なぜ、カネボウは巨額の損失を隠し続けることができたのか
粉飾には数多くの関与者がいる。なぜ粉飾は後を絶たないのか。その末路とは。カネボウ、メディア・リンクス、ライブドアなどを事例に、粉飾にいたる系譜と構図を明らかにする。
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序章 虚業ライブドア

 ライブドアという会社が世間の耳目を集めるようになったのは、そもそもがその無軌道ぶりからだった。

 二〇〇四年二月一日付でそれまで名乗っていたエッジから、事業買収した倒産企業の社名であるライブドアへと変更した時、彼らはイーバンク銀行との全面戦争の真っ只中にあった。前年の秋に役員派遣も含めた出資契約を結んだばかりだというのに、わずか三カ月でお互いが罵り合う事態となっていたのである。

 ライブドア側は社長の堀江貴文自らが先頭に立って自身のブログ「社長日記」において露骨な表現で相手に非難を加え、さらに取締役最高財務責任者の宮内亮治の携帯電話に残されたイーバンク銀行社長のものとされる恫喝まがいの録音メッセージをインターネット上で公開するとの挙に出た。そうしたプロパガンダに我慢ならなくなったイーバンク銀行側は後にライブドアを信用毀損で刑事告訴、民事訴訟も提起して反撃の場を法廷に求めた。

 衆人環視の中で喧嘩をけしかけるとは、ずいぶんと破天荒なベンチャー企業が現れたものだったが、その頃、株価のほうも稀に見る急騰ぶりを見せていた。

 きっかけとなったのは、前年十一月に発表していた株式の百分割という、これまた無軌道な資本政策だった。三カ月前の八月にも十分割を実施していたから、一年足らずで発行済株式数が一千倍にもなる計算だ。株式の大幅分割は新株取得の権利がなくなる日から実際に新株が交付されるまでの間、株式市場で需給関係が引き締まるため、株価が上昇する傾向にあることが知られていた。発行株式を百倍にしようとすれば、一時的に流通する株式数は理論上その百分の一に萎む。買いたくても買えない投資家が多ければ、それだけ株価を押し上げる要因となる。

 もっとも、この時、株価急騰の起爆剤となったのはあるトラブルだった。需給逼迫期間に入って三日目の十二月三十日、市場に突然、大量のカラ売り注文が入った。前日出来高の百倍を超す注文だったが、どこかの証券会社が大幅分割で売買単位を間違えて入力したらしい。しかし、残酷にも取引は次々と成立した。誤発注した証券会社に決済できる株券はないから、急いで市場で買い集める必要がある。そのおかげもあって、株価は連日ストップ高を続けた。十営業日後の一月二十日にはついに分割発表日に比べて九倍近い高値をつけている。その一瞬、ライブドアの株式時価総額は九〇〇〇億円を突破した。

 IT(情報技術)バブルの急峻な頂が砕け始めた二〇〇〇年四月になって東証マザーズに上場したライブドアは、言ってみればブームに乗り遅れたベンチャーだった。東京大学中退という学歴や、まだ二十七歳という若さから、創業者の堀江は新規株式公開(IPO)当時、ちょっとした話題を集めたが、ホームページ制作というインターネット時代の原初形態とも言えるビジネスはその後、大した評価も得られず、株価は長く低迷を続けた。二〇〇三年に入った頃の時価総額は数十億円ほどに過ぎず、これはIPOで市場から調達した現金よりも小さな額だった。それほど、彼らの評価は低かったのである。

 それが、株式分割を重ねるうちにたった一年で見る間に時価総額は膨れ上がった。その間、彼らのビジネスが劇的な飛躍を始めたわけではない。奇跡的とも言える企業価値の増大はまさに株式市場の魔力がなせる業と言えたが、それに乗じた彼らの企みについてはまだ誰も知らなかった。バーチャルな価値でしかない時価総額をリアルな収益に変換する巧妙な自社株売却益還流ネットワークが水面下で構築されていたことまでは──。

