五輪ボランティアと「やりがい搾取」
2020年7月、酷暑の東京。肥えるオリンピック貴族、搾取される学生たち

1章 10万人以上のボランティアをタダで使役

五輪ボランティアと災害ボランティアはまったく別である

 公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下組織委)は、来る東京オリンピック・パラリンピック(以降、東京五輪)において、その実施に延べ11万人のボランティアが必要だと20183月に発表している。

 もう少し正確を期すと、組織委が募集する「大会ボランティア」は8万人、東京都オリンピック・パラリンピック準備局が募集する「都市ボランティア」が3万人で、両方を足して11万人となる。その仕事内容は、主に大会ボランティアが五輪会場周辺での業務に従事し、都市ボランティアは五輪に伴う国内外の旅行者への案内などが主な業務となっている。

 東京五輪の開催が決まったのは139月。組織委は15年ごろからHP上にてボランティア募集計画の骨子を発表し、183月末に募集要項案を発表した。その内容は、組織委の負担でボランティア保険をかけるとした点を除けば(*)、過去に発表した考え方をそのまま踏襲した内容となっている。主な内容としては、

 ・18時間、10日以上従事できる人18611日に5日以上に変更)

 ・本番までに行われる研修に参加できる人

 を参加条件とし、組織委から給付するのは制服と食事11食との報道もある)のみで、

 ・会場までの交通費は自己負担

 ・遠方から参加の場合の宿泊費は自己負担

 としている。もちろん拘束時間に対する給与はなしだ。要は参加に際して発生する費用はすべて自己負担するということだ。これに関しては組織委内部においても、さすがに条件がひどすぎるのではという指摘もあったが、そのまま押し切る形で発表されたという。

 組織委は、募集計画の記者発表の席でボランティアがなぜ無償なのかという質問に対し、過去の五輪でも無償であったからだと返答しているが、これは正しくない。前回の16年のリオ五輪では無償とともに有償ボランティアが存在していたし、182月の平昌五輪では、宿泊費や交通費、食事3食)が支給されていた。こうした事実をなぜスルーするのか。組織委の姿勢に不信感を持たざるを得ない。

 筆者は組織委等に対して20176月、ボランティア無償の理由を文書で質問している。それに対し、

 ・一生に一度の舞台を提供し、多くの人々と感動を分かち合えるから

 ・一丸となって五輪を成功させ、世界中の人々と触れ合える場だから

 などと回答してきた。一生に一度の舞台を提供するからと言って、人件費は払わなくていいというのか。まったく意味不明の文章が書いてあった(第3章で記述)

 組織委のHP上には、「大会の顔」「一丸となって」「熱意」など、ボランティアの必要性や感動をあおる文言が並んでいるが、そもそもなぜ真夏の酷暑下で8時間、10日以上働くのに無償なのか、という説明は一切ない。つまり初めから「ボランティアは無償が当然」という姿勢なのだ。これは、多くの人々の「ボランティアとは無償で行うもの」という思いこみを巧みに利用していると言えるだろう。

 無償ボランティアの代表例としては、東日本大震災や熊本地震などでの災害復興ボランティアを誰もが思い浮かべるだろう。突発的な大災害に対しては緊急かつ大規模な人的援助が必要なのは当然であり、それが無償で行われることには筆者も反対しないし、その行為は尊いものだと思う。災害ボランティアとは公共の福祉または公益に貢献し、第一義的には利潤追求を目的としていない場に対して提供されるから無償なのだ。

 しかし、現在の五輪はばくだいな商業的利潤を発生させる前提で運営されている。その時点で無償ボランティアの定義から外れている。そのしようへいから実施まですべて有給のスタッフでなされており、多くのスポンサー企業が巨額の協賛金拠出に応じるのは、それが将来、自社の利益になると確信しているからだ。要するに、災害ボランティアと東京五輪ボランティアは、ボランティアという言葉を使っているが、中身はまったく異なるものである。

