果たして人間は、人間を愛さなくてはならないのだろうか
セックスって一体なんだろう?『聖なるズー』で動物との性愛という「タブー」を調査したノンフィクションライターが、まったく新しいセックスの形を体当たりのフィールドワークで探していく
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1回 彼らはなにを欲望するのか 

30体以上のラブドールと同居する男の家で一夜をともにしてみた

怪しげな館に集められた「物言わぬ少女たち」

 ひょうどうよしたかには、隠し事がおそらくない。

 埼玉県しお市、つくばエクスプレスの八潮駅から車でおよそ10分の住宅街に、兵頭が自宅内に設けた「しおほうかん」がある。たどり着いたときにはすでに日は落ちていた。手作りのように思われる電飾スタンドには「LOVE DOLL」の文字が施されている。人通りは少なく、周囲にあるのは寂れたスーパーマーケットだけだ。スタンドから放たれるピンク色の光は、いったい何を照らしたものか、おぼろに空を彷徨さまよっている。

 八潮秘宝館の入り口となる簡素な板戸を引くと、土間があった。セックス用のドールの頭部や、人形の内部骨格、等身大のドールの鋳型などが雑然と置かれ、床には義足も転がっている。ブラジャーを着けている腰までのマネキンの頭は、なぜかパンダのぬいぐるみで代用されている。天井には、ビニール製のダッチワイフが縄で縛られた状態で吊り下げられていて、「八潮秘宝館の看板娘です」と紹介文が添えてある。

 人間の、あるいは人間の一部の形をした人間ではないものたちがごちゃごちゃと散らかる真ん中に、こたつがあった。つまり土間はリビングでもあって、兵頭はここで客をもてなすようだ。

 兵頭は「模造人体愛好家」を名乗り、また、写真家でもあるという。八潮秘宝館を開設したのは6年ほど前のことだ。趣味で集めていたラブドールやマネキンが相当な数になり、知人たちの間で評判となった。秘宝館としてコレクションを公開したらどうだ、という話が出たのは酒の席でのことだったという。

 土間の奥、一段上がった部屋から展示が始まる。配置も照明も完璧で、一歩入れば兵頭の世界に連れ込まれる。それは彼の趣味や性癖や世界観を具現化した空間であり、光も色合いも角度も緻密に構成されている。ドールたちはそれぞれがポーズを決めていて、こちらに視線を投げている者もあるが、誰一人とも目が合うことはない。胸をむき出しにして鎖で後ろ手に縛られているドールの横には、なぜかしょう軍人がうなだれている。上部には何体もの動物のはくせいが並ぶ。

 2階へと進むと、天井におびただしい量のパンティやブラジャーが吊り下げられる中に、少年のドールが将校風の子供服に身を包んで座っていた。自転車にまたがり微笑みかける少女のドールは最新だそうで、一昨年、60万円で購入したものだという。もっとも広い部屋には、ベッドに横たわりがいこつの紳士に寄り添う少女と、その骨の手をとり脇にたたずむもう一人の少女がいた。

 およそ書き切れるとは思えない数多くのドールたち、マネキンたち、ぬいぐるみたち、そして飾り物の雑貨があふれかえる。配置は整然としてはいないが、完璧なバランスでそれらはそこにたたずんでいる。いちべつでは印象だけが先回りし、結局なにがどのようにしてここに集まっているのか把握しきれない。丹念に見ていると、そこかしこに妙なものが見つかる。たとえば、死んだえいの黒ずんだ人形を見つけたときにはぎょっとした。気味が悪い。だが、その空間は美しくもある。ちょうど、気が滅入る夜明けに見る悪夢のようだ。

ラブドールに囲まれながら、おでんで客をもてなす男

 少し緊張しながら写真を撮っていると、兵頭は誇らしげに後をついてきて、それぞれのドールをどこで手に入れたのかなどを解説する。聞けば、そのほとんどはもらいものか拾ったものだと言う。買ったものももちろんあるが、たたき売りやセール品をうまく見つけて集める。確かにラブドールは高価なもので、質やディテールにこだわればその価格は青天井となり、100万円以上することも珍しくはない。「60万円も出してドールを買ったのは、昨年が初めて」と兵頭は言う。「数年前にドールの盗難事件に遭ったんだけど、その賠償金が入ったからね。そのお金で買ったんですよ。事件のことは、あとで話すよ」。

