「不安」の方がニュースバリューを持つメカニズム
「安全」「安心」を追求する当たり前の気持ちが生んだ現象。そこに悪意はない。だからこそ根深い。

1章 風評被害とは何か

「風評被害」とは何か。この言葉が、どのような事例を指して、いつ頃から一般的に使われるようになったのか。これを明らかにすることからはじめよう。

 本章では、風評被害という言葉がよく使われるようになった事例とその背景を述べた後、これらの事例の共通点について論じたい。そして、風評被害を考える上で避けては通れない「水銀パニック」について論じ、次章で「放射能パニック」を考えるための準備をしたい。

風評被害の定義

 風評被害は、もともとは原子力が関係する事故で問題になりはじめた。「安全である」にもかかわらず、事故が起きた周辺の土地の関係者や地元の漁業者が経済的被害をこうむること、またその被害が原子力損害賠償法で補償されないことが問題になったのである。

 日本で風評被害といって差しつかえない現象は、1954年に起きた第五福龍丸被爆事件後のいわゆる「放射能パニック」が最初である。その後、74年の原子力船「むつ」の放射線漏れ事故や原子力関連施設の立地にともなうこととして問題となっていった。

 それが90年代後半には、ナホトカ号重油流出事故や所沢ダイオキシン報道という、原子力以外の環境問題や災害でも問題となった。そして99年の東海村JCO臨界事故では、大規模な放射性物質の飛散はなかったにもかかわらず154億円もの経済的被害(補償されたもののみ)が生じた。こうして、いくつかの事件や事故を経て、「風評被害」という言葉が定着していったのである。

 過去に風評被害とされた事例をまとめると、これを次のように定義することができる。

   ある社会問題(事件・事故・環境汚染・災害・不況)が報道されることによって、本来「安全」とされるもの(食品・商品・土地・企業)を人々が危険視し、消費、観光、取引をやめることなどによって引き起こされる経済的被害のこと。

 では、風評被害という言葉が一般的になるきっかけとなった90年代後半の三つの出来事──「ナホトカ号重油流出事故」「所沢ダイオキシン報道」「東海村JCO臨界事故」をたどりながら、「風評被害とは何か」を考えていきたい。

ナホトカ号重油流出事故

「風評被害」という言葉が一般的に使われるようになりはじめたのは、ナホトカ号重油流出事故からであると考えられる。

 ロシアの石油タンカーが、荒天により971月に日本海上でまっぷたつに破断し、船首部分が福井県三国町沖に流れついてしようした。この事故により大量の重油が日本海に撒き散らされたのである。重油の回収作業には延べ30万人のボランティアが集まった。報道機関は、多くの人が動けばニュースとして取り上げる。この回収作業は連日、報道され続けた。ある程度、重油を回収できた後も、報道は続いた。

 この事故で大きな問題になったことの一つが、「重油で汚染された」というイメージから、被害を受けた一帯に観光客が来なくなってしまったことだった。そして、なかでも被害の大きかった三国町が、越前ガニで有名なとうじんぼうを抱える観光地だったことも、この問題を大きなものにした。

 事故直後に三国町観光協会によって報道関係者に配られた「原油流出事故に伴う報道、表現について(お願い)」という広報文の中に、風評被害という言葉が使われている。その部分を引用してみよう。

   このたびの事故に関する取材、報道、大変ご苦労さまです。地元地域といたしましては、この影響について大変心配している所ですが、私共としてさらに心配しているのは「風評被害」です。「皆様方の報道あるいはその表現によりましては、決定的な被害につながらないか」ということです。つきましては、いくつかの点について充分ご配慮いただきますよう、伏してお願い申し上げる次第でございます。(中略)何とぞ過大な表現等での報道はくれぐれもご遠慮くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

 ここでは風評被害が、はっきりと報道機関によってもたらされる被害だと捉えられていたことがわかる(風評被害と報道との関係は4で詳述する)。

 流出した重油は三国町をはじめ沿岸一帯まで広がった。とりわけナホトカ号の船首が座礁した付近の沿岸部に多く、付近のなどは被害を受けた。しかし、その一方で、外海では冷却された油塊として存在する程度であった。

 ところが報道で「ナホトカ号重油流出事故」と並び「日本海重油流出事故」という表現が使われたことなどもあって、重油で汚染されたわけではないカニや外海の魚介類までもが、価格が下落し、取引拒否にったのである。

 ナホトカ号重油流出事故の補償に関しては、ナホトカ号所有者および国際油濁補償基金から、約261億円が支払われている。そのうち、漁業者に176900万円、観光業者に134400万円が支払われた。この事故では沿岸部の被害が甚大だった一方で、外海の汚染はほとんどなかったことから、観光業者だけでなく、漁業者の被害補償には、風評被害に対する補償も多く含まれていると考えてよいだろう(なお詳細は明らかにされていない。また補償額は請求額から大幅に下回っている)。

