あなたはウンコが好きですか?
野外排泄によって人生が180度変わったというフィールドワーカーが、トイレとウンコから私たちの生きる世界の不思議や問題を調べ直す。持続可能な社会とウンコ、学校と子どもとトイレの世界比較、生きる尊厳とウンコ。すべての道はウンコに通ず!

1回 縁の下の未来学

1.子どもはなぜウンコが好きなのか―自分から他者へと反転する気になる存在

ウンコは何者か?

 あなたはウンコが好きですか?

 もしあなたが大人だったら、そんなバカげた質問をするな、と呆れてしまうかもしれません。でもちょっと思い出してください。子どもの頃、あなたはウンコが気になってしょうがなかった時期がある。そうでしょう?

 だいたいにして、子どもというのはウンコが好きです。ごく幼い頃は、自分の分身だと思っているふしがあるようです。これは、子育て中のお母さんに聞いた話。

 うちの子、なかなかオムツが取れなくて。トイレトレーニング(おまるではなく、トイレで排泄ができるようにする練習)を始めてからも、どうしてもうんちはトイレでしなかったんです。ある時、どうしてトイレでしないの?と聞いたら、「だって、おみずのなかにボトンとおちて、ながされちゃうの、かわいそうだもん」と言うんです。へぇー、そんな風に考えていたのか、なるほどと思いました。そこで、便器の中にトイレットペーパーをふわっと置いて、「ふかふかのところなら大丈夫だよ」と言ってみると、それからトイレでうんちができるようになりました。ふわふわのベッドに寝かせてあげれば、うんちも痛くないし、かわいそうじゃないらしいんです。それからは、流す時にうんちに「ばいばーい」って手を振っていますよ。

 日常は、じつはとてもドラマチックです。日々の子育ての中には、こんな会話があるのかと、不意に胸を突かれてしまいます。幼い子どもは自分で言葉を記録することはできませんが、こうした会話の中に、彼らがこの世界をどんなふうに認識しているのかが垣間見えることがあります。ウンコを便器に落として、どこかへ流されていくのが気の毒だと思うこの感性は、ウンコをまるで自分の分身のように感じていることの表れであるといえます。つまり、少なくともこの子どもはウンコを自分のものとして認識していることになるわけです。

 ところがそんな子どもたちも小学校に入学する頃になると、急にウンコに戸惑い、時によそよそしくなり、ウンコの存在に悩み始めたりもします。これも子育て中の別のお母さんに聞いた話。

 子どもは保育園に通っていました。赤ちゃんたちのおむつを替えながら、先生たちが「うんち出たのよかったねー」、「いいうんちねー」と言っている姿をいつも目にしていたので、子ども自身がうんちは「良いもの」と理解していました。自分でうんちができると「自分でできたの? えらかったねー」と褒めてもらえるのが日常でしたから。

 ところが小学校に入った途端、「ねぇ、うんちって言われたら、褒められているんだよね???」と、混乱気味に聞いてきたことがあるんです。その理由をたずねてみると、「うんち」や「ウンコ」を悪口に使う子どもたちが増えてきたと言うんです。それまで良いものと思っていたものが、急に悪いもの、キタナイものに反転してしまう状況が理解できず、混乱していたということがわかりました。

保育所の連絡ノートに見るウンコの記述

自分から他者へ

 これは、それまで自分の分身だと思っていたウンコが、汚くて恥ずかしいものへと変わってしまうことに戸惑う姿、繊細な心理が垣間見えるエピソードです。たしかに、小学生になると、子どもたちは「ウンコ」や「うんち」や「クソ」を悪口に使い始めます。あなたにも心当たりがありますか? では、それはなぜなのでしょう。

 大人たちが会話の中で、くだらないこと、馬鹿馬鹿しいことを「クソみたいな〇〇」と言っているのを聞いて覚えるということもあるとは思いますが、小学校低学年くらいになると、だんだんと物心がついてきて、ウンコに対してそれまで感じていた「身近さ」とはうらはらの、「得体の知れなさ」を感じるようになることに、認識の転換点があるのではないかと、私は考えています。

 それゆえに、ウンコは子どもたちにとって、非常に気になる存在になるのです。身近と感じるのも、不思議を感じるのも、あるいは不安になるのも「気になる」という意味では共通しています。だから、嫌っているのかと思いきや、あちらこちらにウンコの絵を描いては喜んでいたりもします。小学校低学年の子どもたちの自由帳をのぞいてみると、あちこちにウンコの絵が描かれていたりするのはきっとそのためでしょう。

 私はそれを、『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』という本の中でこんなふうに説明しました。

 子どもにとって、ウンコは一番初めに出会う、一番身近な「自分」であり、「他者」である。

 すると、この本を手に取ってくれた、保育園の設立や運営に長らく関わっていた70代の女性から、こんな手紙が届きました。

 幼い子どもに、絶大な人気のある「ウンコ」の話は、我家でもそうで、夏休みに田舎(長野県木曽福島町)に帰ると、おじいちゃん(夫の父、伊那市出身)が、「そうさな! の話をするか!」とニコニコ子どもたちの期待を受けとめてくれていまして、「今日は、ネズミのクモトラじゃ。あいつらはな。ポロポロあちこち行った先々にちらばっとる・・・!」なにがおかしいのか、ここまで来たら、子どもたちは、どうしようもなく身をよじって、笑いころげ、キャーキャークックックック、ケッケッケッケ・・・おじいちゃんの周りで、ころげて喜んでいました。のどかな昔の光景が思い出されますが、現代の幼児をとりまく生活の中では、ウンコの話もちがってくるのかなあ~、と思ってみたりしています。

