ゼロ年代以降の自民党 「ネット選挙」対策とは。ネット支持層を増やした戦略とは。
問題は政治による圧力ではない。自民党へのマスコミ「隷属」の本質。

1章 「慣れ親しみ」だった政治とメディア

政治のメディア戦略

 ネットの普及は、日本のメディアと政治の関係を変えようとしている。

 ただし、それがよりよいものになるかは自明ではない。集合知や市民ジャーナリズムなどという言葉で楽観的な文脈で語られてきた「夢」は一向に現実味を帯びてこず、むしろ政治がメディアに対し主導権を握ろうというまがまがしく、また「戦略的」な行為が露呈している。ここでカッコを付けたのは、いまだ端緒についたばかりで十分に体系化されたものになっておらず、また一般的なITの「常識」から考えると違和がある現実だからだ。

 その一方で、各メディアの相対的な地位と影響力が変化したにもかかわらず、古い政治報道の習慣と取材のスタイル、コンテンツ作りの習慣は従来と大きく変化できていない。

 民主主義の基盤として、競合関係のもとで、相互に緊張感があることが望ましいメディアと政治の関係だが、政治が大きく攻めの一手を打ち込んでいる。

 いうまでもなく、政治はその性質上、多かれ少なかれ本質的に動員の欲望を持っている。

 現代的な意味においては総力戦体制の時代から、メディアは世論に介入する重要な要因であることが認識されている。政治は、新しいメディア環境にもっとも早く、適応したいと願う利害関係主体のひとつなのである。

 2008年、2012年の米大統領選では、ネットの利活用が象徴的なものとして注目された。2012年の韓国大統領選も同様である。むろん、米大統領選においても、また韓国の大統領選においても、それぞれ1990年代から利用されてきた。だが、やはり大統領選という名実ともに、その国の最高峰の選挙で、ネットを有効に利活用した候補者が劇的な勝利を遂げたことのインパクトが大きかった。

 そして、これらの知見が日本にも持ち込まれようとしている。日本のメディア環境は、世界的に見て、質量ともに、そして制度面でも独特なものであるから、その状況に最適化した政治のメディア戦略もまた、米大統領選とも、韓国の大統領選とも異なった独特なものになるのは致し方ないのかもしれない。ただ、それが有権者の利益増進に貢献しているかは、また別の問題でもある。

 以下において、まず自民党に注目しながら、通時的な側面と直近のメディア戦略という2つの主題を取り上げることにしたい。

 ひとつ目は、これまでに自民党が実際に、どのようにメディアとたいしてきたのか、という歴史的な主題である。

 本書では、2000年代以前、以後、2012年の第2次安倍内閣以後という区分を採用し、そのなかでもネットを含み、現在進行形で進化しつづける、安倍内閣のメディア戦略に注目する。なお、この区分を本書では、「慣れ親しみの時代」「移行と試行錯誤の時代」「対立・コントロール期」と呼んでみたい。

 もうひとつ本書で取り上げるのが、自民党の直近のメディア戦略である。ネットを含む現在進行形の政治のメディア戦略の姿であり、なかでも2013年の参院選のメディア戦略をケースの中心として取り上げる。この選挙は、日本ではじめてネット選挙が解禁された国政選挙として注目され、各政党、各候補者も知恵を絞った選挙だった。

 ところがネット選挙の、全体的な当選結果への影響が顕著なものではなかった。そのため、その後、表面上、各政党はネット選挙へのかかわりを弱めるようになった。

 野党の場合は、そんなことに注力している暇はなかったというところだろう。2015年の日本政治においては、終戦を迎えた夏に向けてさまざまな平和関連の主題が控えていた。政治はそれらへの対応が求められるし、政治の態度に対するメディアと有権者も、こうした主題を思い起こすことが習慣化している。テレビは戦時下をモチーフにした番組を流し、新聞も戦争と平和特集を組み、有権者は関連の書籍を刊行するという定例化したメディア・イベントである。

