衣笠、星野、江夏、村田兆治——珠玉の野球ノンフィクション9編
山際淳司が描いた衣笠祥雄、星野仙一らレジェンドの横顔。再編集版で復刻。

1章 名将

メルセデスにて  

1989(平成元)年

「勝負に向いているのか、向いていないのか、わからなくなるときがあるよ」

 彼はいった。

「だれがですか?」ぼくは、念のために聞く。

「だれがって……。おれがだよ」

 そういって笑うかなと思ったが、かれは笑わなかった。

「のめりこみすぎるんだな。本気に入りこんじゃう。だからね、負けるとハラがたってしょうがない。気分転換? そりゃ、しようとするさ。だけどダメだね。ちょっとやそっとの気分転換じゃおさまらない」

「いつ気分が晴れるんですか?」

 かれはやっと笑って、答えた。

「ゲームに勝ったときさ」

 中日ドラゴンズの監督、ほしせんいちはメルセデスのステアリングを握っていた。まだユニフォームを着たままだ。4月にスタートしたペナントレースが、やっと終わったところだった。監督就任二年目にしてかれとかれのチームは「優勝」をもぎとることに成功した。シーズン前半の、不調。夏を目の前にしての連敗。それをすべて帳消しにするかのような後半戦の逆転また逆転のスリリングなゲーム。激しいペナントレースからやっと解放されたのだが、ユニフォームを着たままの監督はまだ戦闘中であるかのごとくだ。

 クルマを走らせながら話そうか、かれはそういった。

 メルセデスは、球場をあとにした。

 ユニフォームのひざのあたりにグラウンドの土がこびりついていた。自分がマウンドに登って投げてきたわけではないのだが、星野監督は一試合完投してきたピッチャーのようでもある。ぼくはかれの背中の背番号を確認する。〈77〉だ。ピッチャー星野ではない。監督、星野仙一だ。しかし、これほど選手のごとく長いペナントレースを戦ってきた監督も少ないのではないか。かれはしばしばダグアウトの中からマウンドにいるピッチャーに向かって腹の底から声を出し、叫ぶようにいったものだ──。

 逃げるなよ。勝負していけよ、と。

 まつすずこんどうかくげん……かれらに向かって声を張りあげながら、監督は自分に向かって叫んでいたのかもしれない。

 1988年の野球シーズンのことだ。

 タフな指揮官でしたね。

「今だからできるんだ。体力があって、ドラゴンズをもっといいチームにしたいという思いがある。まだまだ足りん。まだまだ不十分だ。そう思ってやっているから気持ちが前に出ていくんだよ」

 ついでに体も出ていく。

「手が出るな。どなりもするしね。あれは演技なんかじゃないんだ。ああすれば選手がピリッとするだろうとか、そういうことを考えて演技しているわけじゃない。ポーカーフェイスとか、おれにはできないからね。本音だよ。いつも本音でやってきた」

 しかし、試合後のコメントを聞いていると、負けても余裕のポーズをとってみせることもあった。

「無理に笑ったりしてな。あれは難しい。顔がひきつってるんじゃないかと、ひやっとしてるんだ」

 選手、とくに若手選手にとっては最後まで監督は怖い存在だったと思う。チャンスに凡退してダグアウトに戻ってくると、自然と足が遠回りして監督に近づかないようにしていた。

「ハハハハ。攻めの野球をしなけりゃいけない。ケンカをやれということじゃないんだよ。けどね野球はね、バットとボールのぶつかりあいだよ。次の塁、次の塁と攻めていくから勝てるんであって、それは本気になってやらないかん。ケンカ腰でね。おれはそういう姿勢でやってきた」

 一番エネルギーの必要なさいはいですね。

「疲れるよ、そりゃ。同じようなやり方を五十歳になってもできるかといわれたら、わからんな」

 監督がそういう姿勢でいるから選手にはプレッシャーがかかったでしょうね。

「プレッシャー、プレッシャーというけどね、そんなもんに押しつぶされたら、それだけのものなんだ。プロだったらプレッシャーを突き抜けるのが当たり前だよ。大事な場面で気楽に行け、なんておれはいえない。一球たりともおろそかにできない場面で気楽になれるやつなんていないよ。プレッシャーを感じて当然なんだ。要はそこから逃げるか、向かっていくか、だよ。プレッシャーをひとつ乗り越えるとね、次にはもっと大きなプレッシャーと向かうことになる。勝負の世界はその連続だと思う。それをいくつも突き抜けていくから、大舞台でちゃんと自分の力を発揮できるようになる。だからおれはプレッシャーをかけるよ。どんどんプレッシャーを感じろ、という。プレッシャーに挑戦してみろ、とね。監督に怒鳴られるくらい、大したプレッシャーじゃないよ」

 ピンチのときにマウンドへいきますね。そういうときでも星野流のいい方ですか?

