創価学会と公明党 精巧な組織の謎を徹底解剖
“政権を支える公明党 = 創価学会。この宗教組織はなぜかくも熱心に政治に取り組むのか。その「信仰の論理」を明らかにする画期的な著作”上智大学教授・東京大学名誉教授(宗教学)島薗進氏推薦!社会学の新鋭にして創価学会員の著者が、緻密な資料分析をもとに解き明かす!

1章 創価学会と会社

―戦後日本の都市に現われた「2つのムラ」

本章ではまずこれまでになされた創価学会研究の総括を行う。ただ研究史をまとめなおすだけでは面白くない。というわけで、本稿では一つの論点を設定した。それは「70年代以降、創価学会の信徒数が増えなくなったのはなぜか」である。

創価学会と公明党の関係を問い直すというテーマから遠い話題のようにみえるかもしれないが、「それまで社会にウケていた創価が70年代以降ウケなくなった理由」を考えることは、70年代に日本がこうむった社会構造の変化を知る上でも重要であろう(というか社会学出身の私にはこれしかできない)。

上記のテーマを導きの糸にしつつ、研究史を辿りなおすことで、内部だけで完結しがちな公明党=創価学会と、外部から罵倒するだけの社会とをつなぐ回路を構築する。現在の公明党のあり方を考察するという目的に鑑みて遠回りにうつるかもしれないが、本章ではこれを目指した。

1節 日本の高度成長は創価学会の功徳のおかげだった?

 戦争でボロボロになった日本がここまで発展できたんは、創価学会のおかげ。池田先生が一生懸命広宣流布したから、その功徳で日本はお金持ちになったんや。

この言葉は私の母のものである。失笑であろう。少なくとも学会員ではない人間にとって、まともに考察するにたえない妄想であることは言を()たない。しかしここに興味深いデータがある。創価学会の会員数の推移と、日本の経済成長率の推移である(→図1)。

おわかりだろうか。50年代からはじまる急激な成長と、70年代に入ってからの停滞。学会員の増加と日本の経済成長率はピタリと一致するのである。よって私は安倍首相に提言したい、もし日本の経済発展を維持したければもっと創価学会を応援すべきである、高度経済成長は創価学会の折伏の功徳だった、アベノミクス第4の矢は広宣流布の矢以外にない、などという議論を本稿は一切展開しないのでご安心いただきたい。

ここで参照したい論文は社会学者・鈴木広の『都市的世界』である。鈴木は1970年の著作である同書において、5668年に行われた参議院選挙の公明党の得票の地域的分布や、1962年に福岡市で行われた学会員への面接調査などをもとに「宗教運動の発展を支持した客観的法則」を分析した。その結果わかったのは、①当該期間に公明党の得票数が伸びているのは「都市とその周辺」であること、また、②福岡市の学会員の階層的帰属が「零細商業・サービス業の業主・従業員と、零細工場・建設業の工員・単純労働者など」であること、の2点である。上記2つの事実から、鈴木は創価学会を都市下層の宗教集団であるとして結論付けている(鈴木1970270276)。

イデオロギーや方法論上の問題もあって一次的資料としてしか言及しえない創価研究書群のなかにあって、二次的資料として参照できる数少ない研究の一つである鈴木の分析は、創価に興味を持つすべての者が参照すべき、偉大な先達による布石だったといえる。ただ、本論考にとって重要なのは「戦後から1970年にかけて、創価学会が都市下層の住民を大量に吸収することができたのかはなぜか」についての鈴木の見解である。

鈴木が興味を持ったのは、福岡市の学会員における現住地出身者の少なさである。いわく、「現住地に生まれた者はゼロに近く、福岡市生まれを加えて二割に満たない」、また「市外出身者が八割を越え、その大部分は農家出身者である」と。つまり当時の福岡市の学会員を構成した主な集団は「当初においては主に農家(ないし商家)に生まれ育った者で、戦時、戦後の混乱期に階層的地域的に急激な移動を経験した人々」であるということだ(鈴木1970279294)。

