婚活の歴史から「国家」のゆくえを展望する!
『60年代のリアル』で鮮烈デビューした著者が、今度は婚活論を政治学する。若き東大助教、渾身の作!

1 パンダの結婚──見合い・恋愛混合型の70年代

◆ランランとカンカン

 1972年、日中国交正常化の象徴として、上野動物園にランラン()とカンカン()という2頭のパンダがやってきた。国民的人気を集めたパンダに期待されたのは、なにより「結婚」だった。

 来日からほどない73年、男女のあいだに「恋のきざし」があり、「同居」させる方針だということが発表されると、「結婚」への期待は一気に高まることになる。次に来るのは「お見合い」である。お見合いの様子を観察した人間たちは「結婚の条件はほぼ整い、あとはカップルの気持ち次第」だと観測★9、ハラハラドキドキ、ついに彼女/彼らは「結婚」に至る。

 それにしても、ここでの「結婚」とはなんであろうか? 法的な結婚でないことは言うまでもないが、文脈を踏まえなければこの比喩の意味するところを理解することは難しい。73年の報道ではパンダの「結婚」は、同居してお互いに発情している状態を指している10。ところがさらに新聞報道を追っていくと、パンダの「結婚」の意味が一定ではないことに気付く。「結婚」は次のような多様な意味を持って使われているのだ。

 三つめの用法などは、そのまま「交尾」と書けばよさそうなものだが、婚外性交渉への抵抗なのか、ここでも「結婚」という用語が使われている。

 なぜこれだけ多様な「結婚」が登場するのか。その理由を小説家・評論家の松山巖は、人間において多様な恋愛がありふれてしまった70年代、パンダの結婚に人間の恋愛観・結婚観が仮託されるようになったと論じている(松山巖「解説」)。言葉を換えれば、パンダの「結婚」からは、当時の人間の恋愛観・結婚観を透かし見ることができるというわけだ。

 実際、ランランとカンカンの73年の「結婚」からは、当時の結婚観の一端をうかがい知ることができる。ランランとカンカンは、人間が見合いを設定したとはいえ、お互いの気持ちが乗ってはじめて同居=「結婚B」に至る。これは、親の合意によって見合いを行った場合でも、本人たちに恋愛感情が生じてはじめて結婚前提の交際に発展するという、いわば「見合い・恋愛混合型」とでも呼ぶべき当時の人間の「結婚」の一つの理念型を反映している。

◆市街地と農村・漁村

 日本全体の一般的傾向としては、1960年代から70年代にかけて、見合い結婚から恋愛結婚への転換が急速に進んだと言われる。しかし、ここには二つの留保が必要だ。

 一つは地域による差だ(図表1)。見合い結婚から恋愛結婚への転換が論じられるとき、あたかも日本全体でいきなり変化が生じたように言われがちだ。ところが、この転換の根拠となっている「出生動向基本調査」(旧・出産力調査)というデータには実は市街地と農村・漁村という腑分けをした回があって、これを分析してみると市街地と農村・漁村では恋愛結婚の普及した時期がまったく異なることが明らかになる(実際は世代による変化を観察しているが、これが時系列変化と重なることは既存の研究で明らかにされているため省略する)。

 農村・漁村では確かに70年前後に急激に恋愛結婚が進行した。ところが、実は市街地では遅くとも50年代にはすでに恋愛結婚が見合い結婚を上回っている。考えてみれば、大正期にはすでに恋愛至上主義の風が吹き荒れていたのだから、なにも不思議ではない。そして市街地における恋愛結婚はその後も増え続けて70年代には70以上に達している(「第8次出産力調査」1982年)。

 市街地と農村・漁村との間には恋愛結婚の受容のタイミングに大きな差があり、70年代以降にもなお恋愛結婚の地域格差があったことは疑いない。これは婚約中の交際にも現れていて、72年の段階で都市団地では「自由に交際」が635%であったのに対して、農村では「交際せず」が346%に達している(労働省婦人少年局『婦人の地位に関する実態調査』11)。こうして見ると、パンダの結婚を見るにあたっても、恋愛感情を「結婚」に含める報道は、とりわけ市街地で受け入れやすいものだったと考えられる。そしてまた、その後の地方における恋愛結婚の急激な普及は、都市文化の拡大としても捉えられなくてはならないのである。

