レーダーから消えた。当て逃げかもしれないから急行する
2008年6月23日、朝。千葉県犬吠崎東方沖350キロ地点で、第58寿和丸はメインエンジンを止めて停泊を開始した。これから起きる大異変など、誰も予想することができない、いつもの海だった。――事故から12年。数々の疑惑に漁師たちが重い口を開き、衝撃の真実が明かされる。
シェア ツイート

1回 転覆

 千葉県いぬぼうざきの東方沖350キロメートル付近といえば、太平洋のただ中である。当然ながら周囲は海ばかりで、陸地はどこにも見えない。そんな洋上で巻き網漁船「第58寿丸」は停泊していた。

 朝7時ごろから、1時間ほどカツオの群れを追尾したが、釣果は出ていない。そのうちに天候が悪くなり、漁を一時中断した。8時には「パラシュート・アンカー」を海中に広げて、停泊することになった。漁師たちはパラシュート・アンカーのことを「パラ・アンカー」と言ったり、それを使った停泊のことを「パラ泊」と言ったりする。パラ泊は荒天時の沖合で用いられる停泊方法だ。落下傘を水中で広げるようにして水の抵抗を使い、船首を風上に向ける。安全性は高いとされ、操船の基本でもある。

 このとき、第58寿和丸と船団を組む僚船もパラ・アンカーを使って停泊していた。

 船団が停泊を始めた頃は、ちょうど前線が通過していくところだった。海は次第にしけてくる。それでも、経験豊富な海の男たちは、大したしけとは感じなかったようだ。実際、30年の経験を持つ船員のとよよしあきは「この程度なら(今日中に)また網をやるだろう」と思っていた。そこにパラ・アンカーを下す指示が出た。連続操業で疲れがたまっていたため、朝から休めることが豊田にはうれしかった。

 2008623日朝。

 何の変哲もないような一日が、洋上でも始まっていた。第58寿和丸は9時頃、メインエンジンを止めて停泊を開始。20人の船員たちは、それぞれの持ち場で作業をしていた。想像もできない大異変が数時間後に起きようとは、誰も考えていない。

 その時間、乗組員の豊田とおおみちたかゆきはブリッジ前にいた。この場所は船体の中央にあり、船体を人体になぞらえて「胴ノ間」とも言う。そこで、漁網に取り付けられたワイヤーの修繕を新人2人に教えていた。

撮影:穐吉洋子

 大道は、高校を中退して16歳で漁師になった。最初の漁は石川県の北端、たこじま町沖。獲れた大量のサバに驚き、思わず何匹いるか数えたという。それから魚を追って全国各地を回った。岩手県出身の大道にとって見知らぬ土地の港に入り、博多どんたくや京都祇園祭など地域色豊かな行事を見る楽しみもあった。東北新幹線や上越新幹線に自分の給料で乗れることは何よりもうれしかった。そんな時代から20年以上。既にベテランになり、若者に漁を教える立場になっている。

「ごはんだよー」

 豊田たちは、司厨長のとうよしが船内マイクで呼びかけたことを鮮明に記憶している。食堂の左端には4人掛けと6人掛けのテーブル、棚には船員の名前が書かれたマグカップや湯飲み茶わん。壁には白い「シチズン」の時計が掛けてあった。その食堂で乗組員たちは入れ替わり立ち替わり、揚げ物中心の昼食を済ませた。午後は甲板下の船員室で、昼寝をしたり、テレビを見たり、思い思いの休息を楽しむはずだった。

 食事が一段落した午前11時半頃。気象庁は「南の風が強く、最大18メートルの風が吹く」という海上強風警報を発令した。その程度の気象には彼らは慣れている。

「ホヤ買ってきて」

 午後1時頃、第58寿和丸の通信長・さいとうこうは、船舶電話でそう口を開いた。相手は、水揚げのために宮城県の石巻港に入っていた運搬船の乗組員仲間だ。獲った魚を積み込み、船団と漁港との間を行ったり来たりする。その僚船の友人に向かい、「ホヤ」を頼んだのだ。自分たちもやがて陸に戻る。その際は、好物のホヤを肴にうまい酒を飲みたい。そんな思いがあったに違いない。何しろ、出漁から20日余りが経っている。

「第58寿和丸」の勇姿(提供:酢屋商店)

直感的に沈没すると感じた

 第58寿和丸は、福島県いわき市に本社を置く「商店」の漁船である。

 同じいわき市のはま港を出た後、宮城県の塩釜港に入って燃料などを補給し、64日に出港。八丈島付近を目指した。例年通り、八丈島近海からカツオとマグロの魚群を追い、北海道東部の沖合に向かって北上する予定だった。

 巻き網漁船は、異なる役割を持った数隻の船が船団を組む。この出漁では、2船団8隻。第58寿和丸の船団では、同船が魚を獲る「網船」だった。魚群を探し、巻き網に囲い込む探索船は「第6寿和丸」。獲れた魚を港に運ぶ運搬船は「第33寿和丸」と「第82寿和丸」。運搬船はこの日、水揚げのため2隻とも漁場を離れていた。

 僚船の航行日誌を元に酢屋商店が作成した書類によれば、623日正午ごろの天候は雨。視界は34マイル、キロ換算では56キロである。南の風、1011メートル。波3メートル。第58号寿和丸の乗組員たちは、パラ・アンカーを下したときより、波も風も落ち着いてきたと感じていた。

