その仏僧は、本当にテロリストなのか?
ミャンマーの反イスラム主義の精神的指導者であり、「ロヒンギャ難民問題」にも深く関係しているとされる僧侶・ウィラトゥ師。ひょんなことから面会を取り付けた筆者たちが接近した、その姿とは?

1回 ロヒンギャ危機のキーパーソン

 ミャンマーの山間部を縫うように走る田舎道は、真っ暗だった。

「バイク・タクシー」として使われていたスーパーカブの荷台にまたがり、追っ手から逃げるように走っていた。運転手がハンドルを巧みに操る。身体が右へ左へと傾き、揺れる。時刻は夜0時を回ったところだった。ちょうど新月の時期。周囲には家もなく、闇しかない。視覚の情報がほとんど遮られているためか、鈴虫の音色や草の匂いが鮮明に感じられる。

「当局が外国人を探している。あんただよ」

 その1時間ほど前、私は「KA ZUN MA(カズンマ)」という区域にある集落にいて、ある寺院で世界的に注視されている僧侶・ウィラトゥ師の説法を取材していた。20187月のことである。

 異変が起きたのは、取材の終盤だった。

ミャンマー中部マグウェ県にある、KA ZUN MAの集落に出来たウィラトゥ師の説法会場と、記念写真を撮るウィラトゥ師(右から4人目) 撮影=岸田浩和

 夜11時を過ぎてもウィラトゥ師の説法が終わらない。そろそろ撤収しようかなとタイミングを見計らっていると、説法を聞いていた人々がいきなり、わっと帰り始めた。蜂の巣をつついたような騒ぎだ。なにごと? 近くにいた1人が「警察とイミグレーションが来たようだ」と教えてくれた。

「外国人を探しているようだ。あんただよ」

 ミャンマー政府のイミグレーション(出入国管理当局)は、空港や国境での入出国管理だけでなく、国境とは無関係なエリアでも人の移動を管理している。

 現地では「ラワカ」と称され、諜報機関として恐れられる存在だ。ミャンマーには、国軍と警察にもそれぞれ諜報部門がある。ラワカを含めて3組織が並び立っている。なかでも、ラワカの監視網は全国各地に細かく張り巡らされており、バスや鉄道、ホテル、繁華街など外国人が利用したり、大勢のミャンマー人が立ち寄ったりする場所では、細かく人の動きをチェックしていると言われている。ジャーナリストが利用するホテルのオーナーがラワカの協力者であり、取材の動向が当局に筒抜けだったというケースもあった。

 しかし、まさか、こんな田舎にまでラワカが?

 私のその認識は甘かったようだ。むしろ、へんぴな田舎だからこそ、よそ者は目立つのだ。普段は集落の者しか来ない寺院に、カメラを持った外国人が来ている。その情報はまたたく間に「彼ら」に伝わったのだろう。

 説法が行われていた寺院の入り口に、腕組みした警官とイミグレーションの担当官が数人いた。明らかに誰かを探している。このどさくさに紛れて逃げ出せないか。そう考えて様子をうかがっていると、私をここまで運んできてくれたバイクタクシーの運転手、ウー・チョウ・アウンが警官らに囲まれているのが見えた。アウンはIDカードを見せたり、首を横に振ったりしながら、あたふたしている。

 まずい。

 すでに脱出のタイミングを逸したようだ。スーパーカブの荷台には、三脚や撮影機材の一部がくくり付けてある。運転手のアウンと機材を見捨てて寺院を脱出しても、この深夜に集落から町へ帰るすべがない。頭を切り替えて彼らのもとに進んで出頭し、どうやって穏便に切り抜けるかに全精力を注ぐことにした。

「こんばんは、はじめまして。日本から来たキシダという者です。けさ、マンダレーから路線バスとバイクを乗り継いでやって来ました。説法をしているお坊さんの話に興味があり、わざわざ来たんです。私は仏教徒。仏教に興味がある観光客です」

 そう言って、パスポートに手を掛けた。

 警察官が「なぜ、あなたはミャンマー語が話せるのか?」と言う。その問いには「学生時代に留学していたんです、ヤンゴンに」と答えた。

ロヒンギャ危機のキーパーソン

 年齢や入国日、査証(ビザ)の種類……聞かれるであろう情報を先に答え、パスポートを差し出した。「私は怪しくないし、やましいことはない」と態度で示すのだ。イミグレの係官が面食らった感じでパスポートを受け取った。ページをめくってミャンマーのビザを探していくが、周囲が暗く見つけることができないらしい。スマホのライトでビザの載ったページを照らしながら、「ほら、このページですよ」と示し、従順で素直な観光客になってみせた。係官がビザページの内容をメモしたり、スマホで撮影したりしている。次に彼らは携帯で誰かと話し始めた。しばらくすると、「ひとまず、イミグレの事務所に行きましょう。観光ビザなのに、なぜこんな場所まで来て映像を撮っていたのか、説明してほしい」と言う。