 ひととおり見学したあと、土間に戻る。先客がおり、こたつでくつろいでいた。

 その男性は「いぬいこういち」と名乗った。会社員のかたわら、アニメのキャラクターなどのキグルミを製作している。その精度の高さが評判で、ファンは多い。乾と兵頭はひょんなことで知り合い、気が合ったのか、すでに15年以上の付き合いになるという。彼らはときどきこうして顔を合わせ、話に花を咲かせるらしい。

 その晩は酒盛りをするということで、私も参加することになった。兵頭は980円の一升瓶を目の前のスーパーで買って、休みには日がな一日飲むのだそうだ。

「俺はどうせ長く生きられはしない、数えで還暦まで生きられれば御の字、我慢するのは馬鹿らしい」

 兵頭は日本酒をコップにどぼどぼ注いだ。私は缶ビールを、車で来ていた乾はノンアルコールビールを自前で用意していた。酒は持ち寄りだが、兵頭は私たちのために、手作りのおでんを出してくれた。こたつの上に置いたガスコンロの火加減を、きめ細かに見守る。いわく「絶対に沸騰させてはいけない」。愛媛の母直伝の作り方らしい。濁りのない、澄んだだし汁でゆらゆらと煮てあるおでんは、失礼ではあるが予想外に美味しかった。初対面の兵頭は警戒からか、なんだかつっけんどんで、言葉にトゲが感じられることもあったが、料理がうまい。

 模造人体にまつわる雑多なものがごろごろと転がる土間におでんの香りが漂う空間はあまりにもカオティックだったが、だし汁に気持ちがほのぼのとほぐれていく。

兵頭喜貴。秘宝館の土間で筆者を迎えた

なぜ彼らは「人間以外」に射精するのか?

 雑談に耳を傾けるが、ドールやキグルミに関する専門用語や略語が多く、ついていけない。「それはなに? どういう意味?」といちいち聞いていると、「あなた、何にも知らないね」と兵頭にあきれられる。いったい何をしにうちに来たんだと言わんばかりだ。

 私は、いのちのないドールを愛するという人が、どんな様子で対象と関わり、どんなふうにセックスをするのか知りたくて、いま、いろいろな場所に出入りしては人々の話を聞いている。その過程で兵頭を知り、八潮秘宝館にたどり着いた。

 私の目下の疑問は次のようなものだ。果たして人間は、人間を愛さなくてはならないのだろうか。人間なら愛や性の対象は人間であって当然だとされているが、本当にそうなのだろうか。その根拠はなんだろう。人間を愛することが、人間であることや、“人間らしさ”の証明になるわけではないだろう。だが、それにしても、人間以外の存在を熱烈に愛することが、どこか気味悪く感じられるのはなぜなのだろうか。

 私はこれまで、動物と人間のかかわり、そのなかでも特に性的な関わりに興味を持ってきた。2016年からドイツに何度か滞在し、数ヶ月かけて現地の動物性愛者たちと生活をともにした。詳しくは後述するが、調査対象者たちと日々を過ごすのは参与観察という調査手法である。この調査研究をもとに、ノンフィクション『聖なるズー』(2019、集英社)を執筆した。登場する人々は、動物性愛という性的指向の持ち主たちで、犬や馬などの動物をパートナーとして暮らしている。彼らとパートナーの関係を通して見えてきたことは、人間と動物という異なる存在同士のなかにも言葉を介さない濃密なやりとりがあり、そして互いの対等性をかなえるための努力があるということだった。ズーたちとの日々について考察した後、次なる疑問として浮上したのが、「では、いのちのない存在たちとの、ときに性をも含む関わりとはどのようなものなのか」ということだった。

 ラブドールという、主に男性の射精への欲望を受け止めるために作られる、人間の女性をかたどった人形は、性愛の対象やそれらとの人間の関わりについての疑問を際立ったかたちで突きつけてくる。ラブドールという言葉は和製英語で、2000年代の初頭から使用されはじめたといわれている。もともとはダッチワイフという言葉が一般的だったが、その語からは空気を注入するビニール製の簡易的なものが連想される。2000年代ごろから素材の開発とともに技術革新が進み、現在では見た目も手触りも格段に改善された製品が流通していて、それらを指してラブドールと呼ぶことが多い。

 ラブドールの開発と生産はもともと日本がけんいんしてきたが、現在では価格の安い中国製の製品も急速に増加していて、存在感を高めつつある。一方、欧米圏ではこのような人形を「セックスボット」と呼び、めざましい技術革新とともに市場を拡大している。

 日本のラブドールと欧米のセックスボットには、大きな違いがある。それはAIを搭載するか否かだ。ラブドールはAIを搭載しない人形だが、セックスボットは人工知能システムを備え、受け答えをするロボットだ。セックスボットの知能は日々進化中であり、その行く末はいまのところ誰にも予想ができない。

そもそもセックスとは? 激動する価値観

 これらの事実からだけでも、人間は無機的な、いのちも温度もない存在にさえ、感情を動かされ、ときには性的に喚起されもすると想定される。では人間が欲望する、あるいはなにかを愛したいと思うとき、必要条件となるのはいったい何なのだろう?

