風評被害は、もともとは原子力が関係する事故で問題になりはじめたということは第1章で述べた。そうなったのは、風評被害という概念、およびその事象が、歴史的に原子力ときわめて深い関係にあったからである。本章では、日本ではじめて風評被害が問題となった第五福龍丸被爆事件と、それがもたらした「放射能パニック」について見ていこう。
1954年1月22日、23名の船員を乗せたマグロ漁船「第五福龍丸」が焼津から出航した。3月1日、同船は、米軍により設定された危険水域の一部であるマーシャル諸島ビキニ海域で最後の操業をしていた。
操業を終えた真夜中、夜空に突然閃光がはしった。米軍による水爆実験である。その後に「死…
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