 まずい。

 この状況でイミグレの事務所に行くのは、避けたい。何としても、避けなければいけない。寺院や景観を撮影することは問題ないが、ミャンマーでは政治的な内容に触れる取材は厳しく制限されていた。僧侶の説法を映していた程度であれば、本来は問題ない。だが、私が撮影していた僧侶は、過激な発言を続け、政治的に際どい立場となっている。いわゆる「ロヒンギャ危機」のキーパーソンでもある。当時、どの西側メディアもまともに取材できていない人物だった。

 このままイミグレの事務所に行くと、取り調べを受け、撮影素材は全て取り上げられるだろう。撮影済みのデータも消去される可能性が高い。取り調べた記録は当局の書類に残されるだろうし、その情報が上に伝わると、空港の入管やビザ発給機関に情報が行き渡る。そうやってミャンマーに入国できなくなってしまった知り合いの取材者は、私の周囲に何人もいる。

 取り調べに連れて行こうとするイミグレ係官に向かって、警察官は「とりあえず、ここから、退去してもらえばいいんじゃないの」と話している。警察官は早く自分の管轄外に出てほしいと考えているらしい。警察官は、本来、ここにいるはずのない外国人がると聞き、仕方なく出動してきたのだろう。そこに本当に外国人がいたから、尋問しているのだろう。私がこの集落からいなくなれば、少なくとも警察官の仕事は消えるはず……。

 今だ!

 イミグレの係官には目線を合わせず、警察官だけを見て、「チェッチン トワ メー!(すぐに出て行きます!)」と宣言すると、警官が「わかった」とうなずく。すぐさまバイクに跨り、ドライバーのアウンに「行こう」と促した。イミグレの係官はアウンに向かって「ニュー・バガンの町まで行け!バガンだ!」と高圧的に告げている。バガンは、遺跡群のあるミャンマー最大の観光地だ。外国人用の宿と空港もある。カメラを持った外国人がいてもおかしくない。

 だが、ここからバガンまでは約130キロもの距離がある。深夜の田舎道をスーパーカブの2人乗りで走り通すのは現実的ではない。「こんな時間に無理だろう」と思いつつ、そんな表情は隠したまま、「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。

 逃げ出すようにスーパーカブは発車した。

 同時にイミグレ係官が、少し遅れて、われわれの追跡を始めた。

どこまでも追ってくる“諜報機関”

 走り始めて1時間半、エヤワーディー川沿いにある地方都市チャウの市街に入った。もうイミグレ係官らの追跡はない。チョウ・アウンが「ここまで来れば大丈夫だ」と言い、彼の知り合いが経営しているというホテルに向かった。到着すると、「疲れているだろう? ゆっくり休んで、明日の朝早くに移動するといい」とねぎらいの言葉をかけてくれた。

 すると、ホテルからフロント係の男が駆け出してきた。ずいぶん、慌てている。「泊めることができなくなった」と謝っているようだ。「イミグレから電話があって、日本人が来なかったか?」という問い合わせがあったらしい。ホテルのフロント係は申し訳なさそうに「今夜は、外国人は勘弁してほしい」と平謝りだ。

 チョウ・アウンは「仕方がない、ひとまず俺の自宅に行こう」と告げた。

 バイクは幹線道路を外れ、住宅街へ入っていく。2階建てのこじんまりした木造家屋の前スーパーカブを止め、自宅の居間に案内してくれた。「ここで朝まで休んでくれ。あと4時間ほどすれば、早朝にマンダレー行きのバスが出る。それに乗れば安心だ」。しばらくすると、アウンの奥さんが寝間着のまま、熟れたマンゴーとペットボトルの冷水を出してくれた。疲れ切った身体に、マンゴーの濃密な甘みが染み込んだ。

 ようやくチョウ・アウンもくつろいだ表情になっている。

「大変なことになったけど、無事に帰ってくることができてよかった。あんたの撮っていた僧侶は、ニュースで見たことがある。あの僧侶が警察やイミグレに監視されていたんだ。そこに、カメラを持ったあんたが現れたからイミグレが動き出したんだと思う」

 そもそもの彼らの監視対象は私ではなく、あの僧侶だったに違いないという。

その時、突然、居間の電話がなった。真夜中の1時半だ。受話器を取った奥さんは明らかに表情を変え、夫に受話器を渡した。何の電話だろう? 

 チョウ・アウンは言った。

「イミグレの担当者から『バガンに何時頃に着く?』と確認があった。ここで休むのは無理だ。とにかく、いったん出よう……俺も疲れたけど」

 家の前でスーパーカブに荷物を積んでいると、バイクに乗った私服の中年男性2人が近づいてきた。

「キシダさんですね。ちょっと、パスポートを見せてもらえますか」。やけに慇懃(いんぎん)だ。「町の出口まで、お送り致しますよ」

私を乗せて往復役250キロの道のりをスーパー・カブで激走した、バイクタクシーのウー・チョウ・アウン
01