◆恋愛と見合い──「見合い・恋愛混合型」の位地

 もう一つは「出生動向基本調査」における「見合い結婚」と「恋愛結婚」の定義である。実はここでの定義は(調査によって若干の変化があるが)、夫婦が知り合ったきっかけによっている。たとえば1987年の「第9次出産力調査」では次のように定義されている。

 これらは出会ったきっかけだから、実際に恋愛をしたかどうかは別問題である。便利なことに「第9次出産力調査」では出会ったきっかけとは別に恋愛があったかどうかを聞いているからそれを見てみよう。すると、「見合い結婚」に分類されているもののなかにも「恋愛があった」と答えるものもあるし、「恋愛結婚」と分類されたもののなかにも「恋愛があったと思わない」とか「わからない」という返答が登場する。文言だけ見ると奇妙だが、たとえば出会ったきっかけは職場だが、恋愛ではなく上司の勧めで結婚するというようなパターンも多く存在したであろう。それが知り合ったきっかけと恋愛の有無とのすれ違いとして析出されることになる。

 そこで、ここでは表のような分類をしてみることにする(図表2)。すなわち、「見合い」(と分類される知り合ったきっかけ、以下同じ)で出会って恋愛のないまま結婚したものを「純粋見合い」、「見合い」で出会ったが恋愛をしてから結婚したものを「見合い+恋愛」、「恋愛」で出会って実際に恋愛をして結婚したものを「純粋恋愛」とするのである。

 この分類によって87年調査を再検討してみると、若い世代ほど「純粋見合い」や「その他」が減少して「純粋恋愛」が急増していくのを見てとることができる(図表3)。こうした変化は、出会ったきっかけはどうあれ、恋愛して結婚する人が増えていることを示している。しかし、この調査がアンケート調査であることを踏まえると、この変化が独身脱出の実態の変化を直接示しているとは言えない。

 社会学者の加藤秀一は次のように指摘する。

 親や親戚がお膳立てをして……式のいかにも旧式の見合い結婚以外は、本人たちがそう思いさえすれば、どんなものでも恋愛結婚になりうるのである。[……]出会いのきっかけは何であれ、人はそれを恋愛結婚と呼ぶことができる。だから恋愛結婚が増えたということは、何らかの客観的に観察できる行動が増えたということではなくて、人びとが自分の結婚を「恋愛」という観念に結びつけたがるようになったということなのである。かくして「恋愛結婚」という言葉の意味は変質・拡散し、もはやすべての結婚を覆い尽そうとしている。

(加藤秀一『〈恋愛結婚〉は何をもたらしたか』2004年)

 このように恋愛結婚をしたい(したことにしたい)という欲求ゆえに、自分たちの結婚を「恋愛結婚」として回答した者が少なからずいたと考えるべきだろう。見合い結婚から恋愛結婚へという急激な転換は、実態の変化のみならず、意識の変化をも反映したものだったと捉えるべきである。

 さて、もう一つ、この分類をすることで明らかになるのは、パンダの「結婚」に表象された「見合い・恋愛混合型」、言葉を換えれば「見合い+恋愛」の存在感である。見合い結婚から恋愛結婚へという急激な変化のなか、出会ったきっかけが見合いで、恋愛があったと答えている者は50年代以降変わらず常に1割余りいる。さらに、幼なじみを結婚相手として紹介された場合や、友人から見合い相手を紹介された場合のように実態として見合い結婚でも、「恋愛結婚」に分類されてしまう場合があることを考えれば、「見合い・恋愛混合型」はより底堅くいたように考えられるのである。

 実際、65年に結婚ガイドブックとして出版された『結婚全書』では、写真での見合いや本人に拒否権のない見合いはもう少なくなっており、見合いを通して交際を始めて恋愛感情を育んでから結婚に至る「見恋結婚」が望ましいとされているという(小暮修三「独身男の肖像」)。80年にも茶道家・評論家の塩月が、恋愛結婚とは言っても見合いからスタートするものも多い、純然たる恋愛結婚は3割程度にすぎないとして、見合いを通して恋愛する「見合い恋愛」による婚活を勧めていた(『「見合い恋愛」のすすめ』)。パンダの「見合い・恋愛混合型」が容易に「結婚」と表現されたのは、こうした結婚のイメージがあったからに他ならない。

◆「結婚」=交尾!?