 このような疑問をもとに、私はこれからしばらく、日本のみならずアメリカやヨーロッパ、中国などの諸都市を訪れて、参与観察を行う予定だ。参与観察とは、他者の暮らしに入り込み、日常生活を共にしながら長期的に観察する調査方法で、文化人類学的なフィールドワークの基本手法である。文化人類学においては、調査者はひとりで調査地に住み込み、その土地や集団の生活、習慣、風習、人々の間で共有されている価値観などを細かに記録し、分析していく。本連載でも、条件の許す限り粘り強く参与観察を続け、そこで得られた情報をありのままに記録していくつもりだ。ただし、調査をしながらの執筆になるため、全体を通した考察は後回しになってしまうだろう。しかしそのぶん、分析しきれないままの混乱さえも含めた文章を書いていきたいと思っている。

 さて、ほんの少し前までは、日本をはじめ多くの国々で、人間なら男女で愛し合うのが当然で、また、年齢もかけ離れていない者同士でセックスをし、子どもをもうけ家庭を持つのがまっとうとされていた。性的多様性の議論が活発になっている昨今の風潮を踏まえ、あえて過去形で書いたが、現在もなおそのような価値観が優勢ではあるだろう。

 だが、「愛」というものや「セックス」というものは一筋縄ではいかないもので、社会が要請する価値観や規範があればこそ、その背後では多種多様な反規範的・逸脱的とされる欲望が芽吹き、育ち、開花する。そのような性的こうや性的こうのなかでも、うまくいけばコミュニティができ、文化となり、さらに商売となり、市場が形成されていく。たとえばSMやボンデージ、緊縛などは、かつては背徳的な性の楽しみと受け止められていたが、いまではずいぶんと市民権を得て、もはや珍しいとは言えなくなった。

 性にまつわる価値観は、いつ、なにがどう反転するかわからない。そのうえ、性は人々の生や関係性に直接的に関わるから、その価値観に大幅な変更が促されれば、いずれ、社会全体を変革する力を備えていく。

「変態vs.変態」の終わりなき議論

 兵頭の「模造人体愛好」は、まだまだ一般的な趣味とは言えない。いぬいこういちのキグルミもまた、エッジーな遊びのひとつだろう。実際、彼らは自分たちを「変態」と言う。ときに誇らしげに。二人は親切に、無知の私にもわかるように解説を挟みながら話してくれた。乾はキグルミのみならずラブドールにも詳しい。彼らはキグルミユーザーとドールユーザーの違いについて長く話していた。

 キグルミユーザーは、理想のアニメキャラなどに扮するのを楽しむ人々で、面をつけ、全身をコスチュームに包み、変身する。自分の追い求める最高の美しさに近づくことに快感を覚えるという。いっぽう、ドールユーザーは、自分自身は変わらない。あくまで自分のまま、ドールを愛でることに情熱を費やす。

「キグルミユーザーは周りを圧倒して自分が一番になりたいんだよ。そこがドールユーザーと違う。ドールユーザーは、ただただ自分のやりたいことをやる」と兵頭は言う。「キグルミユーザーは俺たちよりもよっぽどやばい。そんで、やばいヤツに限って、みんな自分だけはまともだと思ってるんだよな。自分のキグルミの姿をみてヌくやつもいるんだよ、信じられない。すごいよ」。

「変態」と「変態」の間には常に深い溝がある。さまざまなジャンルの「変態」と呼ばれる人々の話を聞いていると、私はしばしばそれを感じる。特に、近接異分野に対する否定が激しい。おそらくキグルミユーザー側に話を聞けば、ドールユーザーがいかに「おかしい」かを話してくれるに違いない。兵頭は続けて言った。「俺はひたすら自分の好きなこと、やりたいことを追求しているだけ。理解されることはまったく必要じゃない。放っておいてほしいだけ!」

 後半になるほど語気が激しくなっていく。確かに、彼からは理解されたいという願望を感じない。彼は自宅ごと、自らの性的欲望とそれにまつわる世界を開陳する場所に変えた。理解を求めるのではなく、ドールたちとともにそこに暮らし、さあさあごろうじろ、と来訪者を待ち構えている。

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