 2015年は戦後70年という節目の年であることと、年始から続く安全保障法制の議論に加えて、「むらやま談話」における「おびと謝罪」を安倍談話が導入しない話題が、古典的な左右対立に、火に油を注ぐ格好で盛り上がりがピークを迎えた。

 20158月にも、『日本のいちばん長い日』はらまさ監督、2015年)が公開されたが、『さとうきび畑のうたTBS2003年)のように、例年多くの戦争を否定的に描くコンテンツが、この時期を狙って多数提供され、日本社会における平和意識の醸成に一役買っている。

 こうした状況においてどのような声明を提供するか、与党批判を展開するかは、自民党以外の野党にとっては存在感を提示する数少ない、そして格好の機会であると同時に、アイデンティティの象徴でもある。党勢回復や野党再編もあり、メディア戦略どころではないというのが大半の野党の状況であろう。せいぜいが奇妙なデザインのマスコットを公認キャラクターにしてみるといった、その場での限定的なものにすぎず、それらは戦略とはいえない。

 それに対して、自民党の場合は、これまでの経験と、その蓄積である組織能力を資産に、幅広いメディアを対象にした総合的なものに軸足を移そうとしている。着実で、リニアな進化であると同時に、政治のメディア戦略において、抜きん出た存在になろうとしている。

 それでは自民党はこれまでに、どのようにメディアと接し、有権者と対峙してきたのだろうか。まずは、両者の関係を確認することにしたい。

 本書では、2000年代以前、以後、2012年の第2次安倍内閣以後という区分を採用し、そのなかでもネットを含み、現在進行形で進化しつづける、第2次安倍内閣のメディア戦略に注目すると述べた。

 この区分は、「慣れ親しみの時代」「移行と試行錯誤の時代」「対立・コントロール期」に対応する*図1。政治(自民党)がメディアと有権者に対して、向き合ってきた態度に対応している。

 2000年代以前の自民党のメディア戦略は、メディア各社との慣れ親しみの関係性のなかで培われてきた。というのも、インターネットが普及する前の時代には、政治と有権者が直接対峙することが困難だったからである。したがって、政治は自らの主張や声を、有権者に届けるには、いやが応でも「(マス)メディア」というフィルターを介在させるほかに手段がなかったからである。

 そのまた逆もしかりで、有権者が政治の現況を認識する主たる手法は、マスメディアを介したものであった。そして有権者が自らの声を広く直接的に全国に届ける方法は乏しく、ある意味ではそのエネルギーと方法がデモや闘争に集中したのは当然でもあった。

 マスメディアのコンテンツには必ず、なんらかの形で編集の手が加えられることになる。したがって、報道を通じて届けられる「政治」像は、その多くが政治の意図に沿ったものではなかった。マスメディアは少なくとも建前としてはジャーナリズムを兼ねているから、批判的なものにならざるをえなかった。

 政治はマスメディアを尊重せざるを得なかったし、メディア人はそれを当然のことだと認識していた。現在では後者だけが継続している。

温存されたメディアの総力戦体制

 総力戦体制下においては、メディアは翼賛体制的に再編されたことはよく知られている。そして、1945年の終戦を機に、急速に平和国家、民主国家へ翻意、転身させるための道具として活用するために、基本的にその構造は温存された。

 ここでいう構造とは、総力戦体制への動員の一翼を担ったメディア企業のガバナンスであり、各社の情報流通構造である。

 元毎日新聞記者で、ジャーナリズム史の研究者として知られるまえさかとしゆきは、その著書『太平洋戦争と新聞』(講談社、2007年)のなかで、新聞各社の責任のとり方を批判的に論じている。戦前戦中の世論に強い影響を持ったのは、『朝日新聞』と『毎日新聞』であった。毎日新聞社は19458月に当時の社長以下、5人の重役が辞任し、朝日新聞社は社内の圧力に屈し117日に社長以下、編集幹部が辞任したことが指摘されている。また「歴史にifはない」としつつも朝日と毎日が共闘して政治に対して厳しい姿勢を取っていたら、と反実仮想を描いてみせる。

