「この案は殺さねばならぬ」
米軍人が罪を犯しても日本の捜査当局はすぐに手出しができない。その源流となる「日米行政協定」が結ばれたのは、1952年4月。アメリカと日本、各地に散らばった公文書を重ね合わせ見えてきた緊迫の「日米交渉」、独自調査による70年目の新事実。
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残されたアメリカの「裁判権放棄」戦略

「泣き寝入りは解消」「刑事裁判権 一年ぶりに日本側へ」――。

 戦後長らく米軍犯罪を裁くことができなかった日本は19539月、外交交渉で悲願の目標を達成した。それを祝福するニュースもあふれた。ところが、実際は水面下で、日本は事実上、裁判権を放棄するとの取り決めが結ばれていた。

 裁判権を死守したい米国。

 取り決めを秘密にしたい日本。

 両者の思惑が密約という形で実を結んだのだった。

 米国は、なぜこれほどまでに執拗に裁判権放棄にこだわるのだろうか。米国の公文書をさらに探索すると、裁判権確保をめぐる米国の壮大な思惑や世界戦略が浮き彫りになってくる。

「日本の裁判放棄率は、95.7%」

 日米の密約が結ばれてから10年がたった1963年。

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