戦後から70年にかけて創価学会に加入した人たちは都市部の下層に属する人たちが主であり、しかも元々地元に住んでいた人たちではなく他地域から流入してきた元農民が多かった 。地理的かつ社会的な移動によって彼らは基礎的な共同体から切り離された。社会保障も体系化されていない当時の日本にあって、心理的にも社会的にも不安定な状態にあった彼らを吸収したのが創価学会だったのだ。これを鈴木は創価学会発展の移動効果仮説と呼んでいる。

鈴木以降の創価学会研究でもこの移動効果仮説を支持するものがほとんどだ。ただその多くは鈴木の論文を引用してそのまま追認しているにすぎない(たとえば塩原(1976)や西山(1980))。鈴木とは異なるデータセットを用いたうえで上記の主張を支持する研究が2つある。堀(1973)と杉森(1976)だ 。

堀は、69年に中央調査所によって東京都全域を対象に行われた公明党支持層の属性分析を紹介している。職業別に見た公明党の支持率は、自営業89%、家族従業者53%、ホワイトカラー17%、ブルーカラー137%となっている。学歴については図13を、収入については図14を参照してほしい。収入と学歴に関しては当時の東京都民全体の平均と比べることができないのでなんともいえないが、総じて低学歴、低収入と考えてよいだろう。

出身階層についてはこれも図15をみてほしいが、親が農民であるものが385%と断然多い。ホワイトカラー出身者の支持率(128%)は都民全体(247%)の半分の比率であるのにくらべ、ブルーカラーの支持率(205%)は全体(135%)の15倍に達している。

要するに「公明党の支持層は自営業主、ブルーカラー層が多く、しかも低学歴、低職種であり、農村からの離脱者が多い」という調査結果となっている(堀1973190191)。

杉森康二は公明党の得票数の地理的分布を検証することで鈴木の移動効果仮説を補完している。67年と69年の衆議院選挙において杉森は、①東京において公明党が圧倒的な支持を得ているのが下町地区であること、②埼玉や千葉などの地方からの流入人口が急速な増加を示した周辺地区において急速な増加を示したこと、の2点を指摘した。つまりベッドタウン化の進行する60年代の東京近郊では、「都心部から周辺部への人口移動」と「公明党の議席と得票数の増加傾向」に一致が確認できるというわけだ。

これを受けて杉森は「戦後の高度経済成長過程における農村部から大都市への急激な人口移動によって、肥大化した都市人口こそ、学会員の最大の組織母体」なのであると結論付けている(杉森1976113114)。

まとめよう。高度経済成長期において創価学会に入会した人たち、その多くが戦後の急激な工業化の中で都市やその周辺にやってきた農家出身者だった。基礎的な共同体から切り離された彼らは、地域にも会社にも帰属することができなかった。創価学会はそんな彼ら彼女らを吸収した。つまり創価学会の広宣流布が日本の高度成長の原因だった、ではなく、日本の高度成長が創価学会の発展の構造的要因だった、ということになる。

創価の発展が農村からの都市への人口移動に依存しているのなら、農村から都市への人口移動が停滞したとき創価の発展も止まると推察する必要があるだろう。それを裏付けるデータもある 。地域ごとの創価学会員の増減などの細かい検証は必要だが、ひとまずは移動効果仮説に基づいて議論を進めることは許されると考える。

2節 都市に生まれた「新しい村」

と、ここまでの議論を読んで疑問を持った方もいるにちがいない。創価学会の発展の背景には高度成長期における農村から都市への大量の人口流入があったという。それは認めても構わない。しかし、それだけでは創価学会がここまで巨大化した理由の説明にはならないだろう。

