジャングルの中でテントを張って、出現を待つということもあるだろう。数日あるいは一週間くらい、ジャングルに入って、フイハイ居住エリアを探索するかもしれず、そのときもテントは欠かせない。

 私は今手元にテントがないので、二人用か三人用のものを買おうと思っていた。

 そんなことは重々承知だったのに、これまた、衝動出発のごたごたにまぎれてしまい、「あ、忘れた!」と気づいたときにはすでに飛行機に乗っていたのだった。

「ホーチミンでは今、日本にあるものはなんでも手に入る」というあいまいな話を聞いていたのもよくなかった。絶対に日本で買うべきものをリストアップするという基本をおろそかにし、またチェックもせずに出てきてしまった。あとでよくよく考えれば、今回の旅の相棒となるカメラマンの森という男が二日後に日本をち、私と合流することになっていた。電話で彼に頼むという手もあったのだが、それを思いつかないくらい頭に血がのぼっていた。

 ホーチミンに到着後、すぐにテントを探すことにした。

 私はベトナム語ができない。普段なら現地の言葉をある程度学習してから行くのだが、今回は何もやっていない。英語に頼らざるを得ない。

 いっぽう、ベトナム人も英語をちゃんと話す人は少ない。宿のおかみや出入りするベトナム人にいても「テント」という言葉を知らないし、絵に描いても首をひねるばかり。テントという存在自体を知らないのだ。

 謎の猿人フイハイを探す前に、謎の怪ブツ「テント」の聞き込み調査を行っているようだ。

 ほんとうにベトナムにはテントは実在するのだろうか。だんだん不安になってきた。

「夜、その中で寝る。ジャングルの中で使う」と説明したら、宿の人間が一人、「あ、わかった!」と言って、町にうろうろしているハンモック売りを連れてきた。ベトナム人はハンモックを愛用している。ベトナム戦争──ベトナムでは「アメリカ戦争」と呼ばれている──のとき、米兵が持ち込んだものだ。今では観光客向けの土産として、ハンモックの行商人が町中をうろうろしている。

 ハンモックか。惜しい。惜しいけど、ちがう。全然ちがう。というか、私の描いた絵をちゃんと見てたのか。

 らちがあかないので、友人を探しに出かけた。

 まったく忘れていたが、二年前、ふと道端の茶屋で出会い、一度だけ一緒に飯を食ったベトナム人が二人いたのだ。一人は銀細工を自分でつくって売っている男、もう一人がバイタクのドライバーだ。東南アジアではバイクの後ろに客を乗せて走るバイクタクシーが普及しているが、ここベトナムは「バイク社会」と呼びたくなるほどバイクばかりで(金があっても車を持っている人は少ない。バイクの激流を走るのに四輪車は不便なのだ)、バイタクの数も四輪のタクシーよりはるかに多い。

 彼らの名前はもちろん、顔もほとんどおぼえていないが、二人とも英語を話すし、銀細工職人のほうはたしかわりとインテリだった。

 ホーチミンの都市化のスピードはすさまじい。二年前に来たときもすでにヨーロッパのような中心街の街並みに驚かされたが、今では「土産物屋」はすっかりしようしやな「ブティック」となり、まるであおやまおもてさんどうのようだ。

 いっぽうでバイクの量は二倍に増えているような気がする。

 薄ぼんやりとした記憶をたどって、銀細工屋を見つけた。幸い、彼はちゃんと店にいて、私のことも憶えていた。それで、テントを説明すると、携帯電話をいじくった。携帯に「英ベトナム辞書」がついているのだ。「へえ、こんな機能があるの?」

 驚く私をしりに彼は素早くキーやスクロールを操作する。

 私はちょっとした衝撃を受けた。そりゃ、ホーチミンの中心街はモダンな都市であるが、それにしても、現地の人間が当たり前のように携帯を駆使する時代になったのか。

 携帯メールを打ったこともない私としては「時代に取り残される」という衝撃もさることながら、「こんな国に謎の猿人なんているのか?」というもっともな疑問にとらえられた。それとも、大都市とへきではそれほどまでに格差が激しいのか。