 「当初は現金での売買で合意していたんですが、途中でライブドアから株式交換にしたいと言われたんです。いったんは拒否したが、あるファンドが予約売買ですぐにカネを払うので現金売買と変わらないとお願いされました」

 ウェッブキャッシング・ドットコムの買収をめぐるやり取りを、社長だった小澤常浩(当時三十五歳)はそう記憶している。消費者金融サイトを運営するウェッブキャッシングは二〇〇〇年三月に商工ローン大手のニッシンが設立、その二年後、インターネット関連企業で東証マザーズ上場のアイ・シー・エフ(現オーベン)に約三億円相当の株式交換で買収されていた。ところが、二〇〇三年秋には早くもその転売話がライブドアとの間で持ち上がった。別の買収案件で損失を抱えたアイ・シー・エフが穴埋めの必要に迫られたことが背景にはあった。

 小澤の話に出てきたライブドアが連れてきたというファンドはM&Aチャレンジャー一号投資事業組合といった。その年の十一月に組成されたばかりの投資事業組合で、運営する業務執行組合員はエイチ・エス証券子会社のエイチ・エスインベストメントだった。

 「出資者は分からなかったですね」

 アイ・シー・エフの取締役として子会社を売却する立場からライブドアとの交渉にあたっていた小野高志(同二十九歳)は、ファンドの素性についてよく調べることもせず、「エイチ・エス証券系だろう」くらいにしか考えなかった。投資事業組合は民法上の任意組合で、出資者が二人以上いれば、簡単に組成することができる。設立登記も必要なく、当事者間で簡単な書類を整えるだけだ。数年来、この手の投資事業組合は至る所で組成されており、様々な呼び名の組合が株式市場では頻繁に出没を繰り返していた。

 ウェッブキャッシングをめぐる売買交渉において、ライブドア側の担当者は主に宮内(同三十六歳)と中村長也(同三十六歳)の二人だった。税理士出身の宮内は財務面を取り仕切り、五歳年下の堀江を上場前から支えてきた存在で、同じ横浜商業高校を卒業した中村は金融子会社のライブドアファイナンスで取締役を務めていた。高校時代に親しかったわけでもない二人だったが、この頃は常に二人三脚で数多くの買収交渉にあたっていた。

 小野の記憶だと、ライブドアとのミーティングにはエイチ・エスインベストメント社長の野口英昭(同三十六歳)も同席していた。国際証券出身の野口はライブドアに転職してIPOを実務面で担当、一年半ほど前にはかねて面識のあった澤田秀雄が経営するエイチ・エス証券に移り、その子会社を舞台にベンチャー投資を行うようになっていた。

 宮内が申し出たスキームは形式だけ株式交換とするものの、実態は現金売買と変わりがないトリッキーなものだったが、喉から手が出るほど現金を必要としていたアイ・シー・エフはあまり不審がることもなく、その提案に乗った。買収話が最終的に合意に達したのは二〇〇三年十二月十五日。株式交換契約が結ばれ、その実施日は三カ月先の翌年三月十五日と定められた。アイ・シー・エフはウェッブキャッシングを売却することで四八万七七一株のライブドア株を受け取ることとされた。

 両社が発表したプレスリリースでは当時ここまでしか明らかにはされていない。

 だが、宮内らが提案したスキームの重要な点はこの先である。もし株式交換契約どおりならアイ・シー・エフは実施日である三カ月先まで株券を受け取ることができない。そこで事前の約束が実行に移された。アイ・シー・エフは二日後、M&Aチャレンジャー一号投資事業組合との間で翌年三月に受け取るライブドア株について売買予約契約を交わしたのである。それに基づいて売却代金八億五〇〇〇万円が入金されてきたのは、その翌日の十二月十八日のことだ。この時点で、小澤や小野から見れば、なんら現金決済と変わらない形でこの話は完了したことになる。

