アフリカ経済が教えてくれる「その日暮らし」の知恵と幸福
世界各地の「その日暮らし(Living for Today)」を追求し、その対極にある私たちの生き方を問い直す。
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第一章 究極の Living for Today を探して

 わたしたちは、未来のことを考えることは当たり前だと思っている。将来にまったく思いを馳せることのない人間などいるのだろうか。また、わたしたちは、時間は直線的、単線的で均質的なものだとも思っている。わたしたちの経済の基本、限られた時間内でより多くを生産する、スキマ時間を有効活用するといった効率性は、そのような時間の感覚を前提としている。ただ実感としての時間は、同じではない。漫画や友人とのおしゃべりに夢中になっているときには時間はあっという間に過ぎていき、退屈な講義を聞いているときには時間は遅々として進まない。過去―現在―未来の区別も、一分一秒という時間の単位も、もともとはわたしたち人間が生活や社会、経済を動かしていくために便宜的に生み出した概念である。だが、わたしたちはいつの間にか便宜的に生み出された時間の概念に生活や社会、経済のリズムを合わせ、人間の生存を時間によって規定するようになった。そのような時間に規定されない暮らしとは、どのようなものだろうか。

 本章では、アマゾンの狩猟採集民ピダハンの時間的世界と、タンザニアの農耕民の時間的世界について紹介し、Living for Today と時間との関係を考えたい。

*直接体験の Living for Today

 ダニエル・L・エヴェレットが『ピダハン──「言語本能」を超える文化と世界観』(みすず書房、二〇一二年)で描いた暮らしは、おそらく現存する人類社会において究極の Living for Today である。

 エヴェレットは、一九七七年、アメリカの福音派教会から派遣された伝道師として、狩猟採集民ピダハンにキリスト教を布教するためにアマゾンの奥地に赴く。その後、彼は、ブラジルのサンパウロ州立カンピナス大学の大学院言語学コースに入学し、いずれ聖書をピダハン語に翻訳する心づもりで、言語学的調査のために再度アマゾンの奥地に入る。エヴェレットはそれから足かけ三〇年あまりもピダハンと生活を共にすることになるのだが、ピダハンとの暮らしはやがて彼に信仰を捨て、無神論者になることを決意させる。

 同書が開示したピダハンの世界は、驚くべきものだ。アマゾンの先住民には豊かな物質文化があることが報告されているが、ピダハンは芸術作品どころか、道具類もほとんどつくらない。物を加工することがあっても、長くもたせる手間はかけない。肉の塩漬けやくんせいといった保存食もつくらず、食べられるときには食べつくし、ときには何日も食べない。彼らは英語版の著書のタイトルである「寝るな、ヘビがいる」の言葉どおり熟睡しない代わりに、いつでもどこでもうたたねをする。人類学者が好んで調査してきた、儀礼らしき行為も存在しない。葬式や結婚式、通過儀礼もない。創世神話も口頭伝承もない。曽祖父母やいとこの概念も存在しない。それどころか彼らの言語には、ありがとうやこんにちはなどの「交感的言語」も、右左の概念も、数の概念も色の名前もないのである。

 当初、エヴェレットは、このようなピダハンの文化を残念に思ったらしい。だが、彼の言語学的調査は、このような「動物的」にすらみえる彼らの文化を理解する、一つの重要な切り口を導き出す。それが、直接体験の原則である。

「叙述的ピダハン言語の発話には、発話の時点に直結し、発話者自身、ないし発話者と同時期に生存してきた第三者によって直に体験された事柄に関する断言のみが含まれる」(注1

 ピダハンの言語には、過去や未来を示す時制がきわめて限定的にしか存在しない。さらに、彼らが「リカージョン」(再帰性:文のある構成要素を同種の構成要素に入れ込む力)を持たないことは、ノーム・チョムスキー以来の言語学を根底から揺るがす大論争を引き起こした。わたしたちは、「わたしは、「友だちが「『あの店のラーメンはおいしかった』とみんなが言っていた」と話すのを聞いた」といったかたちで、一つの構文のなかに何重にも「 」を入れ込んで、「あの店のラーメンがおいしかった」とする内容を拡張していくことができる。チョムスキーの生成文法では、この再帰性を特徴づける文法能力をあらゆる人間に備わっている普遍的な能力だとしてきたが、ピダハン語にはこの入れ子状の文がなかったのだ。