 やや気が緩んだような時間帯。「ホヤ買ってきて」という休息中の何気ないやりとりから、およそ10分後、午後110分ごろのことだ。第58寿和丸は突然、右舷前方から衝撃を受けた。船体が右に傾く。

 自室で寝つけずにいた豊田は「波が甲板に載ったな。そのうち抜けるだろう」と考えた。すると、船体の復元を待たずに、2度目の強い衝撃。「ドスッ」と「バキッ」という音が重なって聞こえたと豊田は記憶している。傾斜がさらに増した。静かに、ゆっくりと右に傾き続けていく。

「これはやばいな」

 ベテランの豊田は直感的に沈没すると感じ、Tシャツにパンツ姿のまま、後部船室から中央通路に飛び出した。食堂を抜け、左舷側扉から船橋甲板に脱出。この時、操舵室から出てきた甲板長のとうよしひこが指示を飛ばしている声が聞こえてきた。相手は機関長のすぎやまよういちだ。

「エンジンかけて、メイン油圧をいれて、ユニックをがっちりこっちに振ってくれ」

 甲板長・伊藤の声に緊迫した様子はない。指示は、傾いた船体のバランスを保とうという内容だ。それを聞いた機関長の杉山は食堂を通り抜けエンジンルームへ向かった。この時点ではおそらく、さほどの困難もなく、船体の傾きは復元できると考えていただろう。

漁船内食堂の窓と壁掛け時計。第58寿和丸のものではないが、つくりは似通っているという(提供:酢屋商店の乗組員)

 衝撃の直後、別室にいた大道も異変を感じた。「ただごとではない。ひっくり返る」と。大道は日本海の荒波も十分に経験している。怖い思いをしたこともある。しかし波をかぶっても漁船は復元する。かぶった波は放水口から出ていく。「ひっくり返る」と思ったのはこの時が初めてだったという。

 片耳にイヤホンをして洋画を観ていたにっすすむは「当たった方向に船がズブズブと沈み始めた」ように感じた。つい2時間ほど前まで「胴ノ間」で漁網ワイヤーの修繕方法を教わっていた新人の船乗りだ。先輩たちのように洋上経験は多くない。甲板に様子を見に行こうとドアを開けたら、「ひっくり返っから早く上がれ」という大道の声が飛んできた。

 右にゆっくりと傾き続ける船体。

 新田は夢中で階段を駆け上がり、後ろの出入口から船尾甲板に出た。網を巻き揚げる際に使う円筒状のサイドローラーの下から海水が入ろうとしていた。とにかく必死だった。バッキーブイ(漁網につける浮き)のある左舷前方目指して甲板を駆けた。

58寿和丸(運輸安全委員会の「船舶事故調査報告書」から)

 その時だ。

 急速に右傾斜が増した。甲板長・伊藤は、おかしい、無理かもしれないと察したに違いない。豊田に続いて船からの脱出に挑んだ。先を行く豊田が船体の外側から放水口のスリットに両手で捕まり、ぶら下がった。見ると、すぐ側で大道が「胴ノ間」に通じる下り階段手前の手すりにつかまっている。新人の新田は救命いかだ後方の手すりにつかまった。

 第58寿和丸の左舷が大きく持ち上がり、船体はさらに右に傾く。船内の物が崩れ落ちる音が響き渡った。船員たちは一瞬にして海へと投げ出された。生と死の分岐点だった。

泳げるはずなのに泳げない

 放水口につかまっていた豊田は、ひっくり返った船とともに、一度全身が海の中に沈み込み、復元するタイミングで手を離し海面に顔を出した。

 海に放り出された豊田は「豊田さん、こっちだ」と呼ぶ声に気づいた。振り向くと、78メートル後ろで大道が赤い浮きにつかまっている。網に縛って使う直径1メートルほどの球状の浮きである。転覆の衝撃で、偶然にも1つだけ網から外れたのか。浮きの下部にはロープが付いている。豊田はそのロープに片手でつかまり、大道と2人、洋上に漂った。何度も波が2人を襲う。豊田はその都度、ロープをつかんでいない片方の手と足を使って、海面に顔を出そうとした。泳げるはずなのに泳げない。体が沈む。恐怖心から、叫び声というより「うぉぉぉ」という低いうめき声のようなものが漏れたという。

 離れたところで他の船員がバシャバシャもがいて溺れているのが見えた。でも、豊田ら2人には助けに向かう余裕はない。

 その頃、甲板長の伊藤が泳いできた。豊田らと同じ浮きにつかまる。3人で同じ部分をつかむので密集して足がぶつかった。伊藤は周囲を見渡し、5メートルほど離れたところに浮かぶ梱包したままのロープを見つけ、密集を避けてその方向へ泳いで行った。ところが、梱包ロープには大人1人を支えるほどの浮力すらなく、伊藤は沈みがちになる。彼はどうするのか。

 豊田が見ていると、伊藤は他の浮遊物を探して梱包ロープを手放し、再び泳いでどこかへ向かい始めた。それが伊藤の姿を見た最後だったという。

58寿和丸。後尾から船体を見る(運輸安全委員会「船舶事故調査報告書」から)
シェア ツイート
第1回 転覆(2)
01