江夏の21球、天覧試合。伝説の真相に迫る!
数々のドラマに彩られた昭和のプロ野球。江夏の21球は球史に残る名勝負として称えられ、巨人の大エース沢村の名は今も褪せることがない―。だが、その舞台裏には、これまで明かされることのなかった新事実が埋もれていた。

1章 江夏の二十一球は十四球のはずだった

──球史に残る日本シリーズ「広島近鉄」封印された真実

「西本さんに謝らんといかん」

「……その話は墓場まで持っていこうと思うとるんですよ。その前に一回、西本(幸雄)さんに謝らんといかんでしょうが……」

 広島で十七年間にわたって内野手として活躍し、監督まで務めた三村敏之から、そう告げられたのは、五年前(二〇〇七年)の夏のことである。

 広島市民球場の放送ブース。この日、私は広島対巨人戦を中継する中国放送にゲストとして招かれていた。この試合の解説者が三村だった。

 中継の開始まで若干、時間があり、例の〝江夏の21球〟に話が及んだ。広島が初の日本一に輝いた一九七九年の近鉄との日本シリーズである。三勝三敗で迎えた第七戦、三番セカンドで先発出場した三村は九回からサードに回っていた。

 四対三と広島一点のリードで九回裏に突入した。舞台は大阪球場。八回ごろから雨足が強くなっていた。

 無死満塁のピンチで江夏豊は打席に代打の佐々木恭介を迎えた。このシリーズでは右太ももの肉離れのため代打に甘んじていたが、前年(七八年)は三割五分四厘でパ・リーグの首位打者にも輝いていた右の強打者である。

 一ストライク一ボール(カウントの順番は当時のまま、以下同)後の三球目、この回、江夏が投じた十四球目、内角ボール気味のスプリットフィンガーを叩くと、打球は前進守備をとっていたサード三村の頭上をワンバウンドして越え、ファウルゾーンに転がった。

 もし三村のグラブをかすめていたら、彼がジャンプした位置からしてフェアゾーンでの触球となり、三塁走者と二塁走者の生還は間違いない。つまり近鉄は劇的な逆転サヨナラ勝ちで初の日本一を達成していたことになる。三村の話を聞いて、私はそれ以上、追及する気になれなかった。

 この秘話を、当事者である佐々木は知っているのだろうか。女子プロ野球チーム、京都アストドリームスが練習する大阪府高槻市の大谷山球場を訪ねた。

 現在、佐々木は同チームの監督を務めている。

「えぇ、知っていますよ」

 佐々木は、こちらが拍子抜けするくらい、あっさりと答えた。

「実は今から十七年前(九四年)に『遥かなる野球少年』という本を出した時、日本シリーズの話を書こうと思って三村さんに会いに行ったんです。その時、三村さんに直接、聞きました。〝あれ、どうやったんですか?〟と。最初は〝しゃべれんぞ〟と言われたんですが、〝まぁまぁ、そう言わんと。別にそれだけを取り上げるわけじゃありませんから〟と粘った。すると、〝触った。グラブにかすったんや〟と正直におっしゃいました。あそこで〝しまったー!〟くらい言ってくれれば良かったんですけど(笑)」

 レギュラーシーズンで三割二分という高打率をマークした佐々木が右太ももを肉離れしたのはシリーズ開幕の三日前だった。大阪球場で打球を追っていた時だ。シリーズに入っても痛みは消えず、一塁へ走るのもやっとだった。

 だから、打球が三塁ベース上に飛んだ時には頭を抱えそうになった。瞬時に523の併殺を覚悟した。

「走れないものだから〝とにかく内野ゴロだけは打たんように〟と心に決めて打席に入った。ところが打球はポンとワンバウンドしてサードベースの上へ。思わず〝アカーン〟と天を仰ぎそうになりましたよ。二、三歩走って打球を見ると、三村さんの上をスルーしている。今度は〝やった!〟ですよ。

 その時、打球が(三村さんのグラブに)当たったかどうかはわからなかった。ただラインから二十センチくらいファウルゾーンに落ちたのは見えた。あれ? ファウルなのかと……」

 結局、佐々木は二─二のカウントから空振り三振に倒れる。内角低め、ストライクゾーンからボールになるカーブにバットは虚しく空を切った。

何度も夢に出る「二球目」

 だが、佐々木にとって悔やんでも悔やみきれないのは三村のグラブに当たった打球をファウルと判定されたことではない。ワンボールからの二球目、アウトコースのストレートを見逃してしまったことである。

「あれは一生の悔い。もう四、五十回、同じ夢を見ています」

 それは、どんな夢なのか。

「そのボールを僕が右中間に打ち返し、サヨナラ勝ちを収めて西本監督を胴上げしようとしている。僕は西本さんのベルトを持っているんですが、西本さんは石のようにピクリとも動かない。〝ウワァー〟ともがいて目が覚める。僕はいつも布団を握ったまま寝汗をベットリとかいている。もう一回、野球人生がやり直せるのなら、あの二球目のボールをフルスイングしたい。たとえアウトになってもいいから……」

