三菱東京か三井住友か UFJ銀行統合秘史
経済人・金融関係者必携!日経新聞編集委員が描く、激動の20年史。メガバンク誕生、長信銀の消滅、規制緩和、その背景・功罪とは?

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金融危機の「入口」と「出口」

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巨額損失事件で奈落の底に

日本全国に支店網を巡らし、津々浦々に銀行員を配置している銀行グループは今、4つある。三菱UFJフィナンシャル・グループ、みずほフィナンシャルグループ、三井住友フィナンシャルグループと、りそなホールディングスの傘下にあるりそなグループである。

この4グループのいずれか、あるいは複数に預金口座を持っている人は多いのではないだろうか。4グループ以外に口座を持っていて、直接の取引はなくても、ATMコーナーを利用して自分の口座からお金を引き出したり、代金を振り込んだりした経験がある人も少なくないはずだ。

日常生活の風景にすっかり溶け込んでいる4グループだが、経営が安定したとの評価が定着してきたのは、実はごく最近のことである。「銀行は安定した業種だ」との見方が広がり、学生の就職人気ランキングでも4グループは上位に顔を出している。そんな空気に水を差すつもりはないが、今の4グループはどんな経緯を経て出来上がったのか、そして経営の面で問題点はなくなったのか、検証してみたい。

巨額損失の告白 金融危機の入口

そこでまず、今から20年前に時計の針を戻そう。20年も前のことを今、振り返っても仕方がないとの声が聞こえてきそうだが、当時、日本の銀行界で起きた出来事は決して昔話だとは片付けられず、再び目の前で繰り返される可能性が十分にあるというのが著者の見方である。なぜなら、当時、日本の銀行が抱えていると指摘された様々な問題は20年たっても解決されたとは言えないからだ。銀行が構造的に抱える問題が奥深くに潜んでいる以上、いつ表に出てもおかしくない。

だからこそ、20年間に何が起き、どんな問題があるとされたのかを、振り返ってみる意味がある。

最初に登場する銀行は、りそなグループの中核をなす、りそな銀行の前身である大和銀行である。大和銀行は大阪に本拠を置く大手銀行の中で、住友銀行(現・三井住友銀行)、三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に続く第3位の銀行であった。

収益至上主義という言葉がぴったり当てはまる行風で知られる住友銀行や、その後を追う三和銀行に比べると、なんとなくのんびりしたムードが漂う半面、中小企業などの面倒をよくみる誠実な銀行というイメージがあった。

当時の関西系の3銀行を象徴する情景としてよく語られていたエピソードがある。タイトルは「夜8時の法則」。この時間に住友銀行の行員はなお銀行で働いている。三和銀行の行員は大阪の歓楽街である北新地で酒を飲んでいる。大和銀行の行員は家に帰ってビールを飲みながらテレビでナイター(プロ野球中継、今でいうナイトゲーム)をみているというものだ。

住友銀行員が遅くまで働いているのはイメージ通り。三和銀行員にしても、大和銀行員にしても、もう働いていない点では同じかもしれないが、家に真っ直ぐに帰らずに酒を飲んでいる三和銀行員に比べ、おとなしく家に帰ってテレビをみているところに、大和銀行員のイメージがぴったりなのだ。極端にデフォルメされた姿ではあるが、3行の違いをよく表すお話ではある。

そんな大和銀行が世界の金融界を揺るがし、日本を奈落の底に突き落としたのが、ニューヨーク支店巨額損失事件である。そして、この事件はバブル経済の崩壊後、日本の金融界が深刻な危機に陥り、長いトンネルから抜け出せなくなった暗い時代の始まりを象徴する出来事であり、「金融危機の入口」と位置付けることができる。事件を振り返ってみよう。

事件の「発覚」は19957月。ニューヨーク支店で証券運用を担当する井口俊英が頭取の藤田彬に、1983年から銀行に無断で米国債の簿外取引を継続し、巨額の損失を隠蔽していたことを告白する書状を送ったところから始まる。大和銀の首脳陣は告白状で初めて巨額損失の実態を知ることになるのだが、12年もの間、井口の不正行為を見抜けなかった管理体制の不備もさることながら、事件を知った首脳陣の初期動作と、その後の対応のまずさが、大和銀の信用失墜に輪をかけてしまったのである。