 話をランランとカンカンの2頭に戻そう。1973年の「結婚」のあとも、パンダの「結婚」をめぐる物語は終わらない。

 73年の「結婚」における交尾で妊娠が実現しなかったことで、親たち(人間のこと)は次第に焦燥を募らせる。この種の焦りは極めて危険だ。親たち(人間のこと)はもはや恋する子どもたち(パンダのこと)の心中を想像しながら野次馬気分で楽しむ心の余裕を失ってしまう。そして、いつしか自分たち自身の願望をあからさまに、孫(パンダ二世)の顔を見たいと切望するようになる。しかもこの焦りは、お隣さんの子ども(当時アメリカもまた米中国交正常化でパンダを贈られていた)との対抗関係によって、ますます亢進されてゆく(アメリカもまた繁殖計画を進めていたのだ)。

 この段階に立ち至ると、日本国民の興味関心はもっぱらパンダ二世に注がれる。「結婚」ももっぱら交尾(結婚C)の意味で用いられるようになる。この表現を『朝日新聞』と『読売新聞』で比べてみると、アメリカとの競争を一貫して強調していた12『読売』の方が早い時期からこの意味での「結婚」表現を使っている13。お隣さんには孫が生まれるかもしれない、ウチはどうだろう。見栄を張り合うわけである。78年以降、積極的な交尾が観察されるようになると、この「結婚」=交尾という用法(結婚C)は特に頻繁に登場し14、飼育員たちにはこの「結婚」のための「仲人」という位置付けが与えられるようにもなる15

 ただし、ここまで子どもの恋路に介入するようになっても、親(人間)は子どもたち(パンダ)の恋愛結婚を否定していたわけではない。たとえ交尾を「結婚」と表現しても、それに至る過程では彼/彼女らの「恋心」を待って「デートをおぜん立て」というようなプロセスが踏まれたし16、はじめて交尾の成功が明らかになったときには「長い恋ゴールイン」という記事が掲載されたりもしたのである17。親(人間)は、二世待望の欲望をむき出しにしながらなお、その子どもたち(パンダ)のカップルに恋愛感情があって欲しいと願ってはいたのである。

 ところが79年、お腹に子どもを宿したままランランが亡くなると、親は再び焦り出す。カンカンの「再婚」のため、代わりのお嫁さんを求めて中国と「縁談」を行い、選ばれたホアンホアンを「結納」を経て、日本に嫁入りさせる18。子どもたち(パンダ)同士がお互いを確認できない国際結婚では致し方ないとはいえ、ここでは典型的な見合い結婚(結婚A)のイメージが復活したのである。

◆パンダの「結婚」に見る70年代の結婚

 さて、ここまでのパンダをめぐる「結婚」から、1970年代の日本人の結婚観について、なにを透かし見ることができただろうか。第一に、先に見た通り、恋愛結婚の広がりのなかで、いわば「見合い・恋愛混合型」とでも言うべき結婚スタイルが浸透していたことである。これが直接の原因かはわからないが、70年代後半から80年代初頭にかけて、それまで5割以上だった離婚夫婦に占める同居5年未満の夫婦の割合は3割近くまで減少している。混合型であろうとも、一応本人たちが納得して結婚するようになったのだから、短期での離婚が減ったとも想像できる。

 ただ、第二に、そんな恋愛結婚への趨勢のなかにあってなお、「結婚」においては生殖が不可欠な要素だと考えられていたこともうかがえる。(パンダにおいては)本人たちの恋愛がいくら尊重されるようになったとはいえ、適齢期を過ぎたと見られると、親が介入して見合い結婚の傾向の強い結婚が選択された。これを子どもの側の目線で言い換えるなら、若いからといって恋愛に熱中して適齢期を過ぎてしまうと、結局は親の介入を招いて、(恋愛の偽装があっても)本人たちの決定権の弱い結婚をせざるをえなくなるということだ。これもまた、当時の日本人の結婚観を反映したものであることは間違いない。

第1章 婚活0・0──パンダから雑誌『結婚潮流』へ(2)

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