粉飾の論理のページ一覧

ライブドアという会社が世間の耳目を集めるようになったのは、そもそもがその無軌道ぶりからだった。二〇〇四年二月一日付でそれまで名乗っていたエッジから、事業買収した倒産企業の社名であるライブドアへと変更した時、彼らはイーバンク銀行との全面戦争の真…
「昔の仲間のことですので、ちょっと……」薄暗い急な階段の脇にある事務所の扉を挟んでの立ち話。横浜・中華街の外れにある雑居ビル二階を訪ねたところ、税理士の清水ふみ代はそう話すだけで、あとは言葉を飲み込んだ。三年ほど前まで清水はゼネラル・コンサル…
その日、一九九七年十二月十九日の朝は穏やかな陽光に包まれていた。週末の金曜日。天気予報によれば、大阪地方は晴れ、降水確率は一〇%。上空の寒気は緩み、日中は十六度まで気温が上昇しそうだった。その日の朝刊はどこも一面トップで、金大中が四度目の挑戦…
大阪市内から南に二十キロほど行くと、そこは泉州と呼ばれる地域である。江戸時代から泉州では「真田織」と呼ばれる木綿織の技術が伝承されてきた。戦国武将の真田幸村が語源ともされる真田織は日本刀の下緒や柄紐に使われたが、明治時代になると、ランプ芯やズ…
金融不安の足音が迫っていた一九九七年春、興洋染織の西川四郎は兼松の副社長に会った。西川にぼんやり残る記憶だと、確か三月頃のことだが、相手の名前はもう忘れてしまった。当時の人事記録などから見て、繊維部門長を務めていた倉橋市郎だったに違いない。そ…
一九九七年六月六日。取締役会での支援決定から二週間後、社長の石原は多湖を伴い、興洋染織の営業部門が置かれていた南海本線泉大津駅前の事務所に向かった。石原は重要な書類を持参していた。「覚書」と題したそれに、西川兄弟からサインをもらうことが、その…
一九九八年一月二十九日。午前十時から始まった取締役会において、カネボウは興洋染織問題の最終方針を決定した。この時も審議は延び延びになっていた。本来なら二週間前の取締役会に諮る手筈だったが、責任者の帆足隆は「昨今の急激な金融情勢の変化に伴い、対…
足羽川は福井市内を南から北に流れ、途中で九頭竜川に合流して日本海へと向かう。市内中心部から明治橋を渡って、右にハンドルを切ると、山が河岸まで迫ってくる。左岸に並行して走る道路は段丘に向かって緩やかに上っていき、その両側の狭い地域に民家がしがみ…
二〇〇二年三月末、ベルテキスタイルの社長を務めていた市橋邦夫は勤務地の大阪から東京・海岸のカネボウ本社に呼び出された。待ち受けていたのは常務事業統括担当の西川元庸だった。「頼むから協力してくれ」西川は土下座でもしそうな低姿勢で、市橋に協力を要…
石川県下で絶大な影響力を誇る『北國新聞』に奇妙な記事が載ったのは二〇〇五年三月十七日のことである。カネボウの繊維部門をめぐる譲渡問題が決着したことを報じるその記事は、経済面のほぼ一面すべてをつぶす特大の扱いだ。リードに続く本文は次のような書き…
小田商事の社長から引きずり下ろされた小田のその後の転落と復活は、カネボウ関係者が複雑な思いを抱く最大の原因である。撚糸業界でのし上がった小田は小田合繊工業のほか、もう一つ活動拠点を持っていた。日本撚糸工業組合連合会、通称「撚糸工連」がそれであ…
かつてのカリスマが東京でマスコミ工作を行っていた頃、その伊藤を慕い、カネボウを応援するつもりで取引を続けた興洋染織創業者の西川四郎は、裏切られたとの思いを抱きながら、地元の泉州で悶々とした日々を過ごしていた。一九九八年の再建計画始動後、西川は…
二○○二年の秋という時期は、新規株式公開(IPO)をするには、あまり都合のよいタイミングではなかった。IT(情報技術)バブルは二年前に弾け、株式市場は再び崩落局面に入っていた。九月三十日の内閣改造人事で金融担当大臣が更迭されるなど、金融不安の…
大宮が東京に戻ってからしばらくの間、CTCとメディア・リンクスとの取引は下火になった。それが再び活発になったのは二○○一年のことだ。前年に大宮は東日本営業部長兼大宮支店長に昇格していた。新任部長として課せられた「クォーター」は年間七二億円に上…
結果的に災厄をもたらすこととなったその男がメディア・リンクスにやって来たのは、人づての、そのまた人づてによるものだった。二〇〇三年の夏、新堂は増資をまとめるためコンサルタント探しを始めたが、それを受けてシステム部長の宮田も「経営立て直しをでき…
この国の経済の表層をはがすと、そこには複雑怪奇な相貌をしたもうひとつの有機体が横たわっている。事件屋、パクリ屋、地面師、詐欺師、ブローカー、暴力団、エセ同和などなど、住人には様々な呼称が与えられ、一人が複数の顔を持っていたりする。縦横無尽に張…
メディア・リンクスの資金繰りが自転車操業に陥って間もなくの二〇〇三年八月四日の夕刻、東京・日本橋蛎殻町の雑居ビル五階に事務所を構えるデビット・ネオという会社を、新堂吉彦が訪ねていたとの事実がある。デビット・ネオはコンピュータネットワークの製作…