 その後、ウェッブキャッシングでは十二月二十五日付で、堀江や宮内、中村が新たな取締役に就任した。そして、その年末の四半期決算では、アイ・シー・エフの連結子会社から外れている。早々と経営権を手放したことで分かるように、アイ・シー・エフの経営陣が、投資事業組合に売り払ったライブドア株のその後について知るよしなどなかった。しかし、彼らは少し後悔することとなる。

 「やっぱり株でもらっておけばよかったなあ、とあとで議論になりましたね」

 小野の頭の中にはそんな記憶が残っていた。大幅分割で急騰したライブドアの株価はその後、さすがに調整局面を迎えていたが、分割発表前より高い水準を維持していた。三月十五日に株式交換の新株が発行されると、再び上昇に転じ、同月末には七二八〇円をつけている。アイ・シー・エフが受け取るとされた株数から計算すると株価は一七六八円とされていたから、その四倍もの高値である。仮に目先の現金にとらわれず三カ月後に株式で受け取っていれば、アイ・シー・エフは八億五〇〇〇万円を大きく上回る現金が得られたのかもしれなかった。

 では、これら一連の動きで得をしたのは、誰だったのか。株価値上がりの果実を得ていたのは、ほかでもないライブドア自身だった。

 実はM&Aチャレンジャー一号投資事業組合は、ライブドアそのものとも言えるようなダミーファンドだったのである。第三者の投資事業組合を装うため、組成時に業務執行組合員のエイチ・エスインベストメントも出資していたが、その額はわずかに一〇〇万円だけだった。ほぼ全額にあたる八億円はライブドアファイナンスが出したものだった。つまりM&Aチャレンジャー一号投資事業組合は、ライブドアが自分の資金で自社の新株を買い取って、その売却益を分配金などの名目で再びライブドアに還流させることのみを目的とした極めて特異なファンドだったのである。

 これをシンプルに捉えると、どういうことか。ライブドアは増資をして市場から資金を調達したのと同じである。あるいは金庫株として保有していた自社株を市場に放出したと考えてもよい。いずれにせよ、これは企業が事業活動によって得た収益とは異なる。企業会計上、資本取引と呼ばれるもので、本来なら売上高や利益には計上せず、自己資本を増減させるだけである。

 嚙み砕いて考えるなら、こういうことも言える。仮に企業が自身の株券を売って売上高や利益を増やせるのなら、ほとんどの企業は本業などそっちのけで株券を大量に刷り始めるだろう。製品やサービスを提供して取引先から金銭を受け取るという地道でまどろっこしく、かつコストもかかる事業活動よりはるかに簡単だからである。

 ライブドアがこの株式交換買収とダミーファンドを使った自社株売却益還流スキームを実行に移したのは、二〇〇三年十月のこととされる。錬金術の打ち出の小槌として最初に狙いを定められたのは、ウェッブキャッシングに先行して買収交渉が進んでいた携帯電話販売のクラサワコミュニケーションズだった。スキームは宮内と中村が野口と相談しながらつくり上げた。十月下旬頃、それは堀江にも説明され、売却益が一〇億円程度は見込めるとの報告もなされている。

 「そんな儲かっちゃうの。じゃあ、予算にも乗せなきゃ。上方修正だねえ。それで、二〇億いくねえ。その金額乗せといて」

 報告を受けた堀江は満足げにそう言ったという。二〇〇三年九月期、ライブドアの経常利益は一三億円だったから、宮内らが報告した売却益の見込額は会社にとって決して小さくない金額だった。

 前期決算と株式百分割が発表されたのと同じ十一月十九日、ライブドアはクラサワとの間で株式交換契約を締結した。クラサワの株主はやはり翌年三月十五日に九一万三四〇七株のライブドア株を受け取ることとされた。

 だが、これも実態は現金買収だった。株式交換契約から七日後、ライブドアファイナンスからM&Aチャレンジャー一号投資事業組合に出資された現金八億円は、そのままクラサワの株主に送金された。株式交換にあたってライブドアの株価は八七五円と算定されたことになる。

