二○○二年の秋という時期は、新規株式公開(IPO)をするには、あまり都合のよいタイミングではなかった。IT(情報技術)バブルは二年前に弾け、株式市場は再び崩落局面に入っていた。九月三十日の内閣改造人事で金融担当大臣が更迭されるなど、金融不安の暗雲はいまだ厚く垂れ込めていた。その三日後、日経平均株価は九○○○円を割り込み、さらに下げ足を速めていた。
ハイテク企業の梁山泊とも言えるナスダック(米国店頭市場)の日本進出として、鳴り物入りで始まったナスダック・ジャパン市場はその頃、やっと空中分解の危機を収拾して組織改編の途上にあった。
日本側パートナーのソフトバンクと手を結ぶ形で構想が持ち上がったの…
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