「存在的不安を抱えた農村出身者」という巨大なマーケットが存在したのは事実であるとして、それを開拓しうるチャンスは他の宗教組織にも平等に与えられていたのではないか。彼ら彼女らはなぜよりにもよって創価学会を選んだのか。他の宗教じゃダメだったのか。競合他社との競争に創価学会が圧倒的な勝利を勝ちえたのはなぜなのか。

この点について突っ込んだ研究は少ないが、目ぼしいものをいくつか箇条書きしてみよう。社会学者のJW・ホワイトは①敗戦による規範の喪失、②高度成長の恩恵を受けることができなかった人びとの相対的剥奪感、③優れた指導者の存在、④ほかの選択肢のなさ、の4点を挙げている(ホワイト19718384)。

宗教社会学者の西山茂は、邪教あつかいされないだけの体系的な教義や冠婚葬祭の執行組織が存在したことなどを前提として①古い教義の更新、②安定と冒険の提供、③「他者を救うこと」と「自分が幸せになること」を折伏という実践によって統一したこと、④社会統制への柔軟な対応とプラグマティックな組織体質、⑤優れた組織作りと組織運営の能力、の5つをあげている(西山1980256266)。

社会学者の猪瀬優理は①組織の柔軟性と、②「体制順応主義」と「成果主義」という基本姿勢の2点を挙げ、この基本姿勢に由来する学会員の幸福のビジョンが1960年代前後の高度経済成長期の成功イメージと合致していることを指摘している(猪瀬2011216)。

このほかにもいくつか研究はあるのだが、上記の3つを含め私はそのほとんどに説得性を感じない。なぜならだれも御本尊様の法力の偉大さを指摘していないからだ!という理由ではもちろんなく、すでに成功した団体をもってきてそれが「リーダーが優れていたからだ」とか「組織が合理的だったからだ」とか「大衆の願望に沿っていたからだ」と説明したところで〝何にもならない〟からである。コーラが売れたのは市場がコーラを求めていたからだ。アップルが成功したのはジョブズが偉大なリーダーだったからだ。これは何かを説明しているようでいて、実際は何も説明していない。

サンプル数の少なさという点に目をつぶれば参考になるのが、佐藤正明の論文「集団成員の態度変容と価値志向―創価学会の場合」である。

佐藤は1965年に仙台市の学会員を対象に社会調査を行い、学会員の入会動機づけとして「経済的・肉体的・精神的な悩み」が大きかったことを認めつつ、これと並んで「コミュニケーション的紐帯の欠如」という要因があったことを指摘している。

回収できたサンプルの中で有効なもの(50ケース)のうち、戦後になってから仙台に居住したものが29人(60%弱)を占めている。また学会以外に所属集団を持たないものが40%強に達し、その他のものでも町内会やPTAなど慣習的な集団にしか所属していない(佐藤19666064)。つまり創価学会に入会した人間の多くは都会でひとりぼっちのコミュ障だった、というわけだ。鈴木広のいうところの「離村向都型」の人間を学会が多くひきつけていたことが仙台市においても確認できたといえるだろう。

しかしそれ以上に興味深いのは図16と図17である。

これは「入会動機」と「入会したことで得たご利益」を集計した表なのだが、どこかおかしい点に気づかないだろうか。そう、「生活苦」で入会した人間が全体の半数近い24人(48%)にもおよんでいるにもかかわらず、信心して得た功徳として「仕事」をあげている人間がなぜか6人(12%)しかいないのである。その代わりあげられているご利益体験は、「精神上」や「家庭面」といった人間関係的なものに集中している(佐藤196666)。つまり素直に解釈すれば〈生活は貧乏なままかもしれないが、しかしその貧しさを分かち合えたり相談したりできる仲間ができたのでこれを功徳と考える〉という生活態度を想像することができよう 。

でもこれ、なんだかおかしくないだろうか。まるで財宝を求めて冒険の旅に出て、結局お宝は見つからなかったけれど、振りかえってみればこの冒険をすることで得た仲間たちとの出会いこそが最高の財宝だった、みたいな少年ジャンプ的欺瞞を感じないだろうか。しかし彼らがその体験を持って信仰を継続している以上、誰がなんと言おうとそれが「ご利益」なのであるし、それが彼らの「信仰理由」なのである。