井口は事件の経緯を手記で克明につづっている。手記を読みながら、日本の銀行が抱えていたとされる問題を明らかにしていこう。井口の告白はこんな書き出しから始まる。

前略 私はニューヨーク支店配属の井口俊英です。ここに記する事は私の正直な告白です。この事件が、当行に及ぼし得る影響を考えれば、只一人の人間として、この様なことを起こし得る体制が存在したことと、自分がその真直中(まっ ただ なか)に居合わせた不運を呪うばかりです。事実を先に述べます。私はニューヨーク支店の米国債取引で約十一億ドルの損失を出しております。損失は当店の投資有価証券をはじめ、顧客より保管銀行(カストディアン)として保護預かりしている米国債を売却して埋め合わせてあります。この様な不祥事を直接頭取殿にご報告することにしましたのは、当行が打つべき手を打つ前に外部に本件が漏れて、当行が一層不利な立場に追い込まれることがなき様、これ以上当行に損失が生じない様配慮したものです。現在のところ、この事実を認知している者は私以外におりませ()

井口は12年間、不正行為を続けた末になぜ、このタイミングで告白することにしたのか。手記では井口なりの論理を展開している。その論理が妥当かどうかはともかく、告白状を受け取った大和銀行首脳は当初、「井口が発生させた損失を内々に処理し、大きな事件になるのを防ぎたい」と考えたフシがある。法令違反を重ね、これだけの巨額損失が明らかになったにもかかわらず、首脳陣がそんな現実離れした考えを抱いたのは、それまで表に出していなかった「前例」があったからだ。それが、大和トラスト事件である。

大和銀行ニューヨーク事件は日本の大手銀行が危機に直面していることを白日のもとにさらした「金融危機の入口」として注目を集めたが、井口の法令違反に首脳陣が翻弄された事件と言えなくもない。しかし、ニューヨーク事件に少し遅れて世間の前に姿を現した大和トラスト事件は明らかに首脳陣が隠蔽工作に加担した大きな犯罪行為であり、井口の事件以上に問題の根は深い。この事件については後述する。

大蔵省護送船団方式の「善意」

井口の告白を受けた大和銀首脳が最初に相談した相手は大蔵省(現・財務省/金融庁)だ。199588日、大和銀行は接待用の施設である白金寮に大蔵省銀行局長の西村吉正と銀行課長の村木利雄を招いた。頭取の藤田以下、ニューヨーク事件に関係する首脳陣が勢ぞろいし、「内々に」事情を説明したのである。

大和銀としては、大蔵省のお墨付きを得た上で穏便に事件を処理する手立てを探りたかったのだが、大蔵省からは「今の時期はよくない」と月末以降の発表を示唆されただけだった。この非公式会合の存在が後々、大きな問題となり、大和銀にとってだけではなく、大蔵省にも深い傷を負わせた。

大蔵省銀行局は、現在で言えば金融庁に当たり、銀行業界を監督する立場にあった。巨額損失事件について、非公式会合で説明するなど、現在の銀行業界と金融庁との関係を考えると想像しづらいだろうが、このときの大和銀行の行動は決して常識はずれだったわけではない。重大な問題だからこそ、まず、監督官庁に相談し、指示を仰ぐのが当たり前だったのである。

大蔵省と銀行界の関係を象徴する言葉としてよく使われたのが「護送船団方式」である。この言葉自体を今や、ほとんど耳にしないが、軍事用語である。最も速度の遅い船に合わせ、統制をとりつつ船団が進む様子を指している。戦後日本の銀行業界はその典型とされ、監督官庁の大蔵省が銀行業界の手綱を握り、体力が弱い銀行が落伍しない様に統制した。(図表11参照)

