なぜ、カネボウは巨額の損失を隠し続けることができたのか
粉飾には数多くの関与者がいる。なぜ粉飾は後を絶たないのか。その末路とは。カネボウ、メディア・リンクス、ライブドアなどを事例に、粉飾にいたる系譜と構図を明らかにする。

KS対策委員会

 一九九七年六月六日。取締役会での支援決定から二週間後、社長の石原は多湖を伴い、興洋染織の営業部門が置かれていた南海本線泉大津駅前の事務所に向かった。石原は重要な書類を持参していた。「覚書」と題したそれに、西川兄弟からサインをもらうことが、その日の最大の目的だった。

 A4判二枚に第一条から第九条までが並ぶ「覚書」は、カネボウ、カネボウ合繊、興洋染織、西川文平・四郎の五者間で交わされた。その内容は、興洋染織について実態調査の必要性を関係者が認識した上で、カネボウがそれを行い、再建策を立案・実行するというものだ。その間、西川兄弟は株主総会の議決権行使を留保し、カネボウは支援が終了した段階で西川兄弟…

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