 現在の五輪は、ワールドカップサッカーやJリーグ、プロ野球の試合と何ら変わらない、観客に興奮や喜びを与えることで対価を得る興業(イベント)である。あまりに巨大になりすぎたのと、アスリートたちの真剣勝負の陰に隠れているが、あくまで大掛かりな利益追求の場であり、福祉や公益とは真逆の場である。そのような利益追求の興行を、無償ボランティアで支えるというのは、どう考えてもおかしい。

無償ボランティアの根拠は何か

 組織委が考えるボランティアが無償の理由というのはあるのだろうか。筆者が調べた限りにおいて、ボランティアの無償・有償について組織委が言及している記述はない。組織委はHPの大会ボランティア募集要項案の中で、

組織委員会が募集する「大会ボランティア」には、主に大会期間中及び大会期間前後に大会運営に直接携わり、大会の雰囲気を醸成するメンバーの一員として大会を成功へと導く活躍を期待しています。

年齢、性別、国籍、障がいの有無等に関わらず、様々な方々に大会成功の担い手になっていただくことが不可欠です。

オリンピック・パラリンピックの成功は、まさに大会の顔となる大会ボランティアの皆さんの活躍にかかっています。大会に関わる多くの人と一丸となって、「東京大会を成功させたい」という熱意をお持ちの方、またとない自国でのオリンピック・パラリンピックの運営に直接かかわりたい方、みんなで一緒に大会を盛り上げていきたい方の応募をお待ちしております。

 と述べているだけだ。この後は具体的な項目が羅列されていて、ユニフォーム貸与や保険設定、交通費や宿泊費は自己負担という説明になっている。つまり、この文章が唯一のボランティア募集根拠ということであり、有償・無償への言及はない。組織委は、最初からボランティアは無償であることを前提にしていることがよくわかる。

組織委のボランティア募集計画

 183月末に発表された組織委のボランティア募集計画案だが、今後のスケジュールとしては、正式な募集要項の発表を187月、実際の募集を9月から開始するとしている。最初に「案」を発表したのは、世間の反応を見るためのアドバルーンであったと考えられる。

 内容的には2年前から組織委HP上に記載していたものとほとんど差が無かったが、唯一の大きな違いは、ボランティア保険をかけるとしたことだった。「ボランティア保険」とは、活動中のケガや病気に対して支払われる保険で熱中症もその対象に含まれる。これまでの発表にはその項目が抜けていたから、ネット上では保険さえも自腹なのかと非難ごうごうであった。この点だけは、ほんの少しだけ待遇改善になった形だ。ただ、以前の報道では、地方からのボランティアには宿泊先の紹介を行うとあったが、それはなくなっていた。

 では、ボランティアの応募条件はどのようなものなのか見てみよう。

1200241日以前に生まれた方

2.組織委員会が指定する全ての研修に参加可能な方

3.活動期間中において、日本国籍を有し、又は日本に滞在する在留資格を有する方

4.大会期間中及び大会期間前後を通じて、合計10日以上活動できる方

5.東京2020大会の成功に向けて、情熱を持って最後まで役割を全うできる方

6.お互いを思いやる心を持ちチームとして活動したい方

 この応募資格の中に私はいくつものまんを見る。最大のものは、自主的に集まってくれるボランティアにあれこれと細かい条件をつけていることだ。ボランティアとはあくまで自己都合で行うものだから、1日だけしかできない人もいれば、数週間できる人もいる。それを、研修に参加せよ、10日以上活動せよと条件をつけるのは、ボランティアではなく「仕事」である。無償で労働力を提供しようという善意の人々に注文をつけているのが、まずおかしい。

 もう少し細かく見ていこう。

 2.の研修は職種によって異なるが、五輪の前年くらいから始まり、受講は無料と公表しているが、そこに通う交通費は自己負担でその回数すら不明である。

 4.の10日以上というのも、勤労者がこの日数を休むのはかなりのハードルだ。また、ここには書かれていないが、1日の拘束はおおむ8時間程度とされている。そうなると主力は学生か、すでに退職した高齢者となる。しかし「東京2020大会に向けたボランティア戦略」HP上にリンクあり)には、小中高大生の参加を促す言及はあるが、高齢者に対するものはない。酷暑の大会へのボランティア参加は、高齢者には負担が大きいことが分かっているからだ(これについては、3から改めて考察していく)