どうして、こうした方式が出来上がったのか。戦前の日本では、弱小銀行の経営破綻が珍しくなく、社会不安の原因にもなっていた。戦後、経済復興を目指す日本は、銀行界の秩序を守りながら産業界に安定した資金を供給する必要があったからである。1970年代に高度経済成長が終わり、資金不足から資金余剰に時代が変わる中で、護送船団方式も変身を迫られていたが、銀行業界を牛耳ってきた大蔵省は権限を手放そうとはしなかった。

日本経済が右肩上がりの時期には、産業界への資金供給を担い、メーンバンクとして大きな影響力を持つ銀行界を統制する大蔵省はまさに、日本経済を統制していたといっても過言ではない。ところが、バブル経済が崩壊し、多くの銀行が経営危機に陥るに至り、大蔵省の手に余るようになってきた。大和銀行ニューヨーク事件は、監督官庁と銀行業界との関係が崩れさる予兆だったのだが、88日に白金寮に集った面々には、そんな自覚はなかっただろう。

大蔵省が「8月末まで待て」とサインを送ったのは、直前に東京のコスモ信用組合が経営破綻し、さらに大阪の木津信用組合と兵庫銀行の経営破綻の発表が控えていたためだ。大型の経営破綻に、大和銀行の案件が加わると、金融不安が広がりかねないと心配したのだ。

銀行界の箸の上げ下ろしまで指導すると揶揄された大蔵省にしてみれば、経営破綻の発表のタイミングを監督官庁がコントロールするのは当然であり、大和銀行に事実上、待ったをかけたのも、金融システム不安を抑えるためという「善意」からだ。830日には木津信組と兵庫銀の経営破綻の発表があり、大蔵省の思惑通り、大きな混乱は生じなかった。

「博打に勝つか負けるか」という危ない橋

大蔵省から明確な指示を得られなかった大和銀行はこの後、井口に不正取引の手口などを報告させながら、米国の弁護士に相談し、918日に米国の金融当局に事件を報告した。井口の告白状が届いてからほぼ2カ月が過ぎていた。そして、923日には米連邦捜査局から井口が逮捕され、926日に大和銀行はようやく、ニューヨーク巨額損失事件について記者会見を開いて発表する。

巨額損失と、井口の不正行為について説明した頭取の藤田は、再発防止策について問われると、「海外の現地行員の管理・教育が現地の支店長など現場任せになっていた面があり、日本の本部も関与していく体制に改めた。具体的には現地行員の人事管理・教育を専門に担当する行員4人を任命したほか、検査体制についても10人の海外専任担当者を配置した」と説明した。

井口の不正行為を見逃し続けたのは「組織と人事管理の問題」と総括する藤田の認識は誤りとは言えない。井口は米国債を簿外で無断売買して生じた損失を同行が保有したり、顧客から預かったりしている投資有価証券を売却して穴埋めしていた。証券の売買部門と管理部門の責任者を同一人物が務める体制が、不正行為の温床となった。

ニューヨークには日本の他の大手銀行なども軒を並べていたが、巨額損失事件が発覚したのは大和銀行だけだ。不正行為を働くような人間をチェックできなかったばかりか、逆に稼ぎ頭として評価していた大和銀の人事管理がお粗末だったことは確かだろう。大和銀は当時、11行あった都市銀行のうち資金量で7位であり、人材の面で上位行とは差が開いていた。大和銀がもっとしっかりと人事管理をしていれば、こんな事件は起こらなかったのかもしれない。

だが、問題の根はもっと深い。そもそもなぜ、大和銀は井口に頼っていたのか。井口のように稼げる手段がほかになかったからである。再び手記に戻ろう。井口は米国債取引の仕組みを次のように説明している。