 彼はすぐに「テント」の意味を理解したようだ。売っているところも知っているという。どうやら猿人はともかく、テントは実在するようである。

 その辺をぶらぶらしていた、もう一人の知り合いであるバイタクドライバーも現れ、テントを売っている店に連れて行ってくれることになった。

 それは、日本にあるのとほぼ同じようなスポーツ用品店で、そこで私はテントを無事入手することができた。なんと三十ドル、日本円にして三千数百円である。フライシート(雨や露をよけるシート)がないとはいえ、破格の安値だ。

 初めは欧米もしくは日本に輸出用のものがついでに国内でも売られているのかと思ったが、テントのカタログも説明書もベトナム語しかない。だから立て方がなかなかわからなかったのだが、裏を返せば、輸出用ではなく、純粋に国内向けに作られているということだ。

 二十分ほど格闘の末、やっとテントは立った。しかし、私は戸惑ったままだった。

 ──これはいったいどういうことだ……。

 テントはちゃんとした造りだった。一昔前の「粗悪な東南アジア製品」ではない。日本や欧米メーカーのテントと比べてもそんしよくない。

 そういえば、カタログには大小さまざまのテントが十種類も載っていた。国内向けにこれだけバラエティ豊富なテントがごくふつうに売られていて、品質もよい。

「どういうことか」という自問に対する自答は一つ、今やベトナムでは、少なくとも都市部ではテントを使ったアウトドアスポーツやピクニックがだいぶ広まっているということだ。

 そして、もっと気にかかる事実があった。一般的に、アウトドアというレジャーが普及している国は、すでに人々が自然から離れてしまった国なのだ。

 私は耳をつんざくバイクの爆音に顔をしかめながら思った。

 こんな国に謎の猿人などがいるのだろうか……。

 ホーチミンではもう一つ、至急やらねばいけないことがあった。「三日いればフイハイを見ることができる」と船戸与一に証言した現地ガイドと連絡をとることだ。

 ホーチミンから北東の方角にざっと五百キロほど離れたコントゥム省コントゥム市にいるそのガイドは名前をフンといい、日本から何度もいろいろな方法でコンタクトをとろうとした。

 だが、メールには返事がなく、オフィスの電話には──そこが旅行会社にもかかわらず──いつも英語が一言も通じない人しか出ず、携帯電話はつながることはつながるが、電波の状態が極端に悪く、相手がだれか確認することもできなかった。「ほんとにフンなんて人がいるのか?」と疑ったが、やむを得ず、これまた見切り発車で出かけてきてしまったのだ。

 ホーチミンの電話局から彼の携帯電話にかけると、電波状態がよくないなりにも、やっと「はい、……こちら……フンです!」と叫ぶ声が遠くに切れ切れに聞こえた。

 私は自分の名前を名乗り、船戸与一という日本人作家に紹介してもらったとやはり大声で叫んだ。

「フナド? ……あ、あー、JICA(国際協力機構)の人だな、……知ってる、知ってる」

 JICA? 船戸与一が? 何か勘違いしている。しかし電話は今にも切れてしまいそうだ。船戸与一の正体なんてどうでもいい。私が知りたいのはもっとすごい生物の正体である。それを探しに来たのだ。

「フイハイっていう猿のような動物がいるでしょ? それを見たいんです!」私が叫ぶと、彼は「は? フイハイ? ……」と言って、その続きが聞こえない。何か言っているがよくわからない。ともかく用件だけは伝えねばと思った。

「私は友人と明日、そちらに行くんです! そっちで会えますか!?

OKOK! 明日会おう!」という返事が聞こえ、電話が切れた。

 私は汗だくで電話ボックスの受話器を置いた。そして、首をひねった。

「フイハイ?」の後に彼が「ディフィカルト(難しい)」とか言っていたように聞こえたのだ。何か問題があるのだろうか。

 フンさんを捕まえて晴れかけた空に再び暗雲が立ち込めたような気がした。

ベトナムの猿人「フイハイ」(2)

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