「キラキラ地名」「ひらがな地名」はなぜ生まれるか
ブランド地名、災害地名、キラキラ地名のトリックに騙されないために

1章 地名の成り立ちと由来

 地名はいつから存在したのだろうか。人類が言葉を話し始めたのは5万年ほど前というから、おそらくその頃にはすでに地名が出現していたのではないか。言語を獲得した私たちの祖先が、他者に「あの場所」を簡潔に説明するために使った名詞、これが地名である。簡潔にその場所を表わすためには、その土地の特徴を端的に表現することが求められた。本章では地名の成り立ちについて、最も始原的なタイプである「自然地名」の例を挙げながら、その成り立ちについて考えてみよう。

 地名とは何か。素直に解釈すれば、そのまま「土地の名前」である。すぐ手元にあった『岩波国語辞典』を試しに引いてみたら「土地の呼び名」の6文字だけ。気を取り直して個々の地名を思い浮かべてみれば、アジアなどの巨大なものから東京では最も小さいと思われる3000平米ほどのかんひがしこんちようまでエリアの大小はさまざまであり、また新旧でも古代から続く由緒あるものから、昨日できたばかりのニュータウンの地名までさまざまだ。

 最近になってこのことをまさに実感したのが、買ったばかりの福岡県の道路地図帳である。先日ある取材のためにこれを眺めていたら、むなかた市の鹿児島本線あか駅のほど近くにという地名を見つけた。この地名は各地に多く、知っている人にはすぐピンと来る。文字通り須恵器(古墳時代から平安時代にかけての陶質土器)を作っていたところで、これを焼いたふん時代の窯跡群が見つかっているというから、まず本物に違いないだろう。もうひとつがつちあなという地名で、こちらも土の関係だろうが、どんな由来があるのだろうか。いずれにせよかまくら時代以前から文献に見えるというから、こちらも古くからの地名である。

 ところが、歴史ある両地名に挟まれた部分に「くりえいと」という町名を見つけて驚いた。まん中には「くりえいと宗像」というショッピングセンターをはじめ、新しそうな店が建ち並んでいる。おそらく英語のcreateが由来なのだろうが、どうやら今世紀に入って開発されたものらしい。弥生時代に存在したかもしれない地名と、つい最近になって流行している外国語の平仮名表記で命名された地名が平気で同居しているのは、思えば奇観かもしれない。弥生人とキラキラネームの現代っ子が隣どうしで暮らしているようなものだから。

 そういえば茨城県には「平成の大合併」が最盛期を迎えていた平成182006年に誕生した「つくばみらい市」という自治体がある。出現当初はそのきわめて大胆な命名に話題沸騰したものである。しかし地図をよく見れば、もんしんでんという以前からの大字があって、これをフルネームで書けば「つくばみらい市仁左衛門新田」となる。仁左衛門新田は江戸初期に開拓された典型的な人名を冠した新田地名であるが、それがまさに「未来志向」の新市名と同居しているのだから、違和感を通り越して現代芸術のような趣さえも漂っているではないか。

 最初から新旧地名の対比まで話が進んでしまったが、それだけ現代日本の地名は何もかも一緒くただからである。それでは話を元に戻そう。そもそも人間が土地に名前を付けるのはなぜだろう。また今昔でこれだけ味わいの異なる地名を同じ日本人が命名したとすれば、地名に寄せる何が変わったのだろうか。そんなことを本書では考えていきたいと思う。

二人以上の人の間に共同に使用せらるる符号──柳田國男

●地名の発生

 さて、原初の日本人、いやまだ日本などという国名はおろか、同じ言葉を話す人の住むエリアの広がりも明確に認識されていなかった時代にさかのぼるに違いないが、地名がどのように誕生したのか素人考えながら想像してみよう。

 少なくとも一人で暮らしている分には地名は必要ない。なぜなら本人がすべて把握しているからだ。あそこにそろそろタケノコが生えているだろうから採りに行こうか。あそこは雨が降るといつもぬかるむから今日は避けて通ろうかな。あの谷は日当たりがイマイチだけど、夏は風が通るから涼しくて快適。あそこは大きな岩があって、遠くを見ながら弁当でも広げるのも一興であるなあ、とか。以上すべからく「あそこ」で済んでしまう。

 しかし人間は社会的動物であり、誰かと一緒に暮らすようにできている。もちろん好んでいんせいしている仙人もいるけれど、それは例外だ。仙人はしばしば教養人だから、独り暮らしなのに勝手に気に入った地名を付けてはにやにやしているかもしれない。仙人はともかく、自分は何かの仕事で忙しいのでカミさんに「あそこ」へ行ってタケノコを採ってきてくれ、と頼む。これには地名が必要なのである。仁左衛門じいさんの家まで息子にそのタケノコを届けさせる場面でも地名が必要だ。

