「丸島さんが日本の特許の歴史を開いたんだよ」
特許で守り、特許で攻める。キヤノンの卓抜した技術力の背景には絶妙な特許戦略があった。キヤノン入社以降、特許一筋の人生を歩んだ丸島氏が語る。
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第三章 交  渉

海外体験

*屈辱の旅発ち

 一九五〇(昭和二五)年八月四日、キヤノン社長御手洗毅は田口秀彦工作技術部長を伴い、羽田空港からアメリカに向けて発った。この日は早朝六時から目黒の本社工場の中庭で、歓送会が開かれた。挨拶、乾杯、万歳三唱のなか、代表社員たちが車数台に分乗して羽田まで行き、飛行機を見送ったという。

 しかし日本はいまだ占領下だった。御手洗らは頭からDDTの白い粉をかけられ、手にはスタンプを押されるという、屈辱的な出国となった。彼らは戦争に敗れ、戦勝国に占領されるということの無念をつくづくと感じたに違いない。昭和二五年とはまだ、そのような時期であった。

 御手洗の訪米の目的は、表向きにはシカゴで開かれる国際見本市とアメリ…

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