 このときのことについて、地元の物産品店の店主の方から話を聞いたことがある。ある程度時間が経ち、すでに油は海にほとんど残っていないにもかかわらず、流出当初の「重油まみれの海」が映像や写真などを使って報道されつづけたために、いつまでも「まだ海に重油が残っている」との印象がぬぐえず、困ったという。

 この事故より前、風評被害という言葉は、原子力関係者や、原子力施設を近隣に抱える地域の漁業者・農業従事者など一部には知られてはいた。それがこの事故以後、報道関係者の間で認識されるようになり、それからはこの四文字がテレビや新聞報道で多用されるようになったのである。

所沢ダイオキシン報道

 二つ目の出来事は、992月にテレビ朝日系「ニュースステーション」で取り上げられた、いわゆる「所沢ダイオキシン報道」である。

 21日、「ニュースステーション」内で「汚染地の苦悩―農作物は安全か―」という特集が組まれた。所沢市内に多く存在する産業廃棄物処分場で処理の際に出てくる焼却灰により、付近の農産物がダイオキシンに汚染されていることを取り上げたものである。この問題は、すでに同番組や「ザ・スクープ」(テレビ朝日系)で10数回にわたり報道されていた。

 放送後、所沢産の野菜にとどまらず、埼玉県産の野菜が取引停止になり、価格が暴落した。埼玉県の発表によれば、損害額は210日の時点で、所沢市産のほうれん草が約4000万円、埼玉県産の野菜全体(28品目)が約3億円としている。

 ここで触れておくと、国語辞典などに風評被害という語句は登場しない。『現代用語の基礎知識』(自由国民社)、『Imidas』(集英社、2007年版で書籍は休刊)、『知恵蔵』(朝日新聞社、2007年版で休刊)といういわゆる「現代用語事典」の中では取り上げられている。そして、風評被害がはじめて項目として登場したのは、『Imidas』の2000年度版からである。そこでは次のように記されている。

   事実ではないのに、うわさによってそれが事実のように世間にうけとられ、被害をこうむること。テレビ朝日『ニュースステーション』が放送した所沢市の野菜に関する不正確なダイオキシン報道によって、埼玉県産の野菜が全国的な不買運動に発展するなどしたことから、地元農家がこれを風評被害としてテレビ朝日に訂正放送を要求した。テレビ朝日側はこの報道による所沢産野菜の価格暴落を風評被害にあたらないとしている。

 つまり、「ニュースステーション」の所沢ダイオキシン報道の問題を受けて、風評被害の項目が作られたことがわかる。ただ、前半では「うわさ」を原因とする被害と定義しているのに、続文では「報道」による被害を論じており、ややあいまいな表現となっている。

 この問題の発端となった、21日の「ニュースステーション」でゲストとして呼ばれていたのは、環境総合研究所所長の青山貞一氏である。青山氏はダイオキシン問題など環境科学の専門家なので、風評被害という言葉を認識していたのだろう。放送の最後で次のように語った。

「風評被害というのですけれども、風評被害というのは、実際それほど(濃度が)高くない値にもかかわらず、マスコミとか一部の専門家が騒ぐと住民が騒ぐ。それをもって風評被害というわけです。しかし今回私たちが数は限られていますけれども調査した結果を見ますと明かに高い。(中略)ですから、それは風評被害じゃなくて、実際の被害を受ける可能性がありますから」と、風評被害にしきりに言及している。

 こうした発言も、所沢産をはじめとする埼玉県産の野菜の価格暴落・取引拒否に関する各社の報道で、風評被害という言葉が多く使われる一因となった。そして、当初は葉もの野菜からダイオキシンが検出された、と言っていたが、実際には煎茶から検出されたことが判明し、「ニュースステーション」の一連の報道について、やはり「風評被害だ」と報じられることになってしまった。

 この所沢ダイオキシン報道における風評被害については、所沢市の農家が「報道による風評被害」を受けたとして、テレビ朝日を提訴した。だが、一審判決により、所沢については「汚染は真実である(風評被害とはいえない)」との判決が出された。その後、200310月の最高裁の判決では、「テレビの報道番組は新聞記事などと異なり、視聴者が音声や映像により次々と提供される情報を瞬時に理解することを余儀なくされる」とし、そのうえで、テレビ報道の名誉棄損の有無を判断するには、「番組の構成や出演者の発言だけでなく、効果音やナレーションなど放送全体から受ける印象などを総合的に考慮すべきだ」とされた。この判決は、テレビ報道の根幹に影響を与えるもので注目されたが、一、二審判決を取り消して審理が差し戻され、結局、高裁においてこれらの点はあいまいなまま両者が和解した。

第1章 風評被害とは何か(2)

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