キヤノン特許部隊のページ一覧

一九六〇(昭和三五)年五月のある日、大田区下丸子の工場で実習に励む一人の青年が突然人事部から呼び出された。彼は新人の配属が決まるのは七月と聞いていたので、一体何のことかと首を捻りながら廊下を歩いた。人事部で渡されたのは、一通の辞令だった。「技…
丸島が入社した当時のキヤノンカメラ(現キヤノン)は、創業以来の高級カメラ専業メーカーからの脱皮を目指していた時期だった。具体的には、高級機メーカとして評価の定着していたカメラ部門では、来るべき大衆化時代に向けて使いやすい中級機市場を開拓するこ…
──複写機の仕事とはどのように出会われたのでしょうか。丸島 まあ、当時の私は特許課でくすぶっている、という状態だったのです。そんななか、一九六二(昭和三七)年に製品研究課という新しい課ができました。ここには当時多角化を目指して、新しいことをや…
──特許担当者が開発の初期から完成まで同伴的に協働するというのは、どこでも行われていることなのでしょうか。丸島 いえ、あまりないことだと思います。キヤノンでも、私が特許課で前述したような状態にいたわけですから、それまでそういう体制はなかったの…
──ゼロックスは、それこそ水も漏らさぬ特許網で事業を独占したわけですから、黙ってキヤノンの動向を見ていたわけではないでしょうね。丸島 もちろんです。まず、見せろと言ってきました。アメリカの本社からそういう申し出があり、技術者を二人送るというの…
その後のキヤノンの複写機事業をここでフォローしておきたい。記述の多くは、『キヤノン史──技術と製品の50年』によった。一九七〇(昭和四五)年九月に発売された普通紙複写機NP1100は、それまでゼロックスが独占していた普通紙コピー(PPC)市場…
一九六二年から製品研究課で複写機の研究が始まり、丸島は特許担当者として仕事にのめり込んでいく。丸島は、それまで度々出していた異動の希望を取り下げた。特許の仕事にやり甲斐を見いだしたからだった。よし自分は特許でいくと決めた丸島は、一転弁理士の資…
弁理士の資格は仕事には直接関係なかった、と語る丸島だが、一九九〇(平成二)年頃からは知的財産に関わる各種団体の役職を務めている。その中には弁理士関係の団体もある。取得後三〇年以上を経て、企業内弁理士としての顔にスポットが当てられたかたちだ。経…
──いまのお話のなかで、攻撃と防御という言葉がでてきました。企業の特許戦略におけるこれらの言葉の意味を教えて下さい。丸島 現在一般にいわれているライセンスビジネスというのは、権利を与える方のことばかりをいっているように思えます。特にプロパテン…
──先程からのクロスライセンスのお話ですと、お互い同様の技術を持つわけですから、その二社からは同じ製品が作られることになりますね。丸島 そういうことになります。もちろんそれは望ましくないことなので、包括的といってもある重要な技術、あるいは自社…
一九五〇(昭和二五)年八月四日、キヤノン社長御手洗毅は田口秀彦工作技術部長を伴い、羽田空港からアメリカに向けて発った。この日は早朝六時から目黒の本社工場の中庭で、歓送会が開かれた。挨拶、乾杯、万歳三唱のなか、代表社員たちが車数台に分乗して羽田…
丸島 弁護士の話に戻りましょう。キヤノンでは後に、「電話をすればオーケーだよ」と教えてくれた弁護士にすべての仕事を移しました。このときの対応の差も理由のひとつですが、別の理由もありました。その後ある事件が起きたときに、両方の弁護士に同じ質問を…
──言葉の問題はどのようにされていたのですか。丸島 私は英語で表現できないので、通訳を連れて行きます。通訳は、ほとんど社員です。正式な通訳を頼んだこともありますが、多くは社員でした。ただ訴訟のときのデポジション(証人喚問)では、こちらの社員の…
──丸島さんはタフネゴシエーターとしても聞こえていますが、その交渉力の源泉は何でしょうか。丸島 私は当初会社からは、交渉下手だと思われていたのです。社内では私は駆け引きをしませんから。でも特許の仕事は、ほとんど交渉するのを前提にした仕事です。…
丸島 アメリカではまさに裁判はゲームですから、まず訴訟をおこしてから交渉をやっています。裁判という圧力を使って交渉しているわけです。しかし訴訟をおこさなくても制度的な脅威があれば、話し合いで解決できるはずです。詳しくは四章でふれますが、日本の…
プロパテント(Pro-patent=特許重視)という言葉がアメリカで広く知られるようになったのは、一九八五年頃からである。一九八五年というのは、プラザ合意の年だ。貿易赤字と財政赤字という「双子の赤字」に悩んだアメリカが、G5に呼びかけ、ドル安…
──先ほど標準化のことが話題に出ましたが、これも難しい問題のようですね。丸島 科学技術振興策を国益につなげるために、もう一つ考えなければならないのは、税金を投入した技術的成果が、国際的に通用する技術にならなければ意味がないということです。つま…
──丸島さんは日本の特許制度を巡る、司法の不備について主張されてきました。丸島 いま産学連携のことを述べましたが、産業競争力を高める、要するにプロパテント政策が本当に実行できるような環境をつくるためには、私は知的財産を尊重する雰囲気を醸成する…
丸島 特許についての司法制度改革や法改正を提言すると、法律学者から、どうして特許だけ特別扱いするのかと言われます。民法の場合、有体物を前提として考えています。しかし、物というのは一つしかないわけですが、特許権は情報を対象としているので同時に何…
『キヤノン史──技術と製品の50年』キヤノン史編纂委員会、一九八七年『キヤノン史──技術と製品の50年』[別冊]キヤノン史編纂委員会、一九八七年『「キヤノン」創造する多面体企業』石山順也、徳間書店、一九九三年『共生戦略 キヤノンの実践経営』山…
1934年東京生まれ。’60年3月早稲田大学卒業後、キヤノンカメラ(現キヤノン)に入社。’72年特許部長、’83年取締役就任を経て、’99年に専務退任。現在は同社顧問。入社以来、特許一筋の「特許人生」を歩み、複写機やプリンターの成功を、特許部…
2002年2月20日初版1刷発行2012年2月25日  10刷発行2013年4月30日電子書籍版発行著 者─丸島儀一発行者─丸山弘順装 幀─アラン・チャン発行所─株式会社光文社東京都文京区音羽1‐16‐6(〒112‐8011)http://w…

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