一九七七年、日本は二〇〇カイリ問題で揺れていた。ソ連は七六年一二月に二〇〇カイリ漁業専管水域設定を布告、七七年二月の日米漁業協定では二〇〇カイリ漁業水域内漁業で入漁料支払いを取り決めた。魚がとれなくなる、魚が高くなる、こうした消費者の不安を水産業者や商社は一層かきたてた。彼らは、あろうことか「魚かくし」をした。値上がりを待ち放出する「魚ころがし」をやった。カズノコが暴騰しすぎ、のちに値くずれし、待ちすぎ、持ちすぎの大商社系卸問屋が倒産した。「それみたことか」と人びとは思った。しかし、大商社は子会社の倒産に、見て見ぬふりをした。
魚介類は七五年から七七年の三年で四二%値上がり(総合物価上昇率は…
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