「私たちは人間扱いされていない」
日本は、これまで外国人を社会の一員として明確に認識したことがあっただろうか。中国人・日系ブラジル人労働者を中心に、彼らの心の痛みに耳を傾けた渾身のルポルタージュ。

第一部 中国人が支える、日本の底辺重労働

第一章 北京政府公認の「最優秀校」

日本で働くための「予備校」

 中国河南省の南端、新県は山あいの小さな農村である。道端では牛が寝転び、放し飼いの鶏が、せわしなく走り回る。むき出しの大地がところどころ黄色く染まっているのは、住民の貴重な収入源となる菜の花畑だ。

 そうした長閑のどかで退屈な風景のなかにあって、周囲をへいげいするかのように建つ「新県渉外職業技術学院」の近代的な校舎は、ひときわ異様な存在感を示していた。

 同学院は、日本の企業へ研修生を送り出すための職業訓練施設として二〇〇〇年に開校。現在、男女合わせて約三〇〇人の若者が、縫製や農業、溶接などの技術、日本語の読み書きなどを学んでいる。いうなれば、日本で働くための〝予備校〟だ。最新鋭の訓練設備と優秀な講師陣、そして日本企業からの引き合いも多いといった実績により、中国に数多く存在する同様の訓練施設のなかでも、同学院は〝最優秀校〟の称号が、北京政府から与えられている。

 正門を抜け、グラウンドに入ると、周囲の波長を乱すかのような光景が飛び込んできた。迷彩服に身を包んだ一団が、両手両足を大きく振り上げながら、まるで軍事教練のような行進を繰り返していたのである。男女三〇人ほどの一団は、筋骨たくましい教官の掛け声に合わせて、右に左に身体の向きを変える。

 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。規則正しい靴音が響く。おそらく段取りはついていたはずだ。私がその横を通り過ぎようとすると、迷彩服の一団はピタリと動きを止めた。直立不動の姿勢で一斉に大声をあげる。

「コンニチハ!」「ヨウコソ、イラッシャイマシタ!」

 抑揚のない、ただ怒鳴りあげるだけの日本語だった。

 そして一斉に沸き起こる拍手。まるで国賓を迎えるかのような演出だ。来訪者があるたびに、同じような〝儀式〟が繰り返されてきたのだろう。訓練生の動きはそつなく、手馴れた感じがした。このあまりにも時代がかった〝歓迎〟から、私は反射的に目をそらした。全体主義の様式美は私の趣味ではない。機械的な拍手の音を聞いていると、気恥ずかしさと同時に、軽い嫌悪を覚えるしかなかった。

まるで軍隊

 拍手が鳴り止むと、今度はなぜか一斉に腕立て伏せが始まった。これもまた、来訪者に対するパフォーマンスなのか。教官の号令のもと、迷彩服の波が上下する。男性も女性も必死の形相だ。腰を浮かせたままの訓練生がいると、教官は容赦なく頭を小突き、尻を蹴る。ひところ日本でもった、「地獄の訓練」を売り物とする管理者養成学校や、どこぞのヨットスクールを連想させた。

「学校というよりは、まるで軍隊だな」

 私が独り言のようにつぶやくと、案内役の同学院理事長・リーダーフー(地元共産党の幹部でもある)は、それを聞き逃さなかった。わが意を得たりとばかりに誇らしげな表情を浮かべて、声を張り上げた。

「その通りです。軍隊式の訓練は、人間を忍耐強くし、根性を鍛えます」

 忍耐と根性。こうした言葉を、なんら言いよどむことなく発せられる環境こそが、この学校の立ち位置を示している。

 それでも、素朴な疑問をぶつけずにはいられない。こうした「軍隊式」訓練に、いったいどんな意味があるのか。日本で働くにあたり、行進や腕立て伏せは何か役に立つのか──。せいいっぱいの皮肉を込めて問いかけたつもりだが、やはり李理事長は生真面目に、そして胸を張って答えるのであった。

「当学院の目的は、日本の経営者に望まれ、喜んでもらえる人材を育成することです。経営者の指示を素直に受け入れ、どんなに苦しくとも勤労の意欲を失わない。そんな人材こそが必要とされているのです。苦しさに耐えることができなければ、日本企業のなかではやっていけません」

 要するに「支配・従属」の関係を身体で覚えさせるということだ。こうした古典的な労使関係のあり方を、まさか中国で、しかも地域の共産党幹部から聞くことになるとは思わなかった。革命六〇周年に沸く中国であったが、社会主義建設の行き着く先に経営者に従順な労働者の育成があったとは、毛沢東も想像できなかったことだろう。「革命六〇年」で到達した地点を思うと、なにやら不思議な感慨に襲われた。

すべては日本人に喜ばれるために

 しかし是非はともかく、このような「軍事教練もどき」で育成、派遣される研修生が、日本の経営者のニーズにかなっていることは否定できまい。実際、たまたまこの日、研修生受け入れのために同学院を訪れていた日本人の農場経営者も「ここの若者たちは素晴らしい」と、統制の取れた訓練生の動きを絶賛した。

「いまどきの日本で、ここまで規律正しい若者などいませんよ」

 愛知県で米と野菜を生産しているこの農場経営者は、〇六年から同学院を通して研修生を受け入れているという。

「雇用の受け皿として農業が注目されているとは言うが、日本の若者は長続きしない。泥まみれになって働くことのできる人間なんて、実際はほとんどいないんですよ。その点、この学院で訓練された中国人は違う。真面目だし、重労働でも泣き言を口にしない。みな、貧しい生活を送ってきただけにハングリーです」