架空循環取引で正常な感覚が麻痺していた新堂が知らぬ間に地下迷宮へと彷徨い込んだのは、いつからだったのか。その疑問を解く鍵が岡山県にある。あらかじめ警告しておくが、ここから先の話はかなり込み入っている。登場する人物や会社は、こちらをあざ笑うかの…
その頃、皇居・半蔵門にほど近い一番町TGビルに、新田修士の東京事務所はあった。ライブドアの堀江貴文が総選挙に出馬した際、地元応援団を買って出た常石造船グループが所有するビルで、同社が長年支援を続けた元首相、宮澤喜一の個人事務所もそこに置かれて…
メディア・リンクスの上場廃止騒動から三カ月ほどが過ぎた二〇〇四年六月二十八日、西日本随一の電気街として知られる大阪・日本橋の一角に本社を構える日本エルエスアイカードに一通の通知書が届いた。差出人は石川泰三という静岡県在住の個人投資家の代理人で…
さきにメディア・リンクスは「消滅した」と書いたが、最後に消息を絶った場所はどこだったのか。それを知る者は意外と少ない。二〇〇三年の秋以降、経営が極度に混乱する中、同社は本社所在地を転々と移していった。大阪・堂島浜の高層ビルを離れ、そこから北に…
社長の新堂吉彦とともにメディア・リンクスの上場準備を二人三脚で進めてきた新日本監査法人が会計監査人の辞任届を叩き付けたのは、二〇〇三年五月三十日のことである。前に触れたように、新堂の公判における検察側冒頭陳述によると、新日本の関与社員である中…
メディア・リンクスの粉飾決算が明るみに出たことなどをきっかけに、日本公認会計士協会はプロジェクトチームを立ち上げ、二〇〇五年三月に「情報サービス産業における監査上の諸問題について」と題する報告書をまとめている。それによると、「会計環境の特質」…
群馬県高崎市に事務所を構える公認会計士の細野幹夫によれば、東証マザーズに上場するゼクーの監査を引き受けるきっかけは知り合いからの一本の電話だった。二〇〇四年の晩秋のことである。電話をかけてきたのは大場武生だった。大盛工業株を巡る風説の流布を仕…
二〇〇三年六月、国際第一監査法人は東証二部上場の東京理化工業所とジャスダック上場の修学社の会計監査人に相次いで就任している。ダイカスト製品の製造販売を手掛ける東京理化は、その三年ほど前から大株主が激しく異動していた。かねてから相場の世界で動向…
「甚大なご迷惑をかけ、私どもとの信頼関係を損なったことを、心からお詫びします」中央青山監査法人理事長の奥山章雄はまずそう言って、深々と頭を下げた。その瞬間を見計らったように、報道陣のフラッシュが一斉に浴びせられる。「内部管理体制で把握できなか…
話を中央青山監査法人がその後置かれた状況に戻すことにしよう。まだカネボウ問題が持ち上がる前の二〇〇四年一月十四日、奥山の前任理事長だった上野は針のむしろに座らされていた。この日、上野は衆議院財務金融委員会で、足利銀行の元頭取である日向野善明と…
中央青山監査法人とアーサーアンダーセンとの間には、不祥事続きという共通項もあった。アンダーセンではエンロン事件以前にすでにアリゾナ・バプティスト財団(BFA)やサンビーム、ウェイスト・マネジメントの不正会計が問題になっていた。エンロン後のワー…
再びライブドア事件に戻ろう。ライブドアが架空売り上げ計上に利用したキューズ・ネットとロイヤル信販を買収する際に使われたダミーファンドはJMAMサルベージ一号投資事業組合といった。二〇〇四年五月に組成された同投資事業組合があおぞら銀行に開設した…
* * *「粉飾の原資」というものを考えた時、カネボウからライブドアに至る粉飾決算の態様の変化が明らかになる。これまで見てきたことで、おぼろげに理解できたと思うが、粉飾決算は「無」から「有」を生み出す魔術ではない。損益計算書、貸借対照表、キャ…
なるべく現場の風景を見たいと思っている。何かが得られる確証があるわけではないが、これまでの取材活動では常にそう心掛けてきた。カネボウ事件の展開が小休止していた頃、その創業地を訪ねたことがある。東京都墨田区墨田五丁目。最寄り駅は東武伊勢崎線の鐘…
泉大津市編さん委員会編集『泉大津市史』第一巻下・本文編Ⅱ、泉大津市、一九九八年磯山友幸『国際会計基準戦争』日経BP社、二〇〇二年大鹿靖明『ヒルズ黙示録』朝日新聞社、二〇〇六年鐘紡株式会社社史編纂室編集『鐘紡百年史』鐘紡、一九八八年故巽悟朗追悼…
著者紹介髙橋篤史(たかはし・あつし)1968年愛知県生まれ。93年早稲田大学教育学部卒業。日刊工業新聞社を経て98年から東洋経済新報社記者。2009年に同社を退社。現在はフリーランスのジャーナリスト。著書に『ドキュメント ゼネコン自壊』(20…
粉飾の論理電子版発行日 2012年10月1日 Ver. 1.0著 者  髙橋篤史発行者  山縣裕一郎発行所  〒103‐8345東京都中央区日本橋本石町1‐2‐1東洋経済新報社電話 東洋経済コールセンター03(5605)7021http://…

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