 地名の発生をこんな風に想像するのは誰でもできるけれど、真面目に考えるとそう簡単ではない。きちんと歴史や民俗学、それに国語学などを勉強した人でないと軽々に話を吹くわけにはいかないので、きわめて広範囲の学識をお持ちであったやなぎくにさんに登場してもらおう。『地名の研究』という本では地名を次のように定義しつつ、その発生の背景に言及している。

 地名とはそもそも何であるかというと、要するに二人以上の人の間に共同に使用せらるる符号である。これが自分の女房・子供であるならば、われわれは他人をして別の名称をもって呼ばざらしめざる権利をもっているが、その他の物名になると、どうしても相手かたの約諾を要する。早い話がわが家の犬ころでも、せっかくハンニバルとか、タメルランとかいうりっぱな名をつけておいても、お客はことわりもなくその外形相応に、アカとかブチとか呼んでしまう。ゆえに一部落・一団体が一の地名を使用するまでには、たびたびそこを人が往来するということを前提とするほかに、その地名は俗物がなるほどと合点するだけ十分に自然のものでなければならぬのである。地名にほぼ一定の規則のあるべきゆえんであって、かねてまたその解説に趣味と利益とのあるべきゆえんである。

 長く引用してしまった。奥さんのかずさん(柳田さんのではなく、一般論として)を来客が勝手に「ようさん」と呼ぶのはあり得ないが、愛犬の場合はせっかくハンニバルなどと気負い過ぎた名を付けても、来客が勝手にアカとかブチと呼んでしまうようなことはある。同様に地名も「俗物」がなるほどと合点するだけ十分に自然のものでなければならぬ、というのは本当のところであろう。

 それでも地名の中には新しく城主となった殿様が縁起をかついで新しく地名を付けたり、また気にくわないと、たとえばいまはしの地名が「忌はし」に通じるとしてよし(現とよはしに変更するなどが実際に行われてきたのも確かだが、庶民レベルでは自ら名づけた地名を他人に強制する権力もないし、付けたとしても自然に受け入れられなかった地名はうたかたのように消え去ってしまったに違いない。

 最初の福岡県宗像市の例に戻ると、須恵という地名が付けられたからには、おそらく須恵器を焼くための窯が作られ、生産物がそこから各地へ伝えられたはずだ。そんな特別な場所であるからこそ、須恵器を焼く須恵の地名は「俗物」の評価を得て生き残ったのだろう。隣の土穴の地名にしても、ひょっとして須恵器のための土を取る穴であった可能性は否定できない。

●区別するための符号

 地名が「二人以上の人の間で共同に使用される符号」であるからには、その土地を他のどこかと区別する機能を持つ必要がある。あたり一帯のどこにでもあるモノを名乗ったのでは区別できない。たとえばどこまでも平らな土地が続くエリアで「平」と付けても特徴を語ったことにはならず、よく見ればわずかなくぼになっているのを細長い窪地──なが、大きな窪地はおお(大窪)、カヤの木が生えていればかや方言ならシドメ(クサボケ)の咲いている窪地はシドメ窪武蔵むさしむらやま市)、という具合に特徴を語る。そんなわけで「平らな台地にはクボの地名が多い」という、一見意外に思える地名分布が実現するのだ。ただしその台地全体を表現するためであれば、周囲の地形との対比で平らであるのが特徴だから、「平」の字が用いられることは不思議ではない。地名をどの範囲に限定するかによって命名の視点が異なるのは当然だ。

 また、うつそうたる松林の中では「松の木」のような地名は特徴にならないので、いつぽんまつといった地名は見渡す限りの原っぱに命名されることが多い。『角川日本地名大辞典』(以下『角川』)によれば静岡県ぬま市の一本松(旧一本松新田)は「当地に目印になるような松があったことによるという」、兵庫県ひめ市の一本松は「地内に一本の老古松があり、村の象徴であったことから」としているし、和歌山県なべ市の一本松では「村名は昔松の大樹ありし故に起れるならん」と『紀伊続風土記』を引用という風に、やはり原っぱなどの広い空間にあって目立つ松の木が起源の主流であるようだ。

 ただし、石川県かなざわ市の一本松は「だつ側のみに家屋があったため一方町と呼んでいたものが、誤って一本松となったのではないかという」と『金沢古蹟志』の説を引いており、このような例外もあることは地名の起源を考える際に常に頭に入れておかねばならない。

第1章 地名の成り立ちと由来(2)

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