つまり一般に考えられているような創価学会の現世利益主義は、入会の契機にはなったかもしれないが、信仰の継続理由ではなかったわけだ。地方から都会にやってきた下層民たちは、創価学会の活動をするなかでお金持ちにはならなかったかもしれないけれど、すくなくとも人間的なつながりは取り戻すことができた。

上記の調査結果を受けて佐藤は、「共同体秩序の崩壊の中で、大衆化状況が彼らを包み、そして漂うとき、創価学会という社会運動に遭遇することによって、新たな共同体秩序を回復する契機を持つものでないだろうか」と問題を提起している(佐藤19666264)。

ようするに、創価学会は都市に流れてきた元農民たちを再包摂する共同体として機能したということになろう。これこそが戦後に学会が発展しえた理由、競争優位であった。これをひとまず「都市に生まれた新しい村」仮説と呼んでおく。

この新しい村仮説を支持する研究は多い。有名どころとしては、宗教学者の島田裕巳 や前述の杉森 、比較的新しいところではジュマリ・アラムが同様の主張を行っている。

アラムはヴェーバーのカリスマ論をベースに真如苑と創価学会の組織とリーダーシップのあり方を比較した論文で、戦後の創価学会を「崩壊してしまった村落共同体を都会で再現するという機能」をもった宗教団体であったと規定している(アラム1994166)。

真如苑の信者にとって組織とは己の霊的レベルを向上させるための「手段」にすぎなかったのに対し、創価学会員にとって組織はそれ自体で意味があった存在=「目的」なのだという。なぜなら学会の幹部のカリスマは真如苑のそれと違って霊能力に由来しないため、生活のあらゆる事柄にわたって行われるきめ細やかなフォローによってその宗教的習熟度を示すことを要請されるし、一般会員の信頼もそうした日々の助け合いの中で地域ごとに形作られた共同体があるからこそ信仰を継続していくことができたからである(同188193)。

しかし残念なことに、新しい村仮説は支持する研究者の多さに比べて実証的なデータに乏しいという問題を抱えている。これは稿を変えて論じるが、「データのなさ、ないし信憑性のなさ」という問題は創価学会研究の抱える一つの鬼門ではあるだろう。

ただ本章が対象としている時期とは多少ずれるのだが、政治学者の松谷満が公明党の支持基盤とその価値意識を研究した論文を参考にすることはできる。松谷は2005年に自らのグループで行った調査をもとに、公明党の支持基盤が大衆文化と人づきあいという側面において特徴的なライフスタイルを持った集団(アーバンヴィレジャーとジモティ)によって主に構成されていることを明らかにした(松谷2007710)。

もちろん公明党の支持層が現在にいたる過程で大きく変質したという可能性も否定することはできない。ただ基本的に学会員はいまもむかしも「村的なメンタリティ」を持った集団であると推論することは許されるのではないだろう((1))

1 高度成長期以降、創価学会員に階層的な上昇があったという報告はあるが(玉野2008)、それは日本社会全体が高学歴化しているためであり、会員の多数はいまだ中下層に集中しているという報告もある(中野20082014)。また、松谷満は2005年の調査をもとに、現在の公明党支持層にはいまだブルーカラーと自営層が高い割合を占めていることを指摘している(松谷満2009)。つまり職業構成に関しては、よく指摘される共産党支持層(=ブルーカラー)だけでなく、自民党支持層(=自営層)とも競合する関係にあるわけだ。こうした事実は、創価学会=公明党と共産党の仲が悪いのは政治マーケットのなかで社会的弱者の得票を奪い合う関係にあるからだ、という通俗的な説明をいくぶん疑わしくするだろう。

第1章 創価学会と会社―戦後日本の都市に現われた「2つのムラ」(2)

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