──複写機の仕事とはどのように出会われたのでしょうか。
丸島 まあ、当時の私は特許課でくすぶっている、という状態だったのです。そんななか、一九六二(昭和三七)年に製品研究課という新しい課ができました。ここには当時多角化を目指して、新しいことをやろうという優秀な技術者がずらりと集まっていました。そこの初代課長が、後に社長になった山路敬三さんです。山路さんは東京大学の物理の出身で、優秀なレンズの設計者でした。その人をヘッドに様々な分野の俊英を集めたのです。
特許課の仕事で開発の現場へ足を運んでいましたから、私はすっかりそこの雰囲気に魅せられてしまい、ほとんど入り浸りの状態になりました。いまでも笑…
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