「おれははっきりいうよ。ここは抑えろってね」

 抑えたくても抑えられないかもしれない。それがピンチですね。それでも、抑えろと?

「どうしても相手打線を抑えてほしいからマウンドへ行くわけだよ。遠回しないい方をするより、はっきり気持ちを伝えたほうがいいな。ここで打たれたら承知せんぞ、ということもあった」

 そういういい方をしても不自然じゃない。それが星野仙一という男なんですね。似合わない監督がそういったらケンカになる。

「源治(郭)はおもしろいやつで、おれがマウンドへ行って何やっとるんだ、というと、監督さんをマウンドへ呼びたかったんだ、というんだ。テレビに映してやりたいから呼んだんだというわけさ」

 ゲームの瀬戸際に立つピッチャーとしては、いい台詞せりふですね。

「監督の口からいうべきことじゃないかもしれんが、今シーズンのMVPは源治だよ。セーブの記録を作ったということだけじゃなく、チームを助けてくれた。源治を出して負けたら、これはもうしょうがないと、あきらめがつく。それくらい信頼できるリリーフエースだな」

 その郭源治が監督をテレビに映したいからピンチを作ったという。監督は思わず苦笑い?

「ちゃんというよ。みんなが早く握手してシャワー浴びたがってるんだから早うせい、と。それでトントンとゲームが終わる」

 いいチームだろ、監督の笑顔はそういいたげである。

 車はの市内を走り続けた。

 どこへ向かおうとしているのか、わからない。

77〉の背番号をつけたユニフォームを着たままの監督は語り続ける。ちゃんと、見とったんか? かれはいう。大リーグの野球ばかり見とったんじゃないのか、と。ぼくはそのシーズン、大リーグ野球の仕事をしていたので、確かに大リーグのゲームはたくさん見た。LAドジャースは、星野・中日と深く結びついている。ドラゴンズのユニフォームデザインはドジャースそっくりだし、ドジャースは春にはベロビーチのドジャータウンへ行き、一緒にキャンプを張った。やまもと西にしむらふじおう……若手選手をドジャースのマイナーチームに預けてそのまま置いてくる、というやり方をしたのが星野監督だ。

 会話はつづいた。テープレコーダーは、いつのまにか回りはじめ、その場の音声をきちんと拾っている。

 ベロビーチ、ドジャータウンでのキャンプは結果的には成功でしたね。

「シーズン始めはボロクソにいわれたけどね。ベロビーチまで行って何してきたのかと。ケガ人は出るわ、調整に失敗する選手は出るわ、スタートでつまずいたから、いいたい放題のこと、いわれた」

 プラスになったのは、どういうことでしたか。

「アメリカ野球の厳しさを身近なところでみたこと。メジャーにあがれるか、あがれないか、ぎりぎりのところでやっている選手がふるい落とされ、荷物をまとめてキャンプ地を去っていく。こいつまで落ちるのか、とびっくりするくらい、いい選手もメジャーの壁を前にして引き返していく。よく練習するよ、そういった連中は。早朝特訓をやって、昼間の練習に参加し、そのあともまた練習。それも基本を繰り返す練習だよ。そうするとちゃんとしたキャッチボールができるようになるんだ」

 ちゃんとしたキャッチボール?