 直接体験の原則は、ピダハンがなぜその場限りの道具しかつくらなかったり、食料を保存しなかったり、創世神話や口頭伝承がなかったり、血縁関係に曽祖父母が含まれないのかをうまく説明した。つまりピダハンは、実際に見たり体験したりしたことのない事柄──わたしたちが「過去」や「未来」と位置づける事象や伝説・空想の世界──に言及しないし、そもそも関心を示さないのだ。また、価値や情報を行動や言葉を通じて「生のかたち」で伝えようとするピダハンは、価値を、数や色の名前のような抽象的、記号的なもの、普遍化のための概念に置き換えることをしない。たとえば、ある場面では、右は「川の水が流れてくる場所」で、左は「水が流れていく場所」かもしれないし、「大きな木がある方向」と「小さな木がある方向」かもしれない。新芽から濃く色づいた葉っぱをある時点で「緑」と呼ぶのは、「緑」という概念が先にあるからであり、そのような概念がなければ、「色が変化していく葉っぱ」でしかないのである。

 それゆえエヴェレットは、キリスト教の布教に成功しなかった。キリスト教の聖書もコーランもヴェーダも、直接体験の原則に貫かれたピダハンの信念を少しも揺るがせることができない。それはまた、外部の民族や社会との接触がなかったわけではないピダハンが、なぜ現在まで独自の世界を維持してきたのかも──すべてではないにしろ──説明する。

 過去や未来を語らないことは、過去や未来、抽象的な概念を持たないこととイコールではないが、ピダハンのほとんどの関心が「現在」に向けられており、それゆえ彼らが「現在」をあるがままに生きていることは興味ぶかい。彼らは直接体験したことのない他の文化に興味がなく、自分たちの文化と生き方こそが最高だと思っており、それ以外の価値観と同化することに関心がない。彼らはよく笑う、自身に降りかかった不幸を笑う、過酷な運命をたんたんと受け入れる。未来に思い悩むわたしたちに比べて、何やら自信と余裕がある。彼らは他人に貸しをつくらないし、他人に負い目を感じることもない。彼らにとって一日一日を生き抜くために必要なのは、直接体験に基づく自身の「力」だけである。

 ピダハンはやや極端な例ではあるが、彼らの文化の主な特徴──とぼしい物質文化、その場で消費しつくす傾向性、貯蓄や技術的な発展に対する無関心など──は、世界各地の狩猟採集民の民族誌をひもけば、それほど珍しいものでもない。現在を生きることは、富の蓄積や財の扱いに対する特有の態度とも深く関係している。そして、こうした態度は、研究者により、ヒトの進化と平等主義をめぐる問いと深く関連づけられて検討されてきた。

 人類学の古典的名著である『石器時代の経済学』(法政大学出版局、一九八四年)においてマーシャル・サーリンズは、「狩猟採集民は食糧の獲得に必死で、飢えに苦しんでいる」といった伝統的な「未開」社会理解を打ち崩した。彼は、さまざまな資料から、狩猟採集民は絶え間ない労働どころか、農耕民や現代人と比しても労働時間は短く、余暇を楽しみ、欲求の充足された「始原のあふれる社会」に生きていることを提示したのである。サーリンズは、物質的に豊かなはずの世界こそ、ごく一部の人間が富を独占し、多くの人びとが飢えており、文化の進歩につれて相対的にも絶対的にも飢えの量が増大してきた、という逆説を主眼として、次のような結論を導き出す。

「狩猟=採集民の生活は、その情況にせまられて、やむなく客観的に低い生活水準にとどまっている。しかし、それが彼らの目標なのであり、しかも適切な生産手段もあたえられているので、すべての人々の物質的欲求は、ふつうたやすく充足されている」(注2

 狩猟採集という経済実践のほんとうの障害は、労働生産性、すなわち「働かない」ことではなく、必ず直面する収穫ていげんであり、それゆえ移動が暮らしに埋め込まれていることにある。移動を常とする狩猟採集民にとって物質的「富」は、文字通り重荷でしかない。しかしもっとも未開な人びとは、ものを持たないゆえに貧困ではなく、ものを持たないからこそ貧困ではなかったのだとサーリンズは指摘した。貧困が財の多寡ではなく、一つの社会的ステイタスを意味すると仮定した場合、そもそも「物質的重圧から比較的自由」で「なんの占有欲」もなく「所有意識が未発達」な「非経済人」の彼らのあいだには、貧困は発生しないと。

 その後、数多くの人類学者が所有の問題を再考した結果、狩猟採集民は所有意識を持たないのではなく、個人の狩りの技量や捕獲量の差により不平等が発生し、特定個人が威信を持たないようにする実践をおこなっていることが明らかにされていく。ここで重要なことは、未来や過去を前提とした生産主義的な生き方は普遍的なものではなく、またそのような生き方は当事者たちにとって必ずしも「不幸」で「貧しい」ものではないということである。

*最小限の努力で生きる農耕民の世界

 わたしが Living for Today なるものに学術的な関心を抱いたきっかけは、二〇一三年一二月に故人となった京都大学名誉教授の掛谷誠先生の講義だった。掛谷は、一九七〇年代初頭にタンザニアの焼畑農耕民トングウェ人の生計経済を調査し、彼らの生計維持のしくみを、「最少生計努力」と「食物の平均化」の二つの傾向性を切り口にして論じた(注3。四〇年以上も前の論文だが、いろいろな意味でわたしの心に強く残ったものなので、少し詳しく紹介したい。

 トングウェ人は、タンガニーカ湖の東岸部から東へと広がる乾燥疎開林に暮らす農耕民である。掛谷が調査に入った一九七〇年代当時は、いまだ現金経済はあまり浸透しておらず、トングウェ人は焼畑農耕、狩猟、ぎよろう、蜂蜜採集など自然に大きく依存した生業によって、基本的に自給自足の生活を送っていた。掛谷はトングウェ人の生業を綿密に調査し、彼らが年間の推定消費量ぎりぎりしか主食作物を生産していないことを明らかにする。さらにトングウェ人は、森林と森林後退後の二次性草原だけを開墾し、広大な熱帯降雨林やサバンナを農耕の対象とはしていないことや、どのような食べ物が好きかにかかわらず、いちばん手近で簡単に入手できる食糧資源に強く依存する傾向があることも明らかにする。

「トングウェ人は、できるだけ少ない努力で暮らしを成り立たせようとしている」という掛谷の発見は、当時のわたしには衝撃だった。物心がついた頃から「努力」とは最大限にするものであり、努力に「最少の」がつくのは、なんだか語義矛盾に思えたのだ。

 最少生計努力の原則は、トングウェ人たちに自然の改変を最小限にとどめ、原野の自然と共存しながら暮らすことを可能にしていた。挨拶に長い時間をかけ、近隣の村々をぶらぶら訪ね歩くことを楽しみとしている人びとの暮らしは、どれだけ多くを生産できるかを競い合いながら、日々の生活に追い詰められているわたしたちの資本主義社会とはまったく異なる世界に思えたものだ。

 しかし講義を聞くうちに、長閑のどかな農村はおどろおどろしい世界に一変する。掛谷は最少生計努力を、自然とともにのんびりと暮らす生き方としてではなく、社会を生きるうえで誰しもが抱くだろう人間の基本的な感情──嫉妬やうらみ──と、それに起因する呪いに光をあてて説明したのだ。

 掛谷がまず示したことは、トングウェ人は、集落の住民が食べられるだけの食糧しか生産しないにもかかわらず、集落を訪れる客人をもてなすために、生産した食糧の四〇近くも分け与えていることである。この客の接待に要した食物量は、自分たちもほかの集落に旅に出かけ、もてなしを受けるため、通常は帳消しになる。しかし客人がいつ何時、何人くらい訪れるかはあらかじめ計算できないし、ふつう計算しないものである。

 そのため、生産量と消費量の危うい均衡が崩れ、しばしば食物が欠乏してしまう事態にも陥る。そのような事態に見舞われた集落の人びとは、近隣のたくわえのある集落に行き、食物を乞う。そして貯えを分け与えた集落も、あとになって、ほかの集落に食べ物を乞いに行かねばならなくなるという連鎖が生じる。「食物の平均化」とは、このようなしくみで集落間の生産量の不均衡が縮小していく事態を示したものだ。

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第一章 究極のLiving for Todayを探して(2)

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