藤瀬の〝三進〟はケガの功名

 近鉄の九回裏の攻撃を改めて振り返っておこう。先頭の羽田耕一が江夏の初球、何の変哲もないストレートをセンター前に運んだ。同点の走者である。

 羽田の代走は俊足の藤瀬史朗。打席には七番クリス・アーノルド。藤瀬が走ったのは一ストライク二ボールからの四球目だった。スタートは遅れた。

 その理由について西本は「あれはスチールのサイン。藤瀬が(サインを)見間違えたのだろう」と語っている。しかし、藤瀬はそうは考えていない。

「(三塁コーチの)仰木彬さんのサインはヒットエンドランやった。これをアーノルドが見逃した。そのことに気付いたのは走っている最中。〝アイツ、何やってんねん!〟と思いましたよ。しかし、時既に遅し。もうヘッドスライディングしかないと。二塁ベースに飛び込む寸前、僕の目の前をボールが通っていった……」

 ケガの功名とはこのことである。スタートのタイミングが遅れ、藤瀬が慌ててヘッドスライディングしたことで、今度はショートの高橋慶彦が慌ててしまった。捕手の水沼四郎からの送球はワンバウンドとなってセンターへ。藤瀬は一気に三塁まで走った。

 一ストライク三ボールのカウントから江夏─水沼のバッテリーはアーノルドを歩かせた。事実上の敬遠である。アーノルドの代走は吹石徳一。続く八番・平野光泰の三球目、カウント一─一で吹石はスタートを切る。

 これも妙だ。守る側にとって無死一、三塁と無死二、三塁はどちらが嫌か。これは前者である。一、三塁だとファーストがベースをカバーしなければならず一、二塁間が空くからだ。それに無死二、三塁となれば広島は間違いなく満塁策を取る。これだとホームゲッツーのリスクを負うことになる。にもかかわらず西本が吹石に盗塁を命じたのは、まず同点ではなく、逆転サヨナラを狙ったからなのか。

 佐々木の証言。

「実は西本さんは吹石に〝走るな〟と言って送り出している。だが吹石は走ってしまった。吹石のミスなのか、サインの行き違いがあったのか……」

 無死二、三塁となった時点で平野は敬遠だ。この試合、平野は五回に先発の山根和夫から二ランを放っている。敬遠が余程、悔しかったのだろう。一塁へ歩く際、平野はバットを握りしめ、「勝負せい!」と叫んだ。

 無死満塁。ここで迎えたのが冒頭で紹介した佐々木である。三球目の三塁線のファウルより、二球目のストレートを見逃したことを悔いていることは先に述べた。

 それにしても、と思う。佐々木ほどの打者が、なぜカウントを取りにきたボールを簡単に見逃してしまったのか。

「西本さんが〝代打・佐々木〟と告げて僕を送り出す時、〝恭介、ストライクやったら何でも行け! 最初からでも行け!〟とおっしゃった。僕は〝もう、わかっています〟と。その後で〝スクイズのサインも確認しとけよ〟と付け加えたんです。あれで迷いが出た」

大殊勲のはずが……

 ヒーローになり損ねたのは佐々木だけではない。佐々木の打球が三村のグラブをはじいたと判断されていれば、間違いなくその立役者は三塁に達していた藤瀬だった。

 無死満塁の場合、大抵のチームは中間守備を敷く。ところが広島は前進守備を選択した。一点もやらない、という守備陣形である。

 三塁走者の藤瀬は三村の守備位置を確認した。三村は斜め左に見えた。ベースのほぼ真横である。通常の守備位置より一メートルほど本塁寄りだ。

「オレを本塁で殺す気なんか?」

 藤瀬の〝走り屋魂〟に火がついた。

 佐々木が放った打球を左目で追いながら藤瀬は走った。サードゴロの場合、523の併殺を阻止するためには水沼の送球を阻止するスライディングを敢行しなければならない。

「足元にボーンと行ってやろう」

 振り返ると、左手を必死になって伸ばす三村の姿が目に入った。次の瞬間、打球は三塁の上を越えた。少なくとも藤瀬の目にはそう映った。「オーッ!」と声を張り上げた。束の間の歓喜だった。

 もし、佐々木の打球が三村のグラブをはじいたと判定されていたなら、その時こそ三村を通常の守備位置より一メートルも前に誘い出した藤瀬の大殊勲となる。〈日本一の陰の立役者〉。翌日のスポーツ紙にはそんな見出しが躍っていたことだろう。

 しかし塁審の判定は無情だった。佐々木のバットにも藤瀬の足にも運命の女神は微笑まなかった。運がなかったのか、それとも運をねじふせるだけの実力がなかったのか……。

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