「ちゃんと相手の胸に投げる。ゴロは正面で捕る。それが基本で、その基本ができるからバリエーションプレイができる。ちゃんとしたキャッチボールができない選手がけっこうプロにもいるんだ」

 練習。基本。現役時代の星野さんは、どちらかといえばその手のものが嫌いだったほうですね。

「まあな。だからいえるんだよ。練習嫌いだったおれを真似ちゃいかん。実際、そう思うよ。わしみたいな監督がおったら、もう少し投げられたかもしれん。ちゃんとトレーニングを積んでおけば、絶対に選手寿命は延びる。間違いないんだ。だからおまえらに練習せえ、がんばれというんだ、と話をするよ。これは一度ユニフォームを脱いで外から野球を見るようになってわかったことだな。よそのチームに比べれば、ドラゴンズ、練習少なかったもん」

 チームの改造に手をつけたわけですね。一年前の秋のキャンプでもすさまじかった。

はままつに見にきてたから、わかっただろ。徹底的にやらせた。みんな足がぱんぱんになって動けないくらいだった」

 あいつがツブれた、こいつがダメになったと星野さんが話をしているのを覚えてますよ。うれしそうにいっていた。

「うれしそうに? バカたれが(笑)。シーズン終わったあとだからね、選手が故障してもかまわんと、コーチにいったよ。あれくらいの練習でぶっこわれるやつは、それだけのもんなんだ」

 若いキャッチャーに注目してくれともいっていましたね。何が何でもこいつをレギュラーにしてみせると。だから来シーズン、見ててくれと。それがなかむらですね。

「よう怒鳴りつけたよ、あいつを。苦しかっただろうけど、そこでがむしゃらになって苦しんでいるうちは、おれはチャンスを与えるんだ。もっと大きくなろうとしているわけだからね」

 そういう若い選手のばつてきの仕方が星野監督の特徴だと思う。ルーキー、近藤投手の起用の仕方から始まって、たつなみも含めて、かなり思いきった選手起用をしていますね。

「今から思うとそのあたりの呼吸は、みずはらさん(水原しげる 196971年 中日の監督)に学んでるような気がする」

 星野さんがプロ入りしたときの監督が水原さんですね。

「そうなんだ。水原さんはジャイアンツの監督をやってたとき、ながしまさん、おうさんをデビューさせたんだ。長嶋さんは四打席連続三振のデビューだし、王さんも打てなかった。それでもこいつはモノになると思いこんだらガマンして使っていく。あの思いきりのよさは中日の監督時代もあった。わしはプロ入りした年に水原さんに向かって怒鳴ったことがあるよ。新人のおれがだよ。巨人戦の9回だな。2点差ぐらいでリードしていて、王さんにヒットを打たれた。ベンチが動いてもたついてたんだ。ハラたって、投げさすんか降ろすんか、はっきりセイ! 新人投手が監督に向かっていっちゃった。続投で、長嶋さんに2ランを打たれたよ(笑)。試合後、ピッチングコーチにどやしつけられた。もうこれで使ってもらえんかなと思ったら、次の試合にまた登板命令が出た。あの人は使うと決めたら使うんだな。他の監督、たとえばかわかみさんからは勝負に対する執着みたいなことを学んだな。V9時代の野球をこっち側から見ていたし、解説者をやっているときは同じ立場にいてそれを感じた。あのオッサン、何やらせても勝負強い。執念燃やしてくる」

 星野さんにしても勝負強いでしょう。

「あの人には負ける(笑)。まぁ、冗談抜きで水原さんはえらかったよ。おれがあそこまで辛抱強く若い選手を使いきれるか。これからだな」

 その選手起用がピタリと当たっていく。それがシーズンの逆転劇を生んだ。

「正直いって、こわいよ。代打を告げる、それが成功するだろ。もう一丁。それもまた当たるんだよ。〝まつざき、行け〟〝(むら)兄貴、行け〟。それが当たる。内心、こわいくらいだけど、そんな顔は見せないよおれは」

 代打起用が成功して当然だという顔ですもんね。

「信頼させるんだよ。何だかようわからんけどカンが当たるあの監督がおれを指名するんだから打てるはずだ。そう思ってくれれば勢いがつく」

 ドラフトで近藤を引き当てたときも、絶対おれが引いてやるといってた。

「強がりだよ。どうなるかわからんのだから。でも、どうなるかわからんなんていっちゃいかん。欲しいんだから、取りたいんだから絶対に引くと。そういう性分なんだ」

 ぼくは何度走っても、名古屋の道をおぼえられない。幹線道路がわからないのだ。こっちへ行くか、といって、監督はメルセデスのステアリングを切りつづける。こっちも、あっちも、ぼくとしてはまかせるほかはない。