米国債取引の仕組みは簡単である。アメリカ政府が資金調達のために発行した債券が米国債。中でも最も値動きの激しいのが三十年債(ロングボンド)で世界中の金融機関、投資家がこの債券が上がるか、下がるかで博打をはっている。私たちは、下がる方にはっていた。すなわち、二十七億ドル相当の米国債を空売りしていたのだ。もともと資産として持っていない米国債を売る(空売りする)ためには、現物を証券会社(業者)から借りてくる。これが空売りポジションである。業者は、私たちが売った米国債の代金を担保として押さえている。業者は信用があればいくらでもチップを貸してくれ、そのチップで私たちは相場をはる。これが、元手なしに、二十七億ドルの相場がはれる仕組みである。予想通りに米国債が下がってくれれば、安くなったところで買い戻して売買益を得る。

もうとっくに金銭感覚など消えていた。売りポジションなので相場が上昇すると損は膨らむ。かといって下落する見通しがあるからポジションを持っているのではない。どう見ても上がりそうだが、ポジションを売りから買いに転換するにはあまりにも巨額になり過ぎていた。取引金額では世界最大の米国長期債市場でも、我々のポジションは大き過ぎて、動かせばたちまち世界中に知られてしま()

井口は米国債の売買を「博打をはる」と表現している。結局、博打に負け続けた分を有価証券の不正売却で穴埋めしていたのだが、仮に「博打に勝ち続けていた」としたら、井口はニューヨーク支店のヒーローであり続け、「人事管理の問題」も表面化しなかっただろう。大和銀行ニューヨーク支店は「博打に勝つか負けるか」という危ない橋を渡っていたのである。

もう1カ所、米国債取引について説明をしている個所があるので、少し長くなるが引用しよう。

大和ニューヨーク支店で認められていた米国債取引の形態は、日中に売買を完結する日計り取引(Day Trading)であり、投資、投機、賭博のどのカテゴリーにも属さない。

一般に投資(インベストメント)とは、元本リスクを最小限に抑え、より高い運用益を得ることが目的であり、預金、債券運用、配当金目的の株式長期投資が主なものである。

それに対し、投機(スペキュレーション)とは対象物(件)の将来価値を独自の知識、分析力をもって予想し、売買益(キャピタルゲイン)を目的として資金を投じる行為であり、一般の株式売買が一番分かり易い例だ。ただ投機には、自分の予想が外れた場合、元本の一部または全部を失うリスクが伴う。最後に、賭博(ギャンブリング)は勝率が五割以下の遊びであり、目的はあくまでも娯楽である。賭博で金儲けをしようというのは、単なる希望的観測であって、自滅への最短距離である。

日計り取引は文字通り、日中の動きの中で売買益を狙ってごく短期的な売買をすることで範疇としては投機と賭博の間のきわめて狭い部分に位置する。日計り取引のあるべき姿とは、一旦相場に入ったら、不安、悲嘆、怒り、歓喜といった感情や、欲、意地、見栄といった人間の悪心が入り込まないように、前もって立てた綿密な作戦を忠実に実行することにより、小さく負けて、大きく勝つ取引を来る日も来る日も繰り返すことである。

誰しも相場に入ると、個人差はあれど、理性が感情に支配されてしまう。そしていずれ感情に左右されて自らを滅ぼす。相場に入る前の冷静な頭で練った理性的かつ客観的な作戦をいかに忠実に実行し通せるかが、日計り取引において勝敗を決めるのだ。もちろん作戦の良し悪しも大事である。(中略)

説明が長くなったが、我々はこういった日計り取引の原則を全く理解せぬまま、我流の相場観に基づいて取引を繰り返していた。日計り取引ではなく自分の相場観に基づいたごく目先の投機になってしまっていたのであ()

最初に引用した個所と読み比べてみると、井口の心理状態がよくわかる。「目的はあくまでも娯楽である」と井口自身も考える、勝率が低い賭博で金儲けを狙ったものの、大きな失敗をして「負ける前に逃げる」ことができなかったのである。

井口の敗北はもちろん、井口の資質によるところも大きいのだが、そもそも「賭博」で安定した収益を上げることなど、どだい無理なのだ。その証拠に、後から井口と一緒に仕事を始めた2人もやはり米国債取引で大きな穴をあけ、不正行為に手を染めていく。

第1章 金融危機の「入口」と「出口」(2)

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