かつてのカリスマが東京でマスコミ工作を行っていた頃、その伊藤を慕い、カネボウを応援するつもりで取引を続けた興洋染織創業者の西川四郎は、裏切られたとの思いを抱きながら、地元の泉州で悶々とした日々を過ごしていた。
一九九八年の再建計画始動後、西川は取締役でないものの会長という肩書を得ていたが、四年後の九月末に興洋染織をいったん退職することとなった。財務経理統括者の嶋田賢三郎が主導する調査の結果、カネボウが秘かに興洋染織の整理に向けて動き出した頃である。そのことは当然、西川には知らされていない。会社が返還される日を西川は心待ちにし続けた。
二〇〇二年五月二十一日付で、西川はカネボウ側の要請により、…
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