 星野監督は縁起をかつぐほうだ、という。

 自宅からナゴヤ球場に行くルートはいくつかある。どのコースを通るか、気にかける。昼には必ずめんるいを食べる。それもジンクスだ。遠征先で、その店でうどんを食べると勝つ、というそういう店があった。かれは勝ち続けているうちは連日、タクシーを飛ばしてそこの店に通う。負けると店を変える。そのうち、行く店がなくなっちゃうかもしれんといって笑う。

 勝負に対する思い入れが強いからだ。過剰なほどの思いがあるから、ゲンもかつぎたくなる。淡白に勝ち負けを流すことができない。そういう監督だからこそ勝てたゲームがいくつもあるような気がする。采配で勝ったというより、ダグアウトの中の監督が発する「気合」のようなものが選手に影響を及ぼし、おのずといいほうに回転していった。そういうゲームが多かったのではないか。プレイをするのは選手たちだ。それはまちがいないのだが、このチームは監督も、もうひとつのグラウンドでじっとりと汗を流してきた。

 オーケストラの指揮者みたいなものですよ。指揮台で熱演しながらオーケストラのメンバーをその気にさせてしまう。

「ふふふふ」

 気分いいでしょう。指揮者は一度やるとやみつきになるといいますよ。

「まだ、やりたいことがたくさんあるからな。よくいうんだ。今年の優勝は平幕優勝だぞって」

 平幕優勝ねえ、名言だなぁ。

「発展途上のチームだよ。横綱相撲がとれたわけじゃない。みたいには強くないもんね。主砲のおちあいにしたって、もっと打っていい。それだけの力を持っているんだからね」

 その落合をシーズン途中、三番に変えましたね。

「考えこんでたみたいだな。バッターボックスに入っても、ちょっと違う。肩に力が入って、深呼吸して。責任感の強い男だから打てないことを気にしていたと思うよ」

 そのうち打つわ、とか軽く受け流しているように装いながら、かれも歯がゆかったと思うんですよ。

こうやまもと)にも、ブチ(ぶちこういち)にも聞いた。打てないときってのはどういう心理なのか。落合はスタメンを外されるんじゃないかと思ってたらしい。そうじゃなく、もう一度、基本からやり直してみようと。走って、打って、ノックを受けて、泥まみれになってみよう。直接、話をしたんだ。あれだけのバッターだから配慮はするけど遠慮はしちゃいかん」

 周りも、その落合を盛りたててましたね。チームの調子がよくなってきたからできたんだろうけど、いい場面でチャンスを作り、落合に打順をまわす。

「それだよ。ひとりじゃヒーローになれない。それが野球だろ。人間力だよ。ひとりひとりの力、それが結集したときの力」

 それを引き出していくのが監督の役割だと。話は変わりますけど、ジャイアンツの王監督がユニフォームを脱ぎましたね。

「常勝を義務づけられているチームでファンの期待にこたえられなかった……。時代錯誤だよ。常勝を目標にするのはいい。毎年、優勝を目標にするんだと。それは当然だけれども、それにしばられたら目先の一勝のことしか考えられなくなってしまう。若いこれからの選手を思いきって使うことなんてできなくなっちゃうだろ。あのチーム、いつまでそんなことをいっとるんかね(笑)」

 そして広島カープには山本浩二さんが監督に就任する。

「これはおもしろいよ。あいつのことはようわかっているから。案外、図太い勝負をしてくる男だからな。しかも、あいつは優勝を狙えるチームを任されるわけだよ。投手力はいいし、いい外人選手をどこからか連れてくるだろうし」

 長いドライブになった。

 野球の話をしはじめると際限がない。かれはかつて、マウンドの上で燃えつきようとした。そういうピッチャーだった。そして今は、監督として燃焼しつくそうと思っている。そういう気分が、ひしひしと伝わってくる。

 どこへ向かっているのか、とぼくは聞いた。

 シーズンが終わり、やっとひといきついて、自宅に戻ろうとしているのか、それともまた、球場に戻ろうとしているのか。あるいは、別のどこか、なのか。

「決まっているだろ」と監督はいった。

「来シーズンに向けてさ」

『真夜中のスポーツライター』(角川文庫)より

第1章 名将 オールド・ボーイズ・オブ・サマー(1)

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