 行進も腕立て伏せも、すべては日本の経営者に認められるための重要なツールであり、貧困から抜け出すための手段でもある。それだけに、明日の豊かさを信じて、歯を食いしばり、汗だくになってシゴキに耐える若者の姿は、経営者の琴線を激しく揺さぶる。

 校内に足を踏み入れると、壁の目立つ場所に同校のスローガンがぼつこん鮮やかに大書されていた。

「誠信・主動・礼譲・知足」

 私の視線を注意深く観察しながら、案内役の李理事長が〝解説〟する。

「誠実であること、自発的に動くこと、礼儀正しくあること、そして不平を言わないこと。これらは日本で働くにあたって、絶対に必要な要素です」

 教室の中でも訓練生は、ただひたすら真面目で礼儀正しく、そして機械的だった。廊下から教室の窓を覗き込んだだけで、訓練生は一斉に立ち上がり、私に向けて拍手を送る。起立。礼。拍手。着席。校内のどこを歩いても、「熱烈歓迎」が繰り返される。そのたびに李理事長は、やはり満足げな表情を浮かべて、いちいち私の反応を確かめるのであった。

 私が「熱烈歓迎」を受けるのは、取材者だからではない。日本人であるからだ。同学院にとって日本人は最大の顧客であり、訓練生にとっては将来の雇い主である。日本人に「望まれ、喜んでもらえる」ために、そして雇ってもらうために、教員も訓練生も必死なのである。

なぜ、日本で働きたいのか──

 授業中、私語を漏らす者はいない。迷彩服の若者たちは背筋をピンと伸ばし、日本語の教科書と向き合っていた。ミシン訓練の教室では、縫い目の正確さ、早さが徹底して教え込まれていた。教師の一人は、「短い訓練期間の間に、できる限り日本の文化水準に近づかなくてはならない」と、私に語った。

 訓練中の若者に話を聞いた。

 なぜ、日本で働きたいのか──。

「貧しい生活環境を変えたい」

 そう話すのは二十一歳の青年である。地元の工場で働いていたが、将来の展望が見えないことから、研修生を目指したという。

「研修生として日本で高度な技術を身につけ、それを中国に持ち帰りたい。そうすることで豊かな暮らしを、きっと実現できると思う。さらに、日本人の清潔な生活習慣も学ぶことができたら嬉しい」

 同じく工場労働者だった二十九歳の女性は、「日本人のまじめさを見習いたい」と、真剣な表情で訴えた。

「私たち中国人は、経済成長のために、もっともっと努力しなければなりません。見習うべきは日本です。私も日本人のように真面目に働き、中国の発展に貢献したい」

 彼女はここまで一気に話すと、「そして、なによりも」と付け加えた。

「いまの貧しい生活から抜け出したい」

 どの学生の口からも「日本人は真面目」「清潔」「技術がある」「豊か」「見習いたい」といった言葉が飛び出す。日本への賛辞ばかりだ。わが国には中国の〝反日教育〟を問題視する声も少なくないが、この学院では反日どころか、「お手本であるべき日本」が叩き込まれる。

 むろん、理事長立会いのもとでの取材である。〝学院公認〟の模範生が模範解答で応じるのは当然だ。それでも本音から遠く外れた言葉でもあるまい。

 日本でカネを稼ぎ、技術を学び、豊かな生活を実現させる。それは私がこれまで接してきた多くの研修生に共通する〝夢〟なのだ。李理事長が力説する。

「厳しい訓練に耐え、日本での労働にも耐えることができれば、幸せが待っている。日本の生活習慣を学ぶことで、中国の近代化にも貢献できる。日本で運営されている研修制度は、中国最貧地域であるこの町を、物質的に、精神的に、豊かにしてくれるものだと信じています」

「中国人研修生なくして、日本の農業は成り立たない」

 正確には外国人研修・技能実習制度という。いまや一部では「奴隷労働」とされることも多いが、実態については後述する。発展途上国の若者を日本の企業・農場などへ受け入れ、人材育成と技術移転を支援することを目的として一九九三年にわが国で制度化された。日本に派遣された若者は、最初の一年間は研修生として技術を学び、その後、二年間を最長期間に企業と雇用契約を結んで実習生として就業する。

 あくまでも国際交流事業の一環として位置づけられているため、たとえば第二部で詳述する、日系ブラジル人の「デカセギ」のようなものとは根本的に性格が異なる。しかし、外国人が単純労働に従事することを禁じているわが国において、研修制度がその抜け道として機能していることも事実だ。研修生は各種工場、農林水産業などの現場に派遣され、研修・実習の名目でありながら、その多くは単純労働に従事している。研修生は実質的に労働者であり、また、日本の受け入れ企業も労働力として彼ら彼女らに期待しているのだ。

 前出の日本人農場経営者も、「いまや中国人研修生なくして、日本の農業は成り立たない」とまで言い切る。

「重労働低賃金。それが日本の農業現場だ。当然、働き手も後継者も不足している。こうした状況にあって、農業存続のためには研修生に頼らざるを得ない」(農場経営者)

 わが国が誇る長野や群馬の「高原レタス」も、栃木のイチゴ「とちおとめ」も、その生産に多くの中国人研修生が携わっている。農業だけではない。北海道の海産物加工業や牧場、四国のタオル産業、東海地方の縫製業や自動車関連産業、九州の造船業、さらには全国各地の建設、とび、産廃、畜産といった分野において、研修生は貴重な戦力として欠かせない。

「新県渉外職業技術学院」の訓練生が目指すのは、こうした職場だ。最長三年間──この定められた期間を日本で働けば、必ず豊かさを手にすることができるはずだと、同学院の誰もが目を輝かせる。

第一章 北京政府公認の「最優秀校」 (2)

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