バージニア州の死刑は、致死薬が導入される一九九〇年前後まで、電気椅子のみによる処刑だった。ジャラタノは、その処刑を二回切り抜けた。一回目は一九八三年六月一三日、執行日の直前だった。投げやりの毎日だったその頃、いつ死を迎えてもいいという覚悟はあった。処刑まで、三七時間を切った時のことを、昨日のことのように思い出していた。
「どうにでもなれ、という気分でした。検察も、私がやったと強調していたので、それを信じていました。一番難しかったことは、やっていないのだ、と自分自身を納得させることでした」
検察側は、早くこの死刑を終わらせたかった。しかし、幸いにも、裁判所がジャラタノの上訴を…