 契約から実際に株式交換が実施されるまで間隔があったのは、直前の十月一日にライブドアが公募増資を行っていたためだった。この際のロックアップ条項によって、さらなる新株発行が翌年三月十三日までできないことになっていたのである。自社株売却益を極大化するためには、大幅分割に伴う株価急騰にあわせて売却したほうがいい。そこで、宮内らは一計を案じた。三月に新株を発行するまで、どこからかライブドア株を借りてきて、それを売却することを考えついたのである。大量の株式を保有する株主で、かつ手っ取り早く借りられる先は創業者である堀江しかいない。

 十一月二十八日、堀江はM&Aチャレンジャー一号投資事業組合に対して五一〇〇株(株式分割前)の貸株を行った。当初はクラサワ買収にあたって発行する九一〇〇株(同)すべてに相当する分を貸株する計画だったが、執行役員副社長の熊谷史人(当時二十六歳)がそのことに危うさを感じ、株数を減らしたのだった。新興の未来証券から約二年前に転職してきた熊谷は、株式百分割の考案者だが、金融庁に提出する堀江の株式大量保有報告書の作成も担当していた。大量の貸株によって報告書を提出すれば計画が発覚する恐れがあると熊谷は考え、宮内や中村に進言したのだった。

 M&Aチャレンジャー一号投資事業組合に渡った貸株のうち五〇〇〇株は、さらにVLMA一号投資事業組合という別のダミーファンドに現物出資された。自社株売却益の還流工作を発覚しにくくするため、野口が知人の大西洋(同三十七歳)に依頼して組成したものだった。大西は和光証券出身で、その頃は独立して投資関連会社のバリュー・リンクを経営していた。VLMA一号投資事業組合に出資されたライブドア株は十二月二日から同月十九日にかけて市場で売却され、堀江に報告されていた数字とほぼ近い利益をもたらした。

 この後、堀江からの貸株は十二月下旬になって、元取締役最高戦略責任者の榎本大輔(同三十二歳)から拠出された株式に差し替えられている。自身が創業したソフトウェア販売会社のプロジーグループを一年余り前にライブドアに対して売却した榎本は、堀江に次いで第二位の大株主となっていた。この差し替えは、計画が露顕することを回避するための、より巧妙な隠蔽工作だったと見られる。

 クラサワとウェッブキャッシングを株式交換買収する名目で発行された新株は二〇〇四年三月、本来なら受け取るべき両社の株主ではなく、M&Aチャレンジャー一号投資事業組合に交付された。そのうち榎本への返却分を除く八九万株はさらに別のダミーファンドであるVLMA二号投資事業組合に現物出資された。大半は月末までに売却、さらに残りも六月一日までに順次処分された。これら自社株の売却によって得られた利益は分配金などの名目でダミーファンドからライブドアに還流した。本来なら許されない収益計上額は二〇〇四年九月期の第三・四半期までで総額約三七億七〇〇〇万円にも上った。

 しかし、それでも堀江は満足できなかったようだ。五月二十日の中間決算発表で通期業績予想をさらに上方修正することに堀江はこだわった。その目標額は経常利益五〇億円とされた。宮内は自社株売却益の還流工作では目標額に足りないため、それには消極的だったが、堀江は意に介さず、こう言い放った。

 「いいんだよ。強気。強気。ケイツネ五〇のがかっこいいじゃない。五〇のが、大台乗ったって感じでいいじゃん」

 八月になって、宮内と熊谷は話し合いの末、別の方策を考えついた。前月までにやはりダミーファンドを使って実質的に買収していた結婚情報サイト運営のキューズ・ネットと消費者金融業のロイヤル信販にあった預金を移動させることで架空売り上げを計上するというものだった。宮内がそれについて報告したところ、堀江は「やるしかないだろう。やりきるしかないよね」との返事で実行を了承したとされる。

 架空売り上げは広告プロモーション費やネットワークコンサルティング費などの名目で計上された。それらはライブドア本体のメディア事業部、モバイル事業部、ネットワーク事業部、コンサルティング事業部の四部門と子会社二社に分散して計上された。総額は一五億八〇〇〇万円にも上った。

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序章 虚業ライブドア(2)

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