 さらに5.の「情熱を持って最後まで役割を全うできる方」という書き方も、ことさら責任感を強調していていやらしい。6.の「お互いを思いやる心を持ち~」と併せて「いわれたことには協力し、最後まで責任を持って全うせよ」という上から目線を強く感じさせる。

 このように、無償で働いてくれるボランティアに対して厳しい条件を設定するだけでなく「最後まで役割を全うせよ」とか「お互いを思いやれ」などと精神的な要求まで加えるのは、完全な使役者目線ではないだろうか。くり返すが自由参加が原則のボランティアに様々な条件を付している時点で、これはボランティアではなく対価を払うべき「仕事」だろう。

 その下心は、同戦略の「東京2020大会においてボランティアが果たす役割」の中で、一人ひとりが「おもてなしの心」や「責任感」など、「日本人の強みを活かした活動を行うことが大会の成功の重要な要素となる」という記述にもかいえる。対価を一切支払わないにもかかわらず同調圧力を加えるとは、どこまで厚かましいのか。そのような思考をする者たちが、善意で集まってくるボランティアを徹底的に使役しようとしていることに、私は怒り禁じ得ない。

なりふり構わぬ「学徒動員」計画

 日本の歴史上、災害ではないイベント対応でボランティアを11万人も集めた例はない。1998年の長野オリンピックでさえ、その数は25000人程度であったことはすでに述べた。つまり11万人という数は、2002年のサッカーワールドカップや世界陸上などの大型イベントを取り仕切ってきた電通をもってしても、前人未到の領域なのだ。

 そのため、組織委は自主的な応募だけではとても足りないとみて、ボランティアの中心と期待する学生層、とりわけ大学生層にターゲットを絞り、あの手この手で動員を図ろうとしている。

 その最たるものが、全国800以上の大学と14年に組織委が結んだ連携協定だ。表向きは「2020年の大会に向けて、オリンピック・パラリンピック教育の推進やグローバル人材の育成、各大学の特色を生かした取り組みを進めていく」とあるが、要は各大学に対してボランティア集めに便宜を図れ、ということである。

 その取り組みで特に私が疑問視するのは、ボランティア教育という授業を行い、五輪ボランティアに参加した学生には単位を与えるというものだ。ボランティアの基本理念は対価を求めないことであり、最初から「単位」目当てに労働力を提供とするのであれば、それはもはやボランティアとは呼べないのではないか。だがこうした要求に対しすでに亜細亜大のほか、順天堂大がスポーツボランティアの講義を導入。2017年秋からは早稲田大でも授業を開設し、今後、他の大学にも広がっていく模様だ。

 また、「全国外大連合」(東京外大や神田外大、関西外大、京都外大、神戸市外大、長崎外大、名古屋外大が加盟)15年から通訳ボランティア育成セミナーを開催、平昌冬季五輪には約100人の学生を通訳ボランティアとして送りこんだ。上智大も179月に通訳ボランティア養成講座を開いた18110日日経新聞)。外国語を教え、その難しさと価値を十分に認識しているはずの外国語大学が、率先して五輪の無償ボランティア募集に協力することに、私は強い違和感を覚える。

 京都大学の西にしやまのりゆき教授は16721日付東京新聞への投稿で、

「通訳はボランティアが妥当との見解は外国語学習への無理解を示すばかりか、通訳や翻訳業の否定にも結びつきかねない」

「街角での道案内ならさておき、五輪の管理運営業務に関わる翻訳や通訳をボランティアでまかなうことは、組織委員会が高度な外国語能力をまったく重視していないことの表れである」

 と痛烈に批判している。組織委が通訳をタダで集めればよいと軽視しているのは論外だが、多くの外国語大学までもが協力するのは、自らの仕事を否定することにつながるのではないだろうか。

第1章 10万人以上のボランティアをタダで使役(2)

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