 一見、占領軍による厳しい措置のようにも見えるが、企業単位で見るならば、戦争協力の代償として解体の対象となった財閥とは異なった道を歩むことができた。従来どおりのビジネスモデルや資産は各企業が継承し、メディアの構造は戦後に、そして現代に引き継がれている。

 これは、総力戦体制下で再編された、規模の大きなメディア・ネットワークが、平和主義や民主主義の言説を津々浦々に届けるためにも適したものであったからに他ならない。

 情報を発信する主体は、大日本帝国から、占領軍と、占領軍に統制された日本政府にシフトした。その政治による検閲とメディアへの対策は、急速に講じられた。検閲と自主規制のみならず、それは平和と民主主義という言説の宣伝戦の一翼を担うものでもあった。

 戦後の検閲に関しても、既に多くの著作があるが、やまもとたけとしの『GHQの検閲・ちようほう・宣伝工作』いわなみ書店、2013年)などがコンパクトにその全体像を記している。また朝日新聞社の記者で、戦後史の事件に関する複数の著作を持つもろながゆうは、『葬られた夏』(朝日新聞社、2002年)のなかで、対日宣伝を扱ったCIC(Counter Intelligence Corps:対敵諜報部)1946年に47都道府県全てに事務所を設け、それぞれ20人程度の人員を配置し、日本の警察とも協力して情報収集、対日宣伝に関与したことを指摘している。

 のちに批評家とうじゆんは『閉された言語空間』(文藝春秋、1989年)などの仕事で、戦後の平和主義を主張する言説や自然派文学が、検閲という人為的な介入のなかで形成されたものであることに対する日本社会の無自覚さに激しくいらだってみせた。

 だが、その構造と無自覚さは現在も存続している。

 また企業サイドに目を向けてみても、戦後、フジ・さんけいグループの誕生と成長などは起きたものの、世論をリードする言説は、相変わらず新聞から提供されつづけている。『よみうり新聞』が発行部数で1位の座を占めつづけるなど勢力図こそ変わったが、読売、朝日、毎日と戦前と大きくは変わらない顔ぶれだった。

 さらに英米圏では避けられていた、クロスメディア・オーナーシップも、新興メディアとしてテレビが導入された時期から日本に導入され、やはり現在に引き継がれている。

 メディア研究者のありてつが著書、『こうしてテレビは始まった──占領・冷戦・再軍備のはざまで』(ミネルヴァ書房、2013年)において描き出すように、テレビの日本導入のプロセスは、新しい輸出産業を育てたいアメリカと、インフラ整備を含め巨大な利権が予測され、復興産業の起爆剤として何がなんでも引き受けたい日本のメディア各社等さまざまなせめぎ合いによってなされたものであった。

 特殊法人としてやはり存続することになったNHKと、新聞資本を中心とする民放各社という顔ぶれで、日本のテレビ放送は今も続いている。

 新聞、テレビ各社はネットでの事業にも注力しているから、総力戦体制下で培われたメディアのネットワークは継続しているのみならず、強化されているということもできるだろう。

 メディアと政治の当事者──政治家や政治記者、政治学者やメディア研究者のあいだでは、メディアと政治の特殊な関係はそれなりに「常識」ではあった。だが、それはあくまで専門家コミュニティに限定されていた。有権者からその知見や実情はうかがい知ることは困難であったし、閉鎖的なものであった。

 このような特殊な環境であったがゆえに、強力な存在感を発揮するメディア・ベンチャー企業の台頭は、日本の戦後メディア史においては、インターネットという広大で未開な領域が姿を現すまで待たねばならなかった。

第1章 「慣れ親しみ」だった政治とメディア(2)

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