「当時はね、僕が新潟県出身のプロ野球選手第一号だった。だから先輩がいない。特に巨人は関西や中四国、九州の名門校出身者が多いから先輩の伝手を頼ることができる。僕はそれができなかったんだ。ある時、二軍の連中皆で〝コーチや監督への贈り物はやめよう〟と決めた。その頃は故郷からお歳暮を贈る習慣がまだ残っていたから。ところが帰省して寮に戻ると、多くの選手に礼状が届いていた。僕はそうした人間関係に無頓着だった。そういう面では他の選手に後れをとっていたのかもしれないね」
生前、プロレスラーのジャイアント馬場から、こんな話を聞いたことがある。プロ野球の思い出について訊ねた時のことだ。
そこで馬場について調べると…
この作品では本文テキストのコピー機能を制限しています