「雲虎」は訓読みすると「くもとら」、音読みすると「ウンコ」。ナルホド!と思わず膝を打って、私も笑い転げました。ところで、情緒たっぷり、ユーモアたっぷりにウンコをめぐる世界を語るおじいちゃんを囲んで笑い転げている、そんな子どもたちの姿は今でもどこかに存在しているでしょうか。幼児をとりまく生活は、現代ではどんなふうになっているのでしょうか。この女性が設立、運営に関わった保育園の理念には、次のような文章がありました。

 水や太陽、土、虫や動物、広い空間と仲間。これらは、子どもを人間として発達させる最初の大切な条件です。水や、泥で遊び、虫を捕まえ、動物の世話をし、野の花をつかんで感動し、友達とけんかをし、仲直りをする。テレビからではなく、大人から生の話を聞いて育つこと、はだしで踏む柔らかい土の感触を知る。しかし、そんな生活は、都会の暮らしの中から、消えてしまいそうです。

 だからこそ、そんな生活ができる場として、この保育園をつくることにしたそうです。そこではもちろん、「雲虎」の話も、水や太陽、土、虫や動物、そして子どもたちと一緒に生活の中に溶け込んでいる、というわけなのです。

2.清濁入り混じる世界の魅力

ターニングポイント

 ところであなたは、トイレやウンコの世界が好きですか?

 私はトイレやウンコの世界がキライでした。

 失敗したらどうしよう、汚かったらどうしよう、笑われたらどうしよう。「どうしよう・・・」のオンパレードで、学校でも、祖父母の家でも、ハイキング先でも、トイレの前で足がすくむ子どもだったのです。だからもちろん、トイレやウンコについての話をするなんて、トンデモナイと思っていました。

 ところが今は、トイレやウンコの話を堂々としています。本も書きました。大学で教員をしているので、講義でも話します。ウンコのTシャツを着て教壇に上がると学生たちが大喜びするので、私は張り切ってしまいます。なかなか売っていないので、ウンコイヤリングも作りました。話をしてほしいと呼ばれると、講演会でも対談でも、小学生の放課後教室でも、どこへでも出かけて行きます。子ども向けの絵本も作り始めました。そして今はこうして、Webマガジンを通してあなたに向かって話しかけています。

 この変わりようはいったいどうしたというのでしょう。2020年に『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』(ちくま新書)という本を出版してからは、読んで下さった読者の方々から、「そもそも、どうしてウンコの本を書こうと思ったのですか?」と聞かれることが多くなりました。とある対談で、「何か自分が変わる転換点があったのではないですか?」と尋ねられて、そういえば、と思い出したことがあります。

 トイレやウンコを怖がっていた子どもの頃の私は潔癖が過ぎるほどで、とにかく手を洗わなくてはいられない、というような時期を過ごしていたことがありました。気がつけば、それが考え方にも影響するようになって、ものごとを、良いこと・悪いこと、白か・黒か、優か・劣か、清潔か・不潔かと、2つの評価のうち、どちらか一方に区別するようになってしまったのです。息苦しかったですね。なぜって、世の中は白か黒かに分けられるほど、そんなに単純ではありませんし、人間自体も良い面もあれば、悪い面も抱えて生きているからです。また、自分では「悪い」と思っていたことが、ほかの人やほかの国、ほかの時代では「良い」ものに反転することも少なくありません。

 大人になるにつれて色々な経験をして、複雑だけど面白い、世の中や人間のことが少しずつ分かってきました。だから、自分の考え方を変えてみたいと思いました。大学生になって一人暮らしをして、あえて知らない土地へたくさん出掛けるようになったのは、清濁入り混じる混沌とした世界の中に、自分の身をポーンと投じてみようと思ったからです。

19948月、沖縄の無人島キャンプにて(前列右側が私)

 その中で一番大きな出来事は、大学の教室でたまたま隣に座った友達に誘われて、夏休みに沖縄青年の家が主催する「沖縄無人島一週間キャンプ」に参加したことです。電気、ガス、水道がない、もちろんトイレもない場所で過ごす夏の日々。砂浜に作った手作りの即席トイレには屋根がありませんでした。夜はトイレの上に満天の星が輝きます。よそよそしくて怖いものだと思っていたトイレやウンコが、この時ほど自分のものとして、そして大きな自然の確かな一部として感じられたことはありません。これが私の人生を180度変えるターニングポイントになりました。トイレやウンコは、「キライなモノ」から「面白いモノ」に反転しました。そして、その頃から、「生きる」ということをもっと正面から、そして自分が知らない人びとの価値観や文化に出会いながら研究してみたいと思うようになったのです。

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