人々を戦場に向かわせた“自己啓発マニュアル”の検証
明治期から太平洋戦争期にかけて、数多く出版された軍隊にまつわる「マニュアル」集。これを検証することで、軍隊という巨大な存在に対する当時の人々の心の襞が透けて見える。

第一章 軍隊「マニュアル」の出現──明治一〇年代~日清戦争期

 本章では、徴兵制が開始されてからまもなくの明治一〇年代から日清戦争前後までに、兵士の教科書をはじめとして、模範的な書簡・挨拶文例など、さまざまなかたちの軍隊「マニュアル」が出現し、日本の社会に定着していく過程をみる。それは同時に、明治の人々がなぜ徴兵を受け入れていったのかを問い直すことでもある。

徴兵令の通俗解説書

 兵士の「マニュアル」と聞いて、教科書にも載っている『徴兵免役要録』などの、いわゆる「徴兵逃れ」マニュアルを思い浮かべる方々も多いのではなかろうか(【図2】)。これらには明治六(一八七三)年制定の徴兵令の条文が紹介され、「国民皆兵主義」とはいいながら一家の戸主、跡継ぎ、官吏学生などに広く認められていた免役条件、つまり軍隊に行かなくてもよい条件とは何かについて、わかりやすく解説されている。しかしこれらは、明治一六(一八八三)年ごろまでには姿を消してしまうとされる(加藤二〇〇〇)。徴兵令が改正されて兵役を免除される者の範囲がしだいに狭まったからであり、また官憲の目が光っていたためでもあったろう。

 しかし、徴兵令の通俗解説書自体は、その後も引き続き公刊されている。例えば服部兼次『応否摘要 徴兵道しるべ』(明治一七[一八八四]年、開巻舎、定価二二銭)は、徴兵に関する規則を知らずに罰せられる者が多いため、これをふせぐという趣旨で作られた。著者服部は「序文」にて、「予往年徴募に応じて金沢営所歩兵第七連隊に編入せられ、中隊長歩兵大尉林隆夫君の揮下に属し、後挙げられて分隊長の職を奉じ……」云々と述べている(林の名は同書の「演義」=監修者として表紙に掲げられている)。服部はおそらく徴兵で入営し、下士官まで勤めあげた人物なのであろう。

 同様の徴兵「マニュアル」として、相澤富蔵『兵役者心得』(明治一九[一八八六]年、定価二五銭)もある。これは例えば居住地の役場に提出する転居届など、兵士にとって在役・在郷中を通じ必要となる諸書類の書式集である。相澤は新潟出身、明治一〇(一八七七)年東京ちんだい(後の師団)工兵第一大隊に入営、三年間の服役後、軍隊に関する書籍専門の出版社「厚生堂」を設立、大正四(一九一五)年に死去する(『大正過去帳』)まで、多数の書籍を刊行していく人物である。(〝裏マニュアル〟で処世術を説く へ戻る)

 このように、軍隊生活を実体験した兵士たちの手で徴兵「マニュアル」が刊行されていくのだが、それらが前出の『免役要録』的書物と決定的に異なるのは、相澤『兵役者心得』が序文に、

嗚呼ああ人誰か自家の興廃存亡に対し喜憂をいだかざるものあらん、ただに喜憂を懐くのみならず、の之を維持するは即ち人情なり、しかしひとり邦国の盛衰安危に至りては往々つうようあいかんせざるものあり、なみ[=自分]のことげんを置く所なり、そもそも邦国は自家のしゆうごう即ち各人父母墳墓の土地にあらずや、しかるをいやしくも邦国の盛衰に相関せざるあらば、即ち是れ自家の興廃にあずからず各人父母墳墓のこうを顧みざる者なり、し果してくの如くんば、即ち人の人たる所以ゆえんの者いずくに存ずるや

 と、兵士たる自己の務めを果たすこと──同書の趣旨に即していえば、退営後もきちんと転居届などの書類を軍・役所に提出し続けること──が国家を「保護」することであり、「各人父母墳墓」の地を護ることでもあると説明していることである。つまりこれらの徴兵「マニュアル」は、兵役義務を逃れるためではなく、積極的に果たすための「マニュアル」として作られているのである。

 こうした書籍が作られた背景には、明治一二(一八七九)年から二二(一八八九)年にかけて徴兵令が相次いで大改正され、とくに二二年の改正ではそれまで認められていた、戸主などの徴集猶予制が全廃されるなど兵役が逃れづらくなり、それだけ多くの人々が服役を強いられていったという事情があった。その中で民間の「マニュアル」の刊行販売は、ひとつの商売として成立するに至ったのである。商売上の〝うたい文句〟という面もあるだろうにせよ、そうした徴兵正当化の論理を社会に向かって説く兵士たちが出てきたのは、広い意味での軍隊教育の成果であろう。

 かくして、多くの兵士が自ら買って読む「マニュアル」(むろんその背景には、刑罰を恐れる心情があるのだが)が出現し、徴兵はできれば「免れたい」他人事ではなく、「国民」一人一人が「積極的に務めるべき」ものである、それが自己の利益、つまり「自家の興廃」にもつながる、という文脈で語られ正当化されていく、という時代がはじまったのである。

第一章 軍隊「マニュアル」の出現――明